明良の家に来るのはかなり久しぶりだ。今年の初め頃に明良がこのマンションを購入して、引越しの手伝いをしに来た時以来かもしれない。あの時はまだ荷物があってそれほど感じなかったが、ここはなかなか広い部屋だと思う。
一人暮らしだがファミリータイプの2LDK。玄関から繋がる廊下を抜けた先にリビングダイニングがあり、一面が大きな窓で日中とても明るくて、冬でも随分と暖かかったと記憶している。
「夜なのにカーテン閉めないのか」
廊下とリビングを仕切る扉を抜け部屋に入ると、大きな窓にカーテンは引かれておらず、ぼんやりとした外の明るさが窓の向こうに見えた。
「この辺は建物が低いし、気にするな」
「お前、もっと気にしろよ」
「鍵は閉めてるから大丈夫だ」
肩をすくめてリビングのローテーブルにコンビニで買ってきたものを置くと、明良は中から缶ビールを取り出しそれを開けた。そして三口、四口ほど缶を傾けるとそれを飲み干してしまう。
相変わらず酒の飲み方が水のようだ。そんな様子を眺めつつ僕も買い物袋に手を伸ばし、一緒に買ってもらったお茶のペットボトルを取り出した。そしてテーブルの傍に腰を下ろしてペットボトルの蓋を捻った。
「それで確かめたいことってなんだ」
「んー、それな」
なんだかはっきりとしない曖昧な返事をしながら、今度は煙草に火をつけると明良はリビングの窓を開けた。もう十一月に入ったので、さすがに夜は肌寒い。ひんやりとした風が吹き込んできて、思わず身を縮めるように膝を抱えてしまった。
寒いと文句を言いそうになったが、普段から明良は家の中では吸わないのだろう。ベランダに置かれたサンダルを足に突っかけながら外に出ていった。
普段見ている限り明良はヘビースモーカーと言うほどではないが、少し煙草の本数は多いほうだと思う。ヤニや臭いを気にしているのだろうか。
「いつも外か?」
「ああ、部屋に煙草の臭いが付くのが気になってな」
「空気清浄機でも置けばいいのに、冬は寒いだろ」
「最近は家ではそんなに吸わねぇのよ」
数分ほど煙草に火を灯していた明良は、外に置いてある灰皿で短くなったものをねじり消した。
「お前さ、学校ではなにか気になることとか変わったことはねぇの?」
「変わったこと?」
ひんやりとした空気と共に部屋に戻ってきた明良を僕は首を傾げて見つめる。ここ最近のことを思い返しても、学校ではこれといった変化はない。しばらく考え込んでから、僕は今日のことを思い出す。
「変わったことといえば、今日あれから写真が僕の机に置いてあったんだ」
床に置いていた鞄を引き寄せて僕はしまいこんでいた封筒を取り出した。さし伸ばされた手に渡すと、明良はその写真を見ながら小さく唸った。
「ほかには? 今日だけに限らずなにかないか」
「いや、特にないと思うけど」
今日の出来事のほかに思い当たるようなことはこれといって思い浮かばない。しかしなぜ明良は学校にこだわるのだろう。
「学校の誰かに今日ここに来ること言ったか? 彼氏以外な」
「え? 藤堂以外? うーん、言った相手は一人いるけど、なにかまずかったか?」
「いや、別にまずくはない。そいつの連絡先とか知らないか」
「は? 連絡先? なんでだ?」
なにをどうしたらその結論に到達するのかがわからない。思わず訝しんでしまったのが顔に出たのか、明良はふっと息を吐いて肩をすくめた。
「今日学校でお前に会ったあとからずっと、学校出るまで視線感じてな。お前誰かにあとつけられてないか?」
「あとをつける? って、まさか。そんなことするようなやつじゃないぞ」
学校の人間で今日ここに来ることを伝えたのは、一人だけだ。その相手にあとをつけられているなんて、考えも及ばなかった。大体なんのためにそんなことをするのだ。
「いまここで確認しておきたいことがあんだよ。俺の気のせいだったならそれで納得する」
「けど確認するって」
「電話してくれればいま確認できる」
真剣な明良の表情に言葉が詰まってしまう。その表情を見れば冗談やいい加減な考えで言っているわけではないことはすぐにわかる。そもそも明良がそんなことをする人間ではないのはよくわかっているつもりだ。
けれど思い浮かべる相手もそんなことをするやつではないと思えてならない。しかし電話一本で解決するならば、ここは明良の言葉に従ったほうがいいだろう。
「わかったよ」
「よし、じゃあとりあえずこれから会えないかどうか聞いてみろ。とにかく俺がいいって言うまで電話切るなよ」
「う、うん。わかった」
少し勢いに気圧されるように携帯電話を取り出すと、僕は電話をかけることにした。向こうも用事があると言っていたし、これから会うなんてできないだろう。うまく誤魔化して電話を切ればいい。そう思いながら電話帳にある番号を表示し、通話ボタンを押した。
「絶対切るなよ」
「え? 明良どこに」
携帯電話を耳に押し当てた僕をよそに、明良は急に立ち上がると部屋を出ていこうとする。どういうことかと聞きたくても耳元では呼び出し音が鳴り始めた。そして慌てる僕をおいて明良は部屋を出ていくどころか、玄関を過ぎて出ていってしまった。取り残された僕はと言えば、頭が混乱していた。
「もしもし」
一人で慌てふためいているうちに電話が繋がってしまった。耳元から聞こえてきた声に思わず驚いて飛び上がってしまう。
「あ、もしもし」
いざ電話が繋がると余計に頭が混乱する。しかしここで電話を切るわけにもいかないので、僕はひたすらに話のきっかけを考えた。
「どうかしましたか」
「いや、あの、急に悪い。その」
いま大丈夫か、などと聞いて手が離せないと返されたらおしまいだ。喉まででかかった言葉を飲み込んで僕は別の言葉を探した。
「あのさ、いまから会えないか」
言葉を探した結果、直球で聞くしか答えが見つからなかった。下手にあれこれ言葉を遠まわしにしても、僕はさらに言葉に詰まるだろう。一体どのくらいこの会話を繋いでいればいいのかわからないし、相手は話を持ちかけてすぐに返事ができるタイプではない。
「え? え? ど、どうしたんですか?」
「ちょっと会って話したいことがあって」
僕じゃなくて明良が、だけれど。それにしても随分動揺しているな。いや、急にこんなことを言われては誰でも驚くか。普段の僕がいきなりこんなことを言うのは滅多にない。いや滅多にどころかないだろう。
「あー、えーと、電話じゃ難しいことですか」
「そうだな電話じゃなく直接話したい」
「直接、ですか」
なんだろう。急に声が小さくなったな。誰かと一緒にいてその場で電話をとってしまったとかなのだろうか。なんとなく早く電話を切りたがっているような気配がある。
「あのさ、間宮」
「うわっ」
「え?」
いまどこにいるんだと聞こうとしたら、急に間宮がなにかに驚いたような声を上げた。その声に僕までも驚いてしまって、言葉が喉奥に詰まってしまう。
「間宮?」
なにやら電話の向こうの音がおかしい。マイク部分をなにかで覆っているような、がさがさという雑音が聞こえる。しばらくその音に耳を澄ましていたら、なにかを言い合うような声が聞こえてきた。
「もしもし? 間宮?」
「……あ、佐樹か? とりあえずそのまま待ってろ」
「え? 明良?」
もみ合うような物音が聞こえて電話の向こうにいる間宮に呼びかけた。しかししばらくして聞こえてきたのは聞き間違えようもない明良の声だった。
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