別離22

 僕の答えに口元を緩めた野崎さんは、それを誤魔化すように湯呑みを持ち上げる。そして静かにお茶を飲みながら、またふっと息をついた。それに僕が小さく首を傾げると、視線を持ち上げてまっすぐに僕を見る。野崎さんはいつもまっすぐに人を見据える人だ。
 そっと湯呑みを戻す仕草を見つめれば、真剣な視線を返された。

「色々と大変だと思いますよ」

「はい、でもどんな結果が出ても僕は大丈夫です」

 最悪な結果――それがもし来るとしたら藤堂と別れる時だ。それ以外の結果はまだ耐えられる気がしてる。

「西岡さんは強いですねぇ」

「え?」

 湯呑みを片手にのんびりとした声で呟いた館山さんは、なぜか野崎さんを横目でちらりと見る。そして長いため息を吐き出した。そんな館山さんの様子に野崎さんは少ない表情をますます消して口を引き結んだ。

「自分の知り合いにもゲイの人がいるんですけどね」

「えっ?」

「その人は好きって言葉はおろか、好きな相手の目も見ない有様なんですよ。もういい加減、相手も気づいてるんですけどね。それでもいまだになにも言わないんすよ。それってどう思います?」

 突然の打ち明け話に驚き戸惑っていると、館山さんは僕の顔を見ながら小さく首を傾げる。その表情は心底不思議そうで、理解ができないと顔に書いてある。

「え? えーと。あ、うーん。きっと不器用な人なんですよ。相手のこと大事に思ってて言えないのかもしれないし、同性相手の恋愛って簡単に口に出してしまえるものでもないし。その相手が少しでも応える気持ちがあるなら、その人にアクション起こしてあげればいいんじゃないかな。そうでなければそっとしておいてあげてもいいと思いますけど」

 不自然なほど押し黙っている様子から察するに、不器用な人は野崎さんで間違いないだろうが、相手は誰なのだろう。これはもしかしなくても目の前の二人のことなんだろうか。
 そういえば野崎さんは館山さんのほうを向いて話すことがほとんどないような気がする。しかしもしそうだとしたら、館山さんがこんなことを聞くくらいだから脈があるってことじゃないのか。

「お互い好きでその気があるなら、どこかで向き合えるんじゃないですか」

 推測でしかないから本当のところはわからないけど、人の恋路はうまくいけばいいなと願ってしまうものだ。固まったように動かない野崎さんとのんきにお茶をすする館山さんの様子に思わず笑ってしまった。

「おい、無駄話は終わりだ。そろそろ行くぞ」

「了解っす。お茶ごちそうさまでした」

 いきなり立ち上がった野崎さんに、僕は驚いて肩を跳ね上げてしまう。しかし湯呑みをテーブルに戻した館山さんは、両膝に手を当てのんびりと立ち上がった。そして僕に向かって丁寧に頭を下げる。

「もうお会いすることないと思いますけど、これから先も頑張ってください」

「ありがとうございます」

 思わぬ激励を館山さんから受けて嬉しくなってしまった。頭を下げ返すと、野崎さんもその場でこちらに向かい頭を下げた。正直会うたび少し面倒だなと思っていたが、僕はいい人たちに出会ったのかもしれない。

「では自分たちはこれで」

「失礼します」

「色々とお世話になりました」

 事件から今日まで三週間と少しくらいだろうか。これは早期の解決なのか、それともこのくらいは普通なのか。よくわからないけれど、僕の中ではあっという間の出来事だった。
 玄関先で二人を見送り扉が閉まると、急に部屋の中がしんとして一人を実感してしまった。なに気なく暮らしているこの空間が、たまにものすごく広く感じる時がある。いまもまさにそうだった。

「人に会わないのはよくないな」

 家にこもって人と会わないままでいるのはよくないなとしみじみ思ってしまう。学校にいるとたくさんの人と触れあうことができるけれど、家に一人でいると会話がない。
 学校で引きこもっていた時期もあったが、それでも少しは生徒たちと会話をしていたし、いまと比べると身近に人がいるという大きな違いがある。

「実家に電話したら心配されるし、夜に明良にでも電話しようかな」

 怪我がよくなったら学校に復帰するのだと母親には話していたし、まだ休んでいると知れたら余計な心配をかけてしまう。その点、親友である明良は何度か電話をもらい現状を話し相談をしている。
 僕が学校を辞めるつもりでいると言ったら怒っていたけれど、それでも話はちゃんと聞いてくれるのがあいつのいいところだ。

「あー、それにしても、藤堂がいないと僕はずぼらに逆戻りだな」

 テーブルの上の湯呑みを片付けてキッチンでぼんやりしていたらお腹が鳴った。そういえば朝からなにも食べていない。もうお昼はとっくに過ぎて十五時を回っていた。
 昨日の夜もなにも食べていなかったような気がする。けれどさらにその前のことを考えるとうな垂れてしまうので、それは気づかなかったことにした。

「んー、なにもないんだよな」

 藤堂の手料理がなくなり、母親も実家に帰り、すっかり藤堂に会う前の食生活に戻ってしまった。冷蔵庫の中身は見なくてもわかる、空っぽな状態だ。
 こんな時だからこそちゃんと食べて健康でいなければと思うのだが、基本自分に関してはものぐさな性格で、身体が要求しないと食べる気にならない。

「こんなじゃ駄目だよな」

 藤堂に会ったら怒られてしまうかもしれない。痩せたりするとすぐに気づかれるんだ。それでもっと栄養つけないと駄目だって昼ご飯や夜ご飯が豪華になる。藤堂が作るものはなんでもおいしいから、いつも残すことなく食べられる。

「最近はおいしいって感じること少ないな」

 毎日出来合いのものやカップラーメンばかり食べているから余計なのかもしれないが、ご飯がおいしいと感じない。

「駄目だ! これは落ち込んでる。外に出よう。外でご飯食べよう」

 ぼんやりとしたまま気持ちが沈んでいくのを感じ、大声を上げて気持ちを紛らせた。家に一人きりなのがやはりよくないのだ。
 外に出て人の会話を耳にするだけでも気分は違うかもしれないと、僕はキッチンを飛びだし身支度を始めた。幸い近所には食べ物屋は多い。なにかしら食べようと思えるものが見つかるだろう。

「あれ、携帯どこにやったかな」

 ダウンジャケットを羽織り、財布をズボンのポケットにねじ込んで、僕は見当たらない携帯電話を探し部屋の中を歩き回った。普段はキッチンの前にあるカウンターに置いておくのだが、その近くにはなかった。

「あ、そうだ。充電がないから寝室に持っていったんだ」

 リビングを一通り見て回ってからようやく携帯電話のありかを思い出した。昨日の晩に充電をし忘れていたので、午前中に部屋に持っていったのだった。用事がない限り携帯電話を触ることがないのですっかり忘れていた。
 リビングと寝室を区切る戸を引いて中を覗くと、机の上に携帯電話が置いてあった。

「あれ? 着信があるな。誰だろう」

 電話の着信を知らせる青いランプが点滅している。なに気なく開いてみるが留守番電話にはメッセージは残されていない。かけてきた人物を確かめようとボタンを押した僕は、思わぬ着信相手を目に留めて一瞬息が止まったような気がした。

「嘘……藤堂?」

 着信時刻は三十分ほど前。着信履歴に表示された名前は見間違えようがないものだった。しかし慌ててリダイヤルしてみるがやはり電話は繋がらない。一気に途方に暮れた気分になる。

「繋がらない、か。まだ伯父さんのこと知らないだろうしな。もう隠れたりしなくてもいいってこと伝えてやりたい」

 いまどんな状況で過ごしているのだろう。電話をくれたと言うことは僕からのメッセージを見てくれたのだろうか。気持ちが少しでも伝わってくれたらいいのだけれど。

「またいつでも連絡してくれってメールしとこう」

 繋がらなかったことを気に病んで電話がこないのは困る。予防線を張っておこうと、僕は連絡を待っていることを伝えるメッセージを送信した。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!