新崎先生からの連絡を待ったが、その日に折り返しの電話はかかってこなかった。連絡があったのは翌日になり、藤堂の見舞いにでも行こうかと出かける準備をしていた時だ。話したいことがあるから学校に来て欲しいと言われた。
わざわざ呼び出されるということは、電話で済ませられる話ではないということだ。これからのことを考えると少し胸が苦しくなるが、いつまでも不安がっているわけにはいかない。
それに話を聞いてみないことにはなにも始まらないし、もしかしたらまったく関係ないことかもしれない。
「いまは昼休みか」
連絡をもらった僕は早速行き先を変更して学校へと来た。久しぶりの学校は相変わらずで、昼休みということもありのんびりとした雰囲気だ。廊下で通りすがる生徒たちと挨拶を交わして僕はまっすぐと職員室へと向かった。
「ああ、西岡先生よく来てくれましたね」
職員室に着くと顔を上げた新崎先生とすぐに視線が合った。よほど僕を待っていたのか、僕の顔を見た途端に席を立ちこちらへやって来る。
「早速で悪いのですが、いいですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
どこか少し慌てた様子の新崎先生。いつも落ち着いた雰囲気で取り乱すようなこともないのに珍しいこともあるものだ。話の内容はそれほど急を要することなのか。少し胸がざわついた。
「あの、話ってなんですか?」
職員室を出た僕たちは隣にある応接室に入った。勧められるままにソファに腰かけた僕は、目の前で同じようにソファに座った新崎先生を見つめる。すると新崎先生は一通の封筒をテーブルの上ですべらせ僕に差し出した。
「手紙、ですか?」
僕は封筒をじっと見つめ息を飲んだ。定形の大きめの茶封筒で赤い速達の文字が見て取れる。手紙の宛名は新崎先生になっていた。新崎先生に宛てたこの手紙は僕に一体なんの関わりがあるのだろうか。
「中を見ても、いいですか?」
「もちろん」
新崎先生の返事を聞き、僕はゆっくりと封筒に手を伸ばす。持ち上げたそれはとても軽く、封筒の中身は特別なものが入っている様子ではなかった。なにげなくウラ面を見るが、そこに名前は書かれていない。
「失礼します」
封筒の中を覗けば折りたたまれた紙が一枚。それを指先で抜き取り僕は恐る恐るそれを開いた。
「退学、届? ……え?」
開いたそれに書かれていた文字を見て思わず首を傾げたが、氏名欄に記載された名前を見て僕は目を見開いてしまった。予想もしないその名前に紙を掴む指先に力が入ってしまう。
「どうして、藤堂が退学届なんか」
書面に書かれた名前は見間違いようもない藤堂の名前だった。日付は一昨日になっている。速達だからこれが届いたのは昨日か。しかし昨日もその前もそんな話は一言もしていなかったのに、なぜ藤堂は退学届なんかを出したのだろう。
「西岡先生も知らないんですね」
「あ、すみません」
そうか僕が教師の中で一番藤堂と親しくしているから、この届け出の理由を知っていると思ったのか。なんだかなにも知らなかったのがひどく歯がゆい。
「いえ、構いませんよ。昨日の夕方に私も話は聞いてきたのですが、はっきりとした答えは得られなかったんですよ」
「そうだったんですか」
僕に電話をしたあとに病院へ行っていたから、昨日のうちに折り返しの連絡がなかったのか。それにしても藤堂が学校を辞めなくてはならない理由とは一体なんだろう。
まだ学校には僕たちのことは知られていないようだし、ことを急ぐ必要もない気がするのだが。それともほかになにか原因があるのだろうか。
「それで藤堂はなんて言ってたんですか?」
「辞める必要がこれから出てくるからと」
「これから?」
一体これからなにがあるというのか。藤堂の身の回りでなにが起きているのだろう。思い悩んでいることと関係があるのだろうか。わからない知らないことばかりでもどかしくて不安になる。藤堂が考えていることがわからなくて、ひどく気持ちが焦ってしまう。
紙を掴んだ自分の手が震えるのがわかる。また一人で全部背負い込もうとしているのか。藤堂にとっての僕は、いったいなんなのだろう。
「藤堂は、ほかになにか言っていませんでしたか?」
「ええ、話してくれました。そのことで西岡先生に確認したいことがあります」
「え?」
藤堂が話したことで僕に確認を取ること――ふいに思い浮かんだのは一つしかなくて、心臓が大きく跳ねる。けれどまっすぐに僕を見つめる新崎先生の真剣な眼差しから、視線を離すことはできず、息を飲んでその目を見つめ返した。
すると新崎先生は手にしていた二つ折りのファイルを僕に差し出す。テーブルに置かれたファイルを手に取ると、僕はしばらくそれを見つめ動きを止めてしまった。
「今朝、校長宛てに送られてきたメールです」
新崎先生の声に背中を押されるように僕は息を詰めながらファイルを開いた。ファイルに綴じられていた紙は二枚、メールをプリントアウトしたものだ。書かれている文面を目で追い、添付された画像を目に留めると僕は大きく肩で息をした。
それと共に張り詰めていたものが一緒に外へ押し出された気分だ。危惧していたことが表に現れたのに、気持ちはなぜか落ち着いていた。
書かれていた文章を要約すると、学校の男子生徒と恋愛関係を持つ僕を早急に辞職させろという内容だ。それと共に添付されているのは藤堂と写っている写真。藤堂の顔はぼやかされているが、見る人が見ればすぐにわかるだろう。
肩を並べているもの、手を繋いでいるもの、二人抱きしめ合っているもの。どれも見覚えがある。僕に送られてきた写真に混じっていたものと同じだ。ということはこれを送ってきた人物は藤堂の母親の協力者か。
「これに書かれていることは事実ですか?」
「……間違いありません、事実です」
問いかけられた言葉に僕はよどみなく答えていた。新崎先生には嘘はつけない。それに新崎先生は確認と言っていた。もし藤堂から僕とのことを聞いているのなら、嘘を言ったところでそれはすぐにバレてしまうだろう。
僕と新崎先生の付き合いは長い。僕が嘘がうまくないこともよくわかっているはずだ。
「相手は藤堂で間違いないですか?」
「そうです。藤堂です」
あんなに不安だったのに、言葉にしてしまえばもう恐れはなかった。隠していることを知られるのが不安だったんじゃなく、僕は黙っていることが後ろめたかったのかもしれない。
藤堂とのことは僕にとって後ろ暗いことではない。年甲斐もなく、教師でありながらと非難されたとしても、藤堂は僕にとってかけがえのない存在だ。代わりになる人なんてどこにもいない。そのことを言葉にできないことのほうが辛かったんだ。
「西岡先生、もしかしてこの仕事を辞めるつもりでいますか?」
「そうですね。もしもの時はそう考えていました」
藤堂と付き合うと決めた時にそうしようと決めていた。その時が来たらきっぱりとこの仕事を辞めようと、そう思っていた。運よく藤堂の卒業まで過ごせたらいいなと思ったりもしたけれど、明るみに出た時は無駄なあがきはしないと決めた。
もしも相手が藤堂であるとバレた時に藤堂の処分が少しでも軽くなるようにしたいと思ったからだ。
だからいまがその時だというならば、僕はなんの迷いもない。
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