藤堂がいなくなってから、時間はあっという間に流れた。そしてなにも進展がないまま一週間が過ぎてしまった。僕は相変わらず学校を休んでいる。
校長宛てに送られてきたメールの件が片付いていないためか、自宅待機という名の自宅謹慎になっていた。いつ学校に復帰できるかはまだわからない。
そんな藤堂にも会えず、することもない退屈な日を過ごしていたある日――来客を知らせるチャイムが部屋の中に響いた。平日の昼間に訪ねてくる人など珍しい。なにかの勧誘だろうかと、少し重たい腰を上げてドアフォンの通話ボタンを押した。
「こんにちは」
小さな画面に映し出されたのは見覚えのある人物。常に眉間にしわが寄ったしかめっ面の強面は警察の野崎さんだ。その後ろでちらちらと画面に映っているのは館山さんだろうか。
「こんにちは、今日はどうしましたか?」
この二人が訪ねてくる理由など事件のほかにないのだが、招き入れるべきなのかこのままで話が済むのか判断がつかない。
「西岡さんにお知らせしたいことがありまして。学校にお伺いしたらお休みされていると聞いてこちらに来ました。お時間少しよろしいですか」
「そうですか、わかりました。どうぞ上がってきてください」
少しお時間くださいというのはやはり決まり文句なのだろうか。しかしわざわざ昼間に学校へ行くくらいだから、なにか急ぐ話があるということだろう。僕はエントランスの自動ドアのロックを解除し、来客を招き入れるべくお茶の準備をすることにした。
エントランスから部屋まで数分だ。お湯を沸かしているうちに野崎さんと館山さんは部屋に到着した。いつものようにリビングに通し、ソファに座った二人の元へお茶を運ぶ。
「なにか進展でもあったんですか?」
テーブルに湯呑みを二つ置いて向かいのソファに座れば、二人は小さく会釈をする。話を促すように声をかけて、僕は小さく首を傾げた。
僕と藤堂の事件でまだ解決していないことと言えば、事件の共犯者と現場を立ち去った二人のことだ。
「事件が解決しました」
「え? それはどういう意味ですか?」
まっすぐとこちらを見る野崎さんの視線に僕は状況を飲み込めず固まってしまった。先ほどの二件が片付いたと言うことなのか。
「現場を立ち去った二名と、事件の共犯者とされていた人物を逮捕し身柄を拘束しました」
「共犯者って、藤堂の伯父のことですよね? なにか証拠が出たんですか?」
推測だが藤堂の言っていたことや学校へ届いたメールなどから考えて、藤堂の母親の共犯者は伯父の川端だろうと思っていた。けれど彼は直接すべての事案に手を下すことはしていない。捕まったという二人も口を割るとは思えないのだが、どういうことなのだろう。
「そうです。捕まえたのは川端雅明。貿易商社の会長をしていて、表向きは支援団体や学校法人に寄付を行っている慈善家です」
険しい顔をしている野崎さんの横で、上機嫌な様子で笑みを浮かべる館山さんが両拳を握り、嬉々として話し始めた。その様子にますます眉間のしわが深くなった野崎さんだったが、口を引き結び押し黙る。自分が語るよりも早いと思ったのだろうか。
「しかし実情は金品を送る代わりに機密情報などを得て、それを裏で売買したり、情報操作したりしていたんですよ。取り引き相手は政治家や公共団体、会社役員など。贈賄罪、インサイダー取り引きにも接触しています」
「すみません、難しくてよく理解できてないのですが、別件逮捕ですか?」
ニュースや新聞でなに気なく見聞きしたことのある罪名だが、いざそれについて詳しく語れと言われると難しい。
「犯罪教唆、ほう助についてはこれから突き詰めていきます」
突然のことに頭がついていかない。要するに僕たちの事件で捕まえるには証拠が足りなかったと言うことか。しかしこの別件逮捕は館山さんの口ぶりだと最初からそのつもりだったのかもしれない。以前言っていた、犯人に近づいているというのはこのことだったのだろう。
「捕まえたと言っても、まだ僕たちの事件については完全に終わったわけではないんですね」
「それは時間の問題です。川端雅明は藤堂彩香にベタボレなので、彼女に罪名がつくことをなんとしても避けるでしょう。なので自分が捕まることは厭わないと思います」
それは初耳だ。そこまで藤堂の伯父は藤堂の母親に惚れ込んでいたのか。だから彼女が望むままに僕を排除しようとした。そういうことなのだろうか。
「藤堂の母親は精神鑑定にかけられているんですよね」
「おそらくこのまま行けば無罪です。いまは自分の名前すらわからない状況なので」
「でも無意識の中に、大事なものを自分から奪う相手を排除したいという気持ちはあったんですよね」
愛情の示し方はかなり歪んでいたが、母親は藤堂のことをかなり溺愛していたと思う。だから彼女は思い描く道を藤堂が歩かなくなったことが許せなかった。そしてその原因を作った僕を消し去りたかったのだろう。そして夫を繋ぎとめている女性も消してしまいたかった。
「結局は藤堂の伯父が罪を被る形で終わるんですね」
「被ると言っても実際の黒幕は川端雅明ですよ。西岡さんの事故や事件も、藤堂彩香の殺人未遂も、あの男がいなければ起きなかったんです」
「そう、ですね」
なんとなくすっきりとした終わり方ではないが、ひとまずは安心していいのだろうか。藤堂の伯父もあの二人も捕まったのだから、もう僕は怯えて心配することもない。
「そういえばうちの高校も川端さんと親しかったようですが、なにか罪に問われることはあるんですか?」
「西岡さんの勤めている高校は私立ですので、理事長も職員も公務員ではありません。ですので収賄罪も贈賄罪も成立しません」
懇意にしていた理事長などはどうなるのかと思ったが、野崎さんが重い口を開いてくれた。しかし顔をしかめて難しい表情を浮かべているところを見ると、罪に問われないだけの話なのかもしれない。
裏でどんな取り引きが行われていたかまではわからないが、生徒たちに悪影響が出ないのならばそれでいい。取り引き相手が捕まったとなれば、それ以上なにかを企むこともないだろう。
「これで全部終わったことになるんでしょうか」
「そうですね、形だけですが」
全部が終わったのだとしてもすべてが元通りになるわけではない。これから先どうなるのかまだわからないことだらけだ。藤堂はこの結末を知ったら帰ってくるだろうか。これでもう藤堂が伯父に振り回されることもなくなるのならいいのだが。
「職場には、復帰できそうですか?」
「あ、いまのところまだわかりません」
ふいに問いかけられた言葉で、自分自身も宙ぶらりんであることに気がついた。言葉を濁して苦笑いを返したら、野崎さんは「そうですか」と困ったように目を伏せた。もしかしたら学校で僕が学校に登校できない理由を聞いたのかもしれない。
「あの、野崎さんや館山さんのせいで学校に行けなくなったと言うことではないので、大丈夫ですよ。僕が選択した結果です」
「その選択を後悔は?」
「していません。藤堂のことが好きになれて、一緒にいられて本当に幸せです。だからこの先も、一緒にいたいと思っています」
藤堂を選んだことを後悔するはずがない。寂しい辛い切ない思いをしたって、一緒にいる時の幸福感に変えられるものはない。離れてそれは余計に感じた。いくら考えても思い出すのは楽しかったこと、藤堂の笑顔だ。
「そうですか」
野崎さんは僕と藤堂の関係を気にしていたけれど、こういった現実的な問題を気にしていたのかもしれない。
はっきりしない僕を見て、その曖昧な態度が弊害になるんじゃないかと危惧していたのだろう。だからきっと僕たちの関係をしっかり認めさせたかった。いま思うとそんな気がする。
野崎さんの眼差しをまっすぐに見つめ返すと、小さく息をつく。けれどその目に呆れなどはなくて、ほんの少し笑みが浮かんで見えた。
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