人は愛することを覚えると、目の前にある景色が色鮮やかに変わる。きっと瀬名もそんな感情を覚えたのかもしれない。いつも月島を見る目は眩しそうに細められる。愛おしいという感情を隠しもせずに、ただまっすぐにその姿を見つめていた。
あんなに迷いなく見つめられては、月島はたまったものではないだろう。目をそらしても、逃げても隠れても、それは離れてくれない。だからその目に捕まらないように、知らない振りをするしか出来ないんだ。
二人は微妙なバランスで立っている。ほんの少しの傾きで転がり出してしまいそうなバランス。きっと転がり出したらあっという間だろう。それでも二人はバランスを崩さない。
「俺はあの人の世界を見た時から自分の世界の色が変わった。だからあの人のいる世界で生きてみたいと思った。けどその世界を壊してまで手に入れることはしたくない。いつか絶対に心ごと手に入れてみせる」
「へぇ、のんびり構えてるのかと思ったら、随分な野心家ですね」
月島へ視線を向けることなくパソコンに向けているその目は力強く、おとなしく忠犬を装っているがこの瀬名という男こそ野生の獣だ。
きっと瀬名が本気を出して月島を狩り捕ろうと思えば、間違いなく抵抗する間もなく自分のもとへ堕とせるだろう。けれどそうしないのが瀬名の本気の恋、愛するということなのかもしれない。
二人のバランスが崩れない意味がなんとなくわかった気がした。転がらないように支える月島と、いまの変わらない月島を手に入れたい瀬名。二人ともが均衡を保っているんだ。
思えば自分自身もそうだった。罠を張り巡らせながらもいつか振り向いてくれることを願い、じっと待っていた。届かない、振り向かないかもしれないという不安を抱きながらも、ただひたすらに待っていた。
「藤堂」
「……っ」
ふいに耳へ飛び込んできた声にふっと現実に返った。反射的に振り向けば、小走りで近づいてくる彼がいた。驚いた顔をしているだろう俺を見ながら、柔らかな笑みを浮かべる彼に目を奪われる。
「もう終わっちゃったか?」
「……あ、さぁ、どうでしょう?」
小さく首を傾げる佐樹さんに俺もまた首を傾げると、二人で月島のほうへ振り向いた。そこではなにやら楽しげに峰岸と談笑している姿がある。なんとなく話に割り込む雰囲気ではないと悟ったのか、佐樹さんは少し目を瞬かせて地面に座り胡座をかいている瀬名に視線を落とした。
「瀬名くんはなにしてるんだ?」
「渉さんの担当とか、出版社の担当とかと連絡取り合ってるところっすね」
パソコン画面を覗き込むようにしゃがみ込んだ佐樹さんに、少し戸惑った反応を見せながらも瀬名はぽつりと返事をする。月島の気持ちがまだ佐樹さんへ向いているので、瀬名からすると仲よくしがたいところがあるのだろう。見ているとそれがあからさま過ぎて、少し笑えてしまう。
「そんなことも瀬名くんがするんだな」
「いや、本人が面倒くさいだけで、全然これは俺の仕事じゃないっす」
「あはは、そうなんだ。やっぱり渉さんは瀬名くんに遠慮がないな」
「いつもあんな感じっすよ。渉さんにとって西岡さんが特別なんすよ」
自分へ向けられる感情には本当に鈍いくせに、相変わらず佐樹さんは周りの感情に敏い人だ。しかし困ったように苦笑いを浮かべていた瀬名だったが、急に近づいてきた人の気配を察してほんの少し眉を寄せた。
「佐樹ちゃん午後は自由行動? 俺と一緒にいてよ」
「渉さん待ちの子たち多いだろ」
勢いよく近づいて来て瀬名と佐樹さんのあいだに割り込んでいくと、月島は満面の笑みを浮かべる。けれど困ったように笑った佐樹さんの言葉に小さく唇を尖らせた。
「だから一緒にいて欲しいのに」
「もう藤堂と峰岸のは撮り終わったのか?」
「うん、もう平気。ただ立ってるだけで絵になるってある種の才能だよね。おかげさまですぐに済んだ。佐樹ちゃんも撮ってあげようか」
首を傾げている佐樹さんに向かいカメラを構えた月島は、合図をするでもなくシャッターを切る。それにほんの少し驚いた表情を浮かべた佐樹さんは、おもむろに立ち上がってなぜか俺をじっと見つめた。それを不思議に思い小さく首を傾げ笑みを返すと、急にふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
なに気ないその表情が可愛くて、思わず抱きしめたい衝動に駆られる。けれどそれをどうにか心に押し留めて、じっとその笑みを見つめ返した。
「はぁ、相変わらずラブラブだね。さすがにちょっと嫉妬するな」
ずっとカメラのシャッターを切っていた月島がふいにカメラから視線を外すと、呆れたように肩をすくめる。けれどそれと同時か、急に響いた「え?」っという驚き上擦った声にその場にいる皆が振り返った。
「なに、いまの疑問系。俺が敗北した相手がこの男だってことがそんなに意外?」
声を発した瀬名は驚きに目を見開いて俺と佐樹さんを見ていた。そんな瀬名を月島は遠慮の欠片もなく膝で背中を思いきり小突く。そしてその膝の打撃に我に返ったのか、瀬名は不機嫌そうに眉をひそめ目を細める月島を見上げた。
「いや、そうじゃなくって。そっちのとデキてんのかと思ってた」
俺に視線を向けたかと思えば、瀬名は視線を流し峰岸を見つめる。けれどそんな視線に峰岸は吹き出すように笑い、月島に至っては呆れ返ったように白い目で瀬名を見下ろしていた。
「馬鹿じゃないの。どんだけその目は節穴なのさ」
「まさかこんなに年離れてると思わないじゃないっすか。そこの二人が高校生ってだけでもまだ信じがたいのに、まさか西岡さんの相手が高校生だとは思わないっすよ」
「声でかいしうるさい。ああ、そうですよ。こんな若造に持って行かれたんだよ、俺は」
機嫌を損なった様子の月島はしつこいくらいに瀬名の背中を小突き回す。それに対し瀬名が「仕方ないじゃないっすか」と小さいながらに文句を言うものだから、ますます月島は不機嫌さをあらわにする。
「やっぱり意外、かな? まあ、いい歳だもんな」
「歳なんて、関係ないでしょう!」
あまりにも佐樹さんがぽつりと不安そうな声で呟くものだから、俺は慌てて言葉を遮る勢いで手を握りしめてしまった。それに驚いて肩を跳ね上げた佐樹さんは、俺を見上げ頬を朱に染める。そしてそんな表情や反応につられ、俺の顔も次第に熱くなってきた。
「あー、あ。もうやめやめっ。こんなピンクな空気の中にいられるほど俺は図太くないし、ほかの生徒さんたちのとこ行ってきまぁす」
散々、瀬名をいじり倒した月島は大げさなほど大きくため息をつくと、ストレッチでもするように背伸びをして俺たちに背を向けた。のんびりとした足取りで歩き出した月島の背中を、瀬名は身の回りの物を鞄に詰め込み追いかけていった。
「んじゃ、俺もお邪魔虫はやめとくか」
「いや待て」
月島たちに続いてこの場を去ろうとする峰岸の襟首を反射的に俺は掴んでいた。広い公園とは言えど、いつどこでほかの部員と鉢合わせるかわからないこの状況下。いま可愛いさを無自覚に放つ佐樹さんといて触れないでいる自信がなかった。
俺の行動に驚きに目を丸くしていた峰岸だったが、気まずい雰囲気を察したのだろう、にやりと片頬を上げて笑った。
「お前が我慢利かねぇってことは、ついに喰っちゃったんだな。はは、飢えてるやつは一回でも味占めるといままで通りの我慢は出来ねぇよな」
なにもかも見透かした目で笑われて悔しさがあるが、いまはどうしても二人きりでいるのは避けたい。黙って峰岸の目を見つめ返せば、笑いを堪えた峰岸が喉を鳴らして肩をすくめた。
「片平と三島と合流すっか」
携帯電話を取り出した峰岸はそう言ってのんびりと歩き出した。そして俺はよく状況を理解していない佐樹さんを促してそのあとに続いた。
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