休日を利用して藤堂と初めて二日間も一緒にすごすことが出来た。あれから食事をして水族館にも行って、すごせるだけの時間をすごした。そして陽が暮れた頃に帰りの新幹線に乗り、帰路へついた。でもこんな日をそう簡単にすごせることが出来ないとわかっているから、どうしてもお互い別れは自然と惜しくなる。
僕の最寄り駅で一緒に電車を降りた藤堂が、改札口の近くまで見送りをしてくれるが、なかなかどうして、じゃあまたの一言が出てこない。一人そわそわしている僕を見て、藤堂は静かに微笑んでいるだけだ。それがもどかしくてそっと指先を掴んだら、なだめすかすように髪を撫でられてしまった。
「また出かけましょうね」
「うん」
「帰ったら電話しますから」
「うん」
返事はするものの一向に手を離さない僕に、藤堂は困ったように笑う。いまものすごく藤堂を困らせているのはわかっているのだが、その気持ちに反して身体が動かない。
一緒にいた時間が長くなるほどに、離れることが惜しくなるのだなと思った。これから先も僕は同じことを繰り返してしまうのだろうか。藤堂を困らせたいわけではないのに。
「佐樹さん」
「……」
「ここでキスはしてあげられないから我慢してくださいね」
優しい呼び声につられて顔を上げたら、耳元で柔らかな低音が囁きかける。その言葉で顔が思いきり紅潮した。
「違っ! そんなつもりじゃない」
慌てて手の甲で赤くなった顔を隠したら、また優しく髪を梳いて撫でられた。そして僕が掴んでいた指先もするりと抜けていく。さすがにいつまでもこんなことをしているわけにはいかないことを、藤堂に諭されたみたいで少し情けない気分になった。
「藤堂、色々とありがとうな」
「いえ、こちらこそ、連れて行ってくれてありがとうございます」
これ以上は引き止めて困らせるわけにはいかない。僕はまっすぐに藤堂を見つめて笑みを返した。そんな僕に藤堂はやんわりと目を細めて頬を撫でてくれる。
「あ、えっと、これ……大事にするから」
優しい眼差しに頬を熱くさせながら、僕は左手の薬指で光る指輪を撫でた。すると至極嬉しそうに藤堂は微笑んだ。その表情に胸を高鳴らせれば、そっと伸ばされた両手に左手を握られる。
「ありがとうございます」
「うん、じゃあ、そろそろ」
「そうですね」
やっとのことで紡いだ言葉に藤堂は小さく頷いて笑ってくれた。しかしその笑顔につられて笑った次の瞬間、心臓の辺りがひやりとした。
「さっちゃん?」
突然背後から呼びかけられた。聞き覚えのあり過ぎるその声に、心臓が驚きと焦りでものすごい勢いで鼓動を早めていく。ガチガチに固まった身体でその声をゆっくりと振り返れば、驚きをあらわにしてこちらを見ている母の姿があった。買い物帰りなのか両手に抱えたエコバッグが膨れている。
「……母、さん」
さすがに身内の登場に藤堂も慌てたのか、僕の手を握っていた両手が素早く離された。二人で身動き出来ずにいるそこに、母は駅の階段を下りてまっすぐ向かい近づいてくる。そして僕の目の前で立ち止まり、小さく首を傾げた。
「さっちゃん、昨日からお墓参りに行ってたのよね?」
「うん」
まっすぐと向けられる母の視線に、自然と顔が下を向いてしまう。
「今回は一人じゃなくて、大事な人を連れて行くんだって、言ってたわよね?」
「……うん」
母の視線が隣に立つ藤堂をちらりと見る。
二人で旅行に出ることを母には伝えるつもりはなかったのだが、出際に僕は新幹線の切符を忘れかけた。その際に、一人分ではなく二人分ある切符に気づかれてしまったのだ。そしてどうして二人分あるのだと問い詰められて、藤堂と一緒に行くとは言えず、これで最後にするつもりだから、今回はいま大事な人と一緒に行こうと思うと答えた。
まさかこんなかたちでバレてしまうとは思わず、後悔なのか焦りなのかわからない感情が胸の辺りでざわめく。頭の中はぐるぐると思考が回り混乱して、言葉を探すがなにも見つからない。
「こんなところで立ち話もなんだから、とりあえずおうちに帰りましょ。詳しい話はそれからよ。優哉くんも、付き合ってくれるわよね?」
なにも答えない僕に肩をすくめると、母は藤堂に向き直った。隣に立つ藤堂はまっすぐに母を見つめ返す。
「はい、あの……荷物、持ちます」
問いかけに小さく頷くと、母の両手を塞いでいたものに藤堂は手を差し伸べる。そしてありがとうと呟くように礼を言った母からそれを受け取った。そんな中、僕は立ち尽くしたまま一歩も動けずにいた。
棒立ちのまま置物のように動かない僕にため息をつくと、母は先に改札を抜けていく。魂が抜けたみたいに身動き出来ずにいた僕は、藤堂に背を支えられて促されるように改札を抜けた。
駅からすぐのところにあるマンションが、ものすごく遠くに感じるくらい気分は重たい。三人ともなにも言葉を発することなく歩く沈黙がさらに辛かった。
マンションにたどり着き、エレベーターに乗り、部屋に入るまで誰も一言も発しなかった。けれどようやく部屋に入ったところで母が僕たち二人を振り返った。
「とりあえず二人ともそこに座って待っていなさい」
リビングのソファを指差して藤堂から荷物を受け取ると、母はそれ以上なにも言わずにキッチンへ入っていく。そんな背中を見ながら、藤堂と二人でこっそり顔を見合わせた。でもこれからどうなるのかと気が気ではない僕とは違い、どこか藤堂は落ち着いているようにも見える。
「佐樹さん」
また立ち止まって動けずにいる僕の背中を藤堂がそっと押す。確かにこうやって動かずに黙っていても解決はしないと、意を決して僕は足を踏み出した。けれど母はソファで待つ僕たち二人をよそに、のんびりと珈琲を落としている。
しばらく無言のまま待つこと多分、十分くらい。なにごともなかったような顔で珈琲を運んでくる母が逆に怖かった。しかし三人分の珈琲をテーブルに置き、向かい合わせのソファに座った母は、僕をじっと見つめて小さなため息をついた。
「さっちゃん、そんなに怯えた顔をしなくても、お母さんとって食べちゃったりしないわよ。時間をあげたんだからそのあいだに言い訳は考えた?」
「えっ?」
言い訳なんて考える余裕は全然なかった。それどころかいまなにを話したらいいのかも全然わからないくらいだ。動揺で目が右往左往と泳いでしまった。
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