すっかり日の暮れた景色が窓の向こうを流れていく。そんな様子をなに気なく眺めながら、ほんの少し混雑した電車の中で、僕と藤堂は周りに気づかれないようこっそりと小指を絡ませていた。
密やかなその行為は胸を熱くする。電車の扉に身体を預けて、遠くを見ていた視線をふと窓に映る藤堂へ向ければ、ぶれることなくその視線は藤堂のものと重なる。ずっと僕を見ていたことに気づき、さらに胸はざわめいた。気恥ずかしくて顔を俯けたら、絡んだ指先に力が込められる。
その指先から感じる体温と自分を見つめる視線に、心臓はトクトクと音を早めていく。もう何度も手を繋ぎ合わせ、その目を見つめてきたのに、それでも何度も何度でも僕の胸は高鳴ってしまう。
「もう、帰る?」
たった一駅分しかない距離はあっという間で、絡んだ指は自然と解けた。そして二人で電車を降りて改札の前で立ち止まる。俯いた顔を持ち上げて、向かい合わせに立っている藤堂を見つめたら、小さく首を傾げられた。
「その、まだ時間があったら、うちに寄っていかないか。あ、母さんはまだいるんだけど、もしよかったら夕飯でも」
まっすぐと僕を見つめる藤堂の視線が恥ずかしくて、僕はまた俯いてしまう。ぎゅっと拳を握り、緊張しながら身を固くしていると、頭上から小さな笑い声が聞こえた。
「お邪魔でなければ」
至極優しい声音に顔を持ち上げれば、藤堂の視線は先ほどと変わらずまっすぐ僕を見つめ、柔らかな笑みを浮かべている。そしてその表情を見た途端、僕はほっと息を吐いた。
「しばらく会えていなかったから、俺もまだ佐樹さんの傍にいたいです」
「あ、うん」
まったく同じことを思っていてくれたことが嬉しくて、次第に頬が緩み熱くなっていく。そしてそれはどうやっても誤魔化しようがなくて、そわそわと落ち着きなく視線は泳いでしまう。けれどそんな僕を見つめる藤堂は、また小さく笑うとなんの躊躇いもなく僕の手を掴み改札へ足を向けた。
繋がれた藤堂の手は温かくて、胸がきゅっと締め付けられるような、言葉にならない想いが広がった。
「ただいま」
玄関扉を開けていつものように声をかけると、慌ただしい足音と共に廊下の先の扉が開いて母が顔を出す。いきなりの出迎えに目を瞬かせれば、母はお帰りなさいと笑う。
「どうしたんだ?」
「あのね、実は」
首を傾げる僕に話しかけようとした母は、僕の後ろから現れた藤堂に驚いたのか目を丸くして言葉を途切れさせた。けれど驚いたのはその一瞬だけで、小さく頭を下げた藤堂へ向かって母は満面の笑みを浮かべる。
「あらあら、優哉くんいらっしゃい」
「こんばんは」
よほど嬉しいのか、目の前に立つ僕のことなどそっちのけで、母は藤堂を部屋へ招き入れる。それを少しばかり不満に思いながらも、二人のあとを追い僕もリビングへ向かった。そして母に半ば強引に勧められるままソファに腰かけた藤堂を見て苦笑してしまう。
「あれ、母さんどこか行くの?」
ふいに足元にあった大きな鞄が目に留まる。不思議に思い首を傾げると、また母が慌ただしく近づいてくる。
「そうなの、佳奈が明後日帰ってくるっていうから家に帰ろうと思って」
「え? いまから? 明後日なら明日でもいいんじゃないの」
部屋の時計を見れば時刻は十九時をとうに過ぎていた。いまから帰るとなると実家につくのは二十一時を過ぎるだろう。なにもそんなに慌てて帰らなくてもと思ったが、驚きをあらわにする僕をよそに母は床に置かれた鞄を手にとった。
「思い立ったが吉日って言うでしょ? それにしばらく家を空けていたからお掃除したいのよ。さっちゃんたちももうすぐ来るでしょ? 大掃除しなくちゃ」
「そっか」
いざことを決めるとすぐに行動に移す母を、ここで止めるのは無駄だろう。藤堂にまた今度ねと言って手を振る母を、僕は玄関先まで見送ることにした。
「夕飯はお鍋と冷蔵庫に入ってるから温めて食べてね」
「うん」
「あと、なにか荷物が届いてたから受け取っておいたから」
「わかった。気をつけて帰って」
笑みを浮かべて去っていった母を見送ると、しんとした静寂が広がる。踵を返してリビングの扉に手をかけたところで、ふといまの状況に気がついた。リビングにいるのは藤堂一人だ。予定外に二人きりになったことに気がついて、鼓動が少し早くなってくる。しかしいつまでもここに立っているわけには行かず、意を決して僕は扉を開けた。
「なんかバタバタしてごめんな」
「いえ、大丈夫ですよ」
こちらを振り返って笑う藤堂の表情にさらに鼓動を早めながら、僕は足早にキッチンへと足を向けた。鍋を火にかけて、冷蔵庫の中にいくつかある皿を眺め、温めが必要そうなものを電子レンジに入れる。
「なにか手伝いましょうか?」
「あ、ううん。大丈夫だ。すぐに用意出来るから」
ふいに近くから聞こえてきた声に驚いて肩が跳ね上がってしまう。振り返ればカウンター越しにこちらを見ている藤堂の姿があった。挙動不審な僕に、少しばかり藤堂は不思議そうに首を傾げる。
やはりどうやっても久しぶりに会い、その声を聞いたいまは、些細なことにさえ敏感になってひどくうろたえてしまう。
夕飯は既に出来あがったも同然の状態だったので、準備はあっという間だった。母はいつも作り置きをするので、料理が足りないと言うこともない。二人で食べるのに丁度いいくらいの量を皿に盛り付けて、食卓は十分に揃った。
「やっぱり佐樹さんのお母さんは料理が上手ですね」
「美味しい?」
「えぇ、とても」
テーブルを挟み向かい合わせに座った藤堂の顔を見つめると、ふっと幸せそうに微笑まれた。二人で皿や器に箸を伸ばし、時折言葉を交わしながらも黙々と食事をする。なんてことない静かなこの時間が穏やかで、ふいに口元が緩んでしまう。けれど刻々と過ぎていく時間に心が落ち着かなくもなる。
「バイト、忙しいんだろ。ちゃんと休んでるか」
「え? あ、はい。入れるだけいれてもらっているので週一ですけど」
「そっか、夏休みは学校の課題も多いし大変だよな」
多分きっと卒業したあとの学費などのために、バイトのシフトを詰め込んでいるのだろう。そして藤堂は学業も疎かにすることはない。ちゃんと食事をして、ちゃんと眠れているだろうか。
電話が来ないのは怒っているからではないかと思っていたが、きっとそこまで余裕がなかったのかもしれない。忙しい中で毎日メールをくれるだけでも、ありがたいことなのだと思わなければいけなかった。寂しがってばかりいて、藤堂のことをちゃんと考えてあげていなかった。
「明日はバイト何時から?」
「昼からです」
「そっか」
昼からならばもう少しゆっくりしていけるだろうか。出来ればもうしばらくこうして二人の時間を過ごしたい。あと一時間、あと三十分でもいい、藤堂の傍にいたい。
目の前の笑顔を見つめながら、そんな我がままを心の中にあふれさせてしまった。
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