ぽかんと口を開けたままの僕を見て、峰岸はひどく楽しげな笑みを浮かべている。
「でもなんでだ?」
藤堂に告白する前に渉さんを呼び出した、それは事実。けれどあの時、そんなに人が大来するような場所に渉さんを呼び出した覚えはない。というよりも逆に、人がなるべくいない場所に呼び出したはずなのに、なぜ峰岸が知っているのだ。
「センセに悪戯して泣かせたあと、気になってセンセのことストーカーしたんだよな」
「ちょ、なんだそれ」
ははっと軽い調子で笑った峰岸にあ然としてしまった。あの日あのあと、こっそりつけられていたなんて誰が想像するだろう。なんでこうも峰岸は予想外な行動をするんだ。
「ずっと、見てたのか」
「ん、全部見ちゃった」
見ちゃった、とか満面の笑みで可愛い子ぶられても、こちらは気が遠くなりそうになるばかりだ。けれども晴れやかなほど眩しい峰岸の笑みからは、悪びれる様子はまったくない。
「そんな暗い顔しなくてもいいだろ。別に変なことはなにもなかったわけだし、ただのごめんなさい現場と告白現場だろ」
「は?」
呆れたように肩をすくめた峰岸の言葉に、一瞬耳を疑った。そして思わず悲鳴に近い叫び声が出た。
「お、お前っ、そっちまで見てたのかっ」
渉さんとのやり取りだけならまだしも、藤堂とのやり取りまで見られていたなんて、驚きのあまり魂が口から抜けるかと思った。あれは断じて人に見られていい現場じゃなかった。じわじわ恥ずかしさがこみ上げて、顔から火が出そうだ。魂も火も出てこれ以上どうしろと言うんだ、この羞恥プレイ。
「あ、そっちは遠くてよく聞こえなかった」
「聞かなくていいっ、っていうか見たことさえ忘れろ」
「はいはい」
慌てふためく僕の頭をあやすように撫でて、峰岸は至極優しげに微笑んだ。
「お前、最悪」
そうか、知っていたから次の日、峰岸は僕にうまくいくとは思わなかったなんて言ったんだ。僕の態度が変わったとかそういうことの前に、もう知っていたんだ。
でも普通、好きな人のそんな場面に遭遇したら気分よくないよな。なのになんで峰岸は笑えるんだろう。
「あー、もう。なんかどっと疲れた。というよりもなんでお前とこんな話しなくちゃならないんだ」
「いや、俺もよくわからないけど」
「お前が渉さんのこと知ってるとか言うからだろっ」
しれっとわからないとか言う峰岸の肩口を拳で軽く叩けば、また楽しそうに笑う。なんだかすごく峰岸に振り回されている感じがする。
「ああ、そうだ。とりあえずあいつは呼べばいいんじゃねぇ? 写真部の校外に」
くしゃりと髪をかき乱すように僕の頭を撫でながら、峰岸は小さな子供みたいな顔で笑った。
「え?」
大したことではないみたいにあっさりと言うが、校外部活動に藤堂を呼ぶということは、渉さんと引き合わせるということだ。それって本当に大丈夫なんだろうかと不安になってしまう。
以前、渉さんに会った時だってかなり藤堂は不機嫌になったし、いま以上に藤堂の機嫌を損なったらと思うと正直胸が痛い。でもだからといってこのままでいても平行線だし、渉さんとはなにもないと、どこかで誤解も解いておかなければいけない。
「おーい、センセ、また一人の世界で考え込んでる」
「痛っ」
額に感じた痛みに顔を上げると、峰岸が苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。どうやらぼんやりしているあいだにデコピンを食らわされたようだ。
「悩むくらいなら行動あるのみ、だろ」
「え? あっ」
急に携帯電話を取り出した峰岸がどこかに電話をし始めた。それは何度かコールしたあとに繋がったようだ。
「早いな、バイトじゃなかったんだな」
「ちょ、峰岸っ」
「あ、いまセンセと一緒。いいだろ、夏休み中は一緒にいる時間が多いんだぜ」
伸ばした僕の手を避けるよう立ち上がった峰岸は、にやにやと笑いながら僕を見下ろす。そのあいだにも電話の向こうの相手、おそらく藤堂と峰岸は話を続けている。
「ふぅん、そうなのか。じゃあ聞くまでもなかったな」
先ほどまで笑みを浮かべていたのに、峰岸は途端に楽しみを削がれたようなつまらなそうな声を出す。そんな反応にこちらはそわそわとした気分になる。
「な、なに? なんだって?」
「写真部の来るってさ」
「え? ほんとか」
予想とは反した答えが返ってきて、思わず自分でもわかるほど声が明るくなってしまった。
「あー、はいはい。んな喜んだ顔すんなよ。つまんねぇ」
舌打ちして目を細めた峰岸に乱雑に髪をかき回されるが、夏休みの楽しみが増えたことに僕は舞い上がっていた。
「はあ、こんなんで一喜一憂してるようじゃ、お前らまだやることやってないんだろ」
「……って、お前なに言ってんだ」
一瞬、なにを言われているのかわからなかったが、峰岸の意地悪い含み笑いでその意味に気がつく。慌てて立ち上がり、携帯電話を奪おうと試みるが、身長差があるのでひょいと身軽にかわされ手が届かなかった。
「だってそうだろ。ほかの男が現れたぐらいでガタガタ騒ぎやがって。やることやってりゃ、もうちょっと余裕ってもんが出来るだろ。センセがやらしてやんないのがわりぃんじゃねぇ?」
「なっ、余計なお世話だっ、その話はほっといてくれっ」
「はは、マジでまだなのかよ」
呆れたように峰岸に笑われ、夏の熱気と相まって顔が尋常じゃないくらいに熱い。さらに冷や汗なのかなんなのかわからない汗が吹き出して、心臓は馬鹿みたいに早くなる。
「あー、うっせ。お前だってな、もうちょっと気合入れねぇと横から俺にかっさらわれるぞ」
「峰岸ストップ、もう余計なこと言うなっ」
電話口から藤堂の声が漏れ聞こえてくる。絶対に怒ってるだろうその様子に肩を落とし、届かない携帯電話は諦めて目の前にある制服のシャツを握った。すると視線を落とした峰岸にそっと髪を梳いて撫でられた。
その感触に俯きがちだった顔を上げれば、こちらを見下ろす峰岸の視線とバッチリ合ってしまう。じっと瞳の奥を覗くような真剣なその視線は、安易にそらすことが出来なかった。
「隙あり」
まっすぐな視線に戸惑っている僕をよそに、目の前の口角はゆるりと持ち上がった。そして身構える間もなく峰岸は僕を抱きしめた。
「え? ちょっ、やめっ」
「センセはほんと、汗臭くないよな。いい匂い」
こめかみや首筋に顔を埋める峰岸はぎゅっとさらに強く僕を抱きしめる。しばらくじたばたと腕の中でもがいてから、やっと腕が離される。
「なにすんだ馬鹿っ」
僕を抱きしめていた腕を思いきり叩くが、峰岸には大したダメージではないようだ。それどころか怒った僕を華麗にスルーして、無邪気過ぎるほど無邪気な笑みを浮かべる
「あいつ来ると思う?」
「え?」
ふいに耳元に当てられた携帯電話の不通音を聞いて、目の前が暗くなった気がした。この男、やる悪戯の度が過ぎる。
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