参拝を済ませたあとはお守りを二つ預かり、冷えた身体を甘酒で温めた。今年は例年よりも寒く感じて、待っているあいだにかなり冷え切ったので染み入るような感覚になる。そして温まった息は空気の中で白くなった。
ふと横を見ると甘酒の湯気で眼鏡を曇らせた優哉がそれを外すところだった。今日は休日なので眼鏡をかけている。細いメタルのリムフレーム。日によってスクエアの縁眼鏡の時もある。
素顔は男前度が上がってかなりやばいのだが、眼鏡をかけているのを見るとやっぱり落ち着く。一緒にいた高校時代を思い出すからだろうか。向こうにいた時はずっとコンタクトだったと言っていたし、慣れたそちらのほうがいいのだろうけれど。
言葉にして示さないのだが、いつもなにげない僕の気持ちに反応してくれる。あまりにもそれがさりげないから気づくのが遅くなってしまうことも多いが、気づくと胸がきゅっと締めつけられてしまう。
その優しさが嬉しくて、でも言葉にするのは少し恥ずかしくて、もどかしさを味わう。それでもたまらず想いが溢れる時がある。そういう時は黙って彼を抱きしめて、たくさん甘やかすことにしていた。
「そろそろ行きますか?」
「うん、そうだな。ちょっと温まったし動けそうだ」
「人の多いところじゃなかったら抱きしめてるのに」
「それは言うな、して欲しくなるから」
「可愛い」
耳を熱くして俯いたら笑われた気配がする。のぞき込まれてもなお視線を外していたら、笑いを噛みしめて手にしていた紙コップをさらっていった。くず入れに向かう背中を見つめてほっと息をつく。
いつだってどんな時だって触れて欲しいし触れていたいと思う。もっと近づきたいし近づいて欲しい。優しい眼差しを向けられるだけで周りのことなんか無視して抱きつきたい、なんて思う。
大人としてどうなんだ、とも思うからよほどではない限りしないけれど、手くらい繋いでも許されるかな。
「佐樹さん?」
「ちょっと、だけ」
戻ってきた彼の手をきゅっと握れば戸惑いがちな瞳を向けられる。それでも握る手に力を込めると温かな手は包み込むみたいに握り返してくれた。お互い少し冷たくなっていたけれど、繋ぎ合わせているうちに熱が移る。
昔は手を繋ぐたびにドキドキしていたが、いまはなんだかんだと手を伸ばす回数が多いのは僕のほうかもしれない。あまり大っぴらに手を繋ぐのは良くないかなとは思う。しかし触れないと気が済まない時がある。
自分でもその我がままさに驚く。それでも隙間を埋めてしまいたくなる気持ちはなくならない。もっともっとと触れたくなる。そんなに必死にならなくても、彼はもういなくなったりしないのに。
「こう寒いと雪でも降ってきそうだな」
「ほんとですね」
コートにマフラーという出で立ちだけれど寒くて少し足早になった。駅に着いてロッカーから荷物を引き取ると早々に電車に乗り込んで車内の温かさにほっとする。空いた席に腰かけた頃には片方だけ冷たかった手も次第に熱を取り戻していた。
ここから実家までは電車を途中で乗り継ぎ三時間くらいかかる。それほど電車が遅れることもないだろうから、連絡は乗り換えの駅に着いた頃でいいかと取り出した携帯電話は着信だけを確認した。
普段それほど活躍しないこれも正月になるとメールやメッセージが続々と届く。ちょっと疎遠になっていた友人も久しぶり、と連絡をくれるのでこれはいい機会だと言える。でも年賀状はだいぶ無精してここ数年書いていない。
「佐樹さんって友達が多いですよね」
「ん? そうかな?」
思いのほかたくさん受信していた新年の挨拶に少しずつ返信していると、優哉がふいに振り返る。小さく首を傾げたその仕草に少し考えたが、この歳になっても続いている人たちは決して少なくないと思った。
「まあ、付かず離れずって感じかな。一年に一回二回しか連絡取らないやつも多いしな」
「人が自然と集まる気質なんだと思いますよ」
「一時期はまったく連絡取らないこともあったから、よく見捨てずにいてくれると思う」
「あなたを見限る人はそういないと思うけど」
「……そっか、本当にそうならありがたいことだな」
なにもかもが嫌になったことがある。あの頃は言葉も声も煩わしくて、すべてに蓋をして塞ぎ込んでいた。いまこうして前を向いているから、そんなことがあったなって笑えるけれど、端から見たらきっともどかしかったに違いない。
「いまの僕があるのは全部、お前のおかげだって思ってる」
「また佐樹さんは、過大評価」
「正当な評価だ。もうちょっと優哉は自分に自信を持てよ。お前が人に与える影響だって大きいんだぞ」
「そうなんですかね。前より色んなものを受け入れられるようになりましたけど、まだ正直持て余すことも多いです。もう少し余裕を持ちたいですね」
「ほんとにお前は不器用だな。……でもそういう謙虚なところも優哉らしさなのかな」
たくさんの人に愛されてるのだからもっとうぬぼれてもいいのに、彼はいつまでも控えめだ。まったく自己主張がないわけではないが、人に対して踏み込みきれない部分がまだあるのかもしれない。
愛され慣れていない、とでも言うのだろうか。きっと相手からの愛情は感じていると思う。けれど自分の許容量が追いついていないような。僕がまっすぐに想いを告げるといまも時折泣き出しそうな顔をする。
その顔を見るとひどく切なくもなるが、愛おしさも募った。もっと愛してあげたい、もっと寄り添っていたいと思わされる。そして彼にはたくさん想いを言葉にして伝えてあげなければとも思う。
もう溺れてしまいそうだと思うくらい。きっと彼にはそのくらいがちょうどいいのではないだろうか。
「佐樹さん、お腹は空いてない? 朝あんまりしっかり食べられなかったけど」
「んー、いまは平気かな。コーヒーだけ買っていいか?」
「そこのコンビニに寄りましょう」
「うん」
「コーヒーは温かいの?」
「冷たいのでいいかな。……ん? なんだ?」
乗り継ぎ駅に着いて寄り道をしていると立て続けに詩織姉からメッセージが届いた。なにごとかと画面を見ると、まだか、いつ来るのか、何時に来るのか、などと矢継ぎ早に質問攻めされて返信する隙がない。ようやくあと二時間くらいと返せば今度は文句を言われる。
おそらく雪が降ってきて家から出られず暇をしているのだろう。朝はみんなで初詣に行くのだと言っていたが、田舎町なのでほかにほとんどすることがない。
大きなショッピングモールなどは隣町に行かなければならない。それ以外は家でゴロゴロするか、家事をするか、積もっているならば雪かき、そのくらいだ。今日は正月でどこも営業していないし、まず彼女に前者しかないのは確実だ。ぽんぽんと続くメッセージを見ながら思わずため息をついてしまった。
「お姉さんですか?」
「なんか相当暇してるみたいだ」
「きっと待ち遠しいんですよ」
「もう面倒くさい」
止まない通知に返信するのが嫌になり震えていた携帯電話をサイレントモードにした。そしてそれをポケットに突っ込むと隣で優哉は微笑ましそうに目を細める。なんとなくむず痒い気持ちになって口を引き結んだら、そっと頭を撫でられた。
その優しい感触にすぐになだめすかされる。こうやって触れられると大抵のことはまあいいか、と言う気持ちになってしまう。柔らかくて温かい彼のぬくもりはやはり特別だ。
「優哉、もしかしていまになって眠くなってきた?」
「ん、そうかもしれません」
再び電車に乗ると、しばらくして優哉の返事が遅くなってきた。隣を見ると重たげなまぶたを瞬かせている。子供みたいなその仕草が可愛くて、笑ったら少しふくれっ面になった。
「いいよ、着くまで寝てて。まだ先は長いし」
「すみません。肩、借りていいですか」
「……うん、いいよ。着いたら起こすから」
そっと寄りかかる重みに口元が緩む。さらりと揺れた黒髪がかすかに頬にこぼれて、長いまつげが影を落とす。電車の揺れる振動で彼が眠りに落ちるのは早かった。肩先の温かさにふいに記憶が巻き戻る。
二人で行った動物園。その行きのバスでもこうして肩に掛かる重みを感じた。その頃と変わらないぬくもりがひどく愛おしい。ひと気が少なくなったのを見計らってそっと手を握ると、その手は自然と握り返してきた。
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