小さな脳みそで僕が尽きないことを悩んでいるうちにも、時間は過ぎていくもので、文化祭の一般公開日はやってきた。
毎年人入りの多いイベントだが、今年は輪をかけて来客数が多いように感じられた。生徒たちの前宣伝の賜物だろうか。賞金がかかっているからみんなの本気度が目に見えてわかる気がする。
そんな賞金額の高さは学校側でもかなり注視されているので、早朝から職員会議が行われてトラブルなどが起きないよう職員総出で見回りをすることとなった。小休憩を挟んでほとんどは校内巡回に時間を取られそうだ。
「これだけ気合いが入っていると、どこが優勝してもおかしくないな」
「そうですね」
オープンと同時に人がやってきて校庭は人がいっぱいだ。そんな様子を三階の窓から眺めて思わずため息をついてしまった。そんな僕の横では生徒会の腕章をつけた間宮が苦笑いを浮かべている。
「それにしてもよく保護者会で賞金額が問題にならなかったなぁ」
「ならなかったわけではないみたいですよ。プリペイドカードは一万円ごと五枚に振り分けられて、使用の際には領収書の提出が義務づけられたみたいです。一部の生徒のみが使用してしまうことがないように、ですかね」
「へぇ」
大人が手にしても大金だ。子供に簡単に渡してしまえる金額でないことを認識しているのならば、それも少しは抑止効果になるかもしれない。
「はい、西岡先生もこれつけてくださいね」
「やっぱりか。これをつけると今日一日なんでも屋にならないといけないんだよな」
間宮に差し出された腕章を見下ろし再びため息が出てしまった。生徒会は文化祭の本部になるので、その役割は多岐に亘る。文化祭実行委員の管理も出店クラスも、そして生徒も取りまとめなくてはいけない。
「面倒なところは私と生徒会が引き受けるので、西岡先生は巡回に集中で大丈夫ですよ」
「いや、こんなところで甘えるわけには行かないからな。ちゃんと役割まっとうするさ」
間宮を筆頭に、生徒会はなんだかんだと僕を甘やかしてくれる。普段はそれについ寄りかかってしまうのだけれど、今日ばかりはそうもいかないだろう。みんな休みなどとっている暇もないくらいに忙しくなるだろうことが想像できる。
「気負わずちょっと楽しむくらいで頑張ってください」
「そうだな」
「じゃあ、なにかあったらお渡しした携帯電話で内線お願いしますね」
「了解」
笑顔で颯爽と歩いていく間宮の姿を見て、ずいぶん成長したんだなと思わず感慨深くなってしまった。しかしいつまでも右も左もわからない後輩というわけではないのは当然か。少しばかり寂しくも感じたけれど、成長するのはいいことだと思い直して、校内地図を片手に僕も足を踏み出した。
「ほんと盛況だな」
行く先々で賑やかな声があちらこちらから聞こえてきた。どのクラスもそこそこ人が入っていて、閑散とした雰囲気のところは見かけない。これだけ人が溢れていればお祭りとしては成功と言ってもいいだろう。
「西岡先生!」
「頑張ってるか」
廊下を歩いていると、ひょっこりとタイミングよく教室から顔を出した女子生徒が二人ほどこちらに駆け寄ってきた。
「寄って行ってー!」
「悪いな、先生は見回り中だ」
無邪気に腕を絡めてくるその勢いに驚いてしまうが、いまの子は意外と他人に対するパーソナルスペースが狭い。しかしべったりとくっついているわけでもなく、ここで無理に引き離すのもなんとなく突き放すようで可哀想なので曖昧に笑ってしまった。
「西岡先生、最近は生徒会に関わること多いね」
「ああ、そうだな」
「ねぇ先生、写真一緒に撮ろうよ」
至極楽しげな笑顔を浮かべてデジタルカメラを取り出した生徒に、僕はこのあと何度となく足を止められた。カメラで生徒たちを撮ってあげたり、みんなと一緒に写真を撮ったり、ただ見回るはずが賑やかな中に巻き込まれて、ちょっとだけ祭りを満喫した気分になってしまう。
去年までは裏方で電話番や事務処理などをしていたから、こうして文化祭の表舞台を見るのは久しぶりだ。
「僕もカメラ持ってくればよかったな」
学校で契約したカメラマンは回って歩いてくれているだろうが、みんなの無邪気ではつらつとした笑顔は自分の手で写し撮りたい気分にさせられた。
「さて、この階は問題ないから下の階に行くか。あ、利用の少ない教室や階段はたむろしている生徒がいないか確認、だっけ」
使っている教室と未使用の教室がある場所では格段にひと気の有無は違う。ここ最近は問題行動など起きていないが、祭りに浮かれてうっかりなにかをやらかす生徒がでないとも限らない。念には念を入れてというわけだ。
賑やかな声を背にすると、僕は未使用の教室を見て回ることにした。
「こういう誰もいないところでサボりたくなるのはわかるな」
賑やかな分だけ喧騒から離れた静けさが恋しくなるのはなんとなくわかる。静寂の中から賑やかな風景を見下ろすのもそれはそれで楽しいものだ。
少しばかり感慨深くなりながら教室を見回していると、ポケットの携帯電話が震えた。生徒会用の携帯電話は首から提げているので、鳴っているのは自分のプライベート用だ。短い着信だったのでメールだろう。
「明良かな」
顔を出すと言っていたし着いたのだろうとメールを開くと、案の定それは明良からだった。思ったよりも早い時間に来たなと思いながら、待ち合わせしやすい場所を伝えるべく返信をする。
そして残りの教室を足早に見て回り、僕は明良が待っているだろう場所へ向かうために階段に足を向けた。
階下から聞こえてくる賑やかな話し声、それにその時の僕はすっかり気を取られていた。だから自分の背後に人が立っているなどまったく予想もしていなかった。
「ん?」
なにかを振り上げたような自分を覆う影で、僕はようやくその気配に気がついた。とっさに振り返るが、廊下の窓から差し込む光と人陰で相手の顔は見えなかった。
「西岡先生!」
「危ないっ」
振り下ろされた棒状のものが僕の額を強く打った。鈍い痛みと共にめまいがしてよろめいた僕の身体は後ろへと傾いた。そのまま階段を転がり落ちることを想像して身を固めたが、階下から走り寄ってきた生徒たちに僕の身体は受け止められる。
「おい、お前」
「あ、ちくしょう待て」
階段の上にいる犯人はしばらくその場に立ち尽くしていたが、階下から来た生徒が声を上げると、弾かれるようにして走り出した。そのあとを僕を支えていた一人が追いかけた。
「西岡先生、大丈夫?」
「ああ、うん。なんとか」
ズキズキと痛む頭を抑えながら、僕は去っていった犯人のことを考えていた。顔ははっきりとはうかがえなかった。けれど――その人物は男子の制服を着ていたのだ。
だがいくら考えても生徒に殴られるようなことをした覚えはない。それ以外でなぜと考えれば、電車のホームや歩道橋のことを思い出す。しかし思い出しはしたが、まさかという意識が強かった。
薄れていた記憶を思い起こしてみても、歩道橋で見た人陰は先ほどの去っていった制服の子と同一人物ではない気がした。
「わけがわからない」
まったく一貫性を感じさせないできごとに、僕の頭はさらに痛みが増した。
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