ひたすら二人で抱きしめ合って、お互いに腕の中に閉じ込める。それだけで切なさに染められていた心は少しずつ満たされていく。これから残された時間の中で、あふれるくらいに藤堂を心の中に詰め込もう。
いつでも思い出せるように、泣き言なんか言わないように。そして藤堂が僕を忘れてしまわないように、何度も想いを伝えておこう。藤堂の中も僕で満たしてしまいたい。
「佐樹さん身体ちょっと冷たくなってきた。寒くない?」
「大丈夫だ」
そっと髪に頬ずりされてくすぐったさに肩をすくめたら、首筋に唇が触れた。思っているよりも熱を感じるその感触に、驚いて大げさなほど肩を跳ね上げてしまう。
先ほどまで火照ってい身体は、ほんの少し外気にさらされ冷めてしまったかもしれない。抱きしめ合っていたから気づかなかったけれど、それを感じたら無意識に肩が震えた。
「風邪引くよ」
「あ、こっち見るな」
柔らかな白いブランケットを引き寄せた藤堂は、僕の身体を覆うと両腕で抱きしめてくれる。そして顔を覗き込もうと顔を傾けた。それに気づいた僕は慌てて身をよじり、藤堂に背を向ける。
惚けて緩んだ顔まで見られそうで恥ずかしかった。先ほどまで散々、口づけも行為もねだっていたのだから、今更なのだが素面に戻るとやはり羞恥心のほうが強くなる。
「佐樹さんのうなじ色っぽいね。肌が白いから赤くなってるとすぐわかる」
「変なことばっかり言うな」
後ろを向いたことでまた辱められるとは思わなかった。気恥ずかしくなって俯き膝を抱えたら、ふいにブランケットの隙間から覗く左手をすくい上げられた。
「藤堂?」
「指輪、たまにはしてくれてますか?」
ぽつりと呟いた藤堂は僕の薬指を優しく撫でる。そしてなにもないそこを、少し寂しそうな顔で見つめていた。その横顔に胸をぎゅっと鷲掴まれるような思いがする。
「してる! 学校以外はずっとしてる。でも今日は荻野さんに会うのに、変に主張してるみたいでおかしいかなって思って、外してたんだ」
こんなに寂しそうな顔をさせるなら気後れせずにつけていればよかった。指先を撫でる手を握り返したら、藤堂は僕の首筋にすり寄り優しくそこに口づけてくれる。
「奈智さんに会ったんですか?」
「ああ、時雨さんにも会ったよ。二人がいなかったら藤堂に会えなかった」
「ふぅん、そう」
なんだか急に声がふて腐れて、ちょっとだけ藤堂は不服そうだ。あまり二人に僕を会わせたくなかったのだろうか。けれど自分が蒔いた種であることもわかっているのか、不満を言葉にはしなかった。
「二人に誘惑されなかった?」
「えっ?」
なぜそんなことを知っているのだろうと、驚きで心臓が大きく跳ねた。そんな動揺は悟られているのか、小さなため息が耳元に微かな息を吹きかける。肌を撫でるようなくすぐったさに肩をすくめたら、強くその肩を抱きしめられた。
「奈智さんの好みは佐樹さんみたいなタイプだし、時雨さんは嫌になるくらい見た目も性質も俺とそっくりなんですよ。だから簡単に二人の反応は想像できてしまうんです」
「時雨さんはあれだけ似ていると、お前の本当の父親は時雨さんなんだって言われても信じると思う」
「性格は全然違いますけどね」
「そこまで似てたら逆に怖い」
再び吐き出された藤堂のため息に、僕は思わず笑ってしまった。藤堂としては自分によく似た人を目の前にして戸惑うところがあるのかもしれない。でもそれはなんだか本当の家族って気がして、僕はいいと思う。
「本当に大丈夫だったんですか? 変なことされませんでした?」
「あ、うん。ちょっとだけ声をかけられたけど。僕は藤堂以外の男の人は無理だからちゃんと断ったぞ」
二人のあれは本気とも冗談ともわからないようなものだったけれど、意図を持って触れられていると思えば肩が震えた。藤堂以外の人からそんな風に意識されるとどうしたらいいのかわからなくなる。
正直言えば少し怖いとさえ思う。優しく髪を撫でられても、藤堂に触れられている時のような安堵はない。
「本当に? 時雨さんでも?」
「えっ? あ、それはその、確かに藤堂にはすごく似てるから、初めて会った時はかなり意識しちゃったけど。やっぱり藤堂とは違うし、触れられるとやっぱり違うって思うんだ」
「ほかの男に触らせたの?」
それはすべて不可抗力だったのだと、そう言ったら藤堂の機嫌は直るだろうか。それとも隙があることを怒られてしまうだろうか。恐る恐る藤堂の横顔を振り返ったら、ふっと小さく息をつかれた。
「すみません。いまのは嫉妬です。忘れてください」
「え?」
もっとなにか言われるかと思っていたのに、意外にもあっさりと藤堂が折れた。それに驚いてまじまじと目を見つめたら、気まずそうに視線がそらされる。けれど月明かりの下でも藤堂の頬が赤く染まっているのがわかった。
その顔を見て僕はにやけるように頬を緩めてしまう。藤堂がしてくれる嫉妬が僕を喜ばせるのだということに、まだ本人は気づいていないようだ。
「今回のことはすべて俺に非があるので、なにがあったとしても佐樹さんを責めるのは間違ってる。……でも」
「でも?」
「指輪はして欲しいです。ほかの男に会うならなおさら」
目を伏せながらぽつりと呟いた藤堂。その小さなヤキモチが心を浮き立たせるほどに嬉しい。先ほどよりも赤くなった頬に、僕はそっと手を伸ばして優しく撫でた。
するとそらされていた視線がこちらに向き直り、数センチ先で視線が絡み合う。そして小さく顔を傾けた藤堂の仕草に、その先を読んだ僕はそっと目をつむる。
やんわりと触れた唇に、僕の気持ちは跳ね上がるように高まっていく。
「うん、わかった。これからは外さないことにする。そうだ、藤堂」
「なんですか?」
「鞄を取りたい」
不思議そうに目を瞬かせた藤堂の腕を軽く叩くと、やや間をおいてから気づいたのかふっと笑みを浮かべる。そしてきつく抱きしめていた腕を解くとブランケットで僕をしっかりと包み、藤堂はベッドから下りて床に放って置かれた鞄に歩み寄る。
「はい、どうぞ」
「うん、ありがとう」
傍へ戻ってきた藤堂に目の前へ座るよう促すと、僕は手渡された鞄の中から小さな巾着とキーケースを取り出した。
「藤堂、僕の指にはめて」
キーケースから取り出したシルバーリングを手渡すと、僕は藤堂の目の前に左手を差し出した。すると藤堂はそっと僕の手を取り薬指に指輪をはめてくれた。
「じゃあ、藤堂も左手出して」
「え?」
「ほら、早く」
「わかりました」
まったく状況を飲み込めていない藤堂は、僕の一挙一動をじっと見つめている。僕はというと小さな巾着の中身を取り出し、藤堂の左手を取るとそれを薬指にあてがった。
「佐樹さん! これ」
「本当はクリスマス用に買ったんだ。でもいまかなって思って」
藤堂の薬指にはブラックプラチナの少し幅の広いデザインリングがはめられている。リングに刻まれたデザインはさほど派手さはなく普段使いできる範囲だと思う。藤堂の綺麗な長い指によく似合う。
「藤堂、向こうにいるあいだずっとつけていてくれよ。虫除けくらいにはなるだろう」
はめられた指輪をとんとんと指先で軽く叩き、僕はじっとそれを見つめている藤堂の顔を覗き込む。
「気に入らない?」
「そんなわけないでしょう! 佐樹さんからプレゼントをもらえるなんて夢にも思わなかった。外しません、ずっと」
「よかった。お揃いじゃないけど僕たちのペアリングな」
左手を持ち上げて藤堂の手のひらと合わせると、重なり合った指輪がカチリと音を立てる。それがなんだかひどく嬉しくて、僕はふやけきった笑みを浮かべてしまう。ようやく僕と藤堂を繋ぐものができた気がする。そう思うだけで心が勇気づけられた。
「うん、これで離れてても寂しくない。お前がいてくれる気持ちになれる。お前もそう思ってくれたらこれから頑張れる」
「これを見るたび何度でも佐樹さんを思い出せる。あなたが俺を想ってくれる証しにします。佐樹さんのために頑張りますね」
「藤堂、一緒に頑張ろうな」
これからそれぞれの場所で、僕たちは力の限り頑張って生きていくのだ。再び会える時にがっかりさせないように、人としてもっと成長していたい。離れていた時間さえもお互いのプラスになるように、大切に時間を過ごしていきたい。そして再び会う時は笑顔で「おかえり」と言うのだ。
[別離/end]
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