カタンカタンと揺れる振動が心地よくなってくる。時折聞こえてくる車内アナウンスに耳を傾けながらウトウトして微睡んでいると、ふいに肩を揺すられた。それに驚いて目を瞬かせれば、こちらをのぞき込む視線に気づく。
その視線は隣にいる優哉のもので、見上げる角度で自分が彼の肩にもたれていたことがわかる。慌ててぱっと身を起こすとやんわりと目を細めて笑われた。どうやら僕も一緒に寝ていたようで、いつの間にか立場が逆になっていた。
「もしかして僕が重くて起きた?」
「いえ、俺も少し前に目が覚めたんです。そしたら佐樹さんが船を漕いでるからちょっと引き寄せちゃいました」
「そ、そっか、悪い」
「大丈夫ですよ。それよりもう着きますよ」
「わ、やっぱり雪が降ってる」
指さされた窓の外に視線を向けるとそこは白い薄化粧をまとった世界だった。ちらちらと舞い落ちる雪がぽつぽつと窓に水滴を作る。しばらくその景色に気を取られていたが、アナウンスが目的の駅名を告げた。
二人で視線を合わせて席を立つとホームに滑り込んだ電車から降りる。その瞬間、風が吹き抜けてその冷たさにふるりと身体が震えた。さすがに山間の町だけあって寒さの違いを感じる。
「優哉?」
「寒いかなと思って」
「ちょっと恥ずかしい」
改札を抜けると後ろから抱きしめられてぎゅっと腕の中に閉じ込められる。背中に優哉のぬくもりが直に感じられるから、気持ちが落ち着かない。けれど感じる温かさで心までじんわりと熱を帯びるような感覚がする。
「冷えますね」
「学生時代はこの寒さで起きるのかなり辛かったな」
「実家にはいつ頃までいたんですか?」
「結婚するまでいた。大学に通うのも大変だったけど、仕事が始まってからも毎朝始発でかなりきつかった」
「えっ! ここから学校に通ってたんですか?」
「そう、ほら家を出て一人暮らしとなると出費が多くなるし、当時から結婚も考えてたし。一ヶ月の生活費よりここからの経費のほうがトータルでだいぶ安かったんだよな」
仕事を始めたばかりの頃はみんなに引っ越せばいいのにと言われていたけれど、始発通勤は結婚までの二年くらいだった。頭金が貯まっていまのマンションを購入したのが二十五になった年だ。
思い返せばあそこで彼女と暮らしたのはたったの二年ほどだ。付き合い自体は五年くらいだったけれど、そう考えると随分短かったなと思う。
「佐樹さん?」
「いや、いま考えるとよく通ったなって思う」
ぼんやりとしていたら怪訝そうな顔をされてしまった。慌てて首を振るけれどたぶん僕の考えてることには気づいてる。ほんの少し困ったように眉尻を下げて、それでも優しく笑う。そんな恋人が愛おしくて僕を抱きしめる彼の手にそっと自分の手を重ねた。
「あ、もう家を出てるみたいだ。もうすぐで保さん来るかも」
着いたことを連絡しようと携帯電話を取り出したら、詩織姉からのメッセージが届いていた。五分前くらいに出たようだ。雪道だけれどここまでゆっくり走っても車は十五分とかからない。
「これ明日にはもっと積もるな」
携帯電話をポケットに戻し、電車で見ていた時よりも降りが強くなってきた雪を思わず見上げてしまう。昼の時間帯で空は明るいけれど、白い雲で覆われている。雲間がないからきっとこれは明日まで降り続くに違いない。
しんしんと降る白い結晶は積み重ねられて踏み出すと足跡が残る。道行く人が残す足跡を見ながら、こうしてここで冬の景色を見るのが本当に久しぶりだと思った。
「寒いけど、雪が降ってるのってなんかいいよな」
「ちょっと幻想的ですよね」
「うん」
空を見上げて柔らかく微笑んだ横顔を見つめれば、応えるように視線がこちらを向く。すると優しい瞳に引き寄せられるみたいな感覚がした。手を伸ばして、背を伸ばしてもっと近づきたい。けれど身体をよじり向き合おうとしたところでクラクションが鳴った。
その音に慌てて身体を離すとその先へ視線を向ける。見覚えのある白い車は実家のものだ。胸をドキドキとさせたまま近づくと夏ぶりの保さんがにこやかな笑みで迎えてくれた。
「お待たせ、寒かっただろう」
「大丈夫、迎えに来てくれてありがとう」
そういえば以前、夏休みに二人で来た時も似たようなことをしていたなと思い出す。あの頃からいま、自分の成長のなさを感じる。しかし優哉を前にすると気持ちが浮ついてしまうのは、きっとこの先何年経っても変わらないだろう。
「さあ、乗って。凍えちゃうよ」
「思ったより雪が降ってるな」
「うん、今朝からちらちら降ってたんだけど昼前に降りがかなり強くなって。佐樹くんたちタイミング良かったね。これでもいまちょっと弱くなったところなんだよ」
進む道は雪の轍ができているので少なくとも五センチくらいは積もっている。このまま降り続けば十センチ、もしかしたらそれ以上積もるかもしれない。それでも昔に比べたら雪が減ったような印象がある。
「優哉くん久しぶりだね。元気そうで良かったよ」
「ご無沙汰しています。またお会いできて嬉しいです」
「うん、僕もだよ。みんなも帰ってくるの楽しみにしてたんだよ。前から大人っぽかったけど雰囲気がさらに落ち着いたね」
のんびりとした空気の中で保さんと優哉は笑みをこぼす。自分の家族と彼が穏やかに過ごしているのを見ると安心した気持ちになる。五年前の夏以来だからもう少し緊張した感じになるかもしれないと思ってた。
しかし優哉がいないあいだもわりと話題に上ることも多かったので、それほど驚く結果ではないかもしれない。
「そういえば詩織姉は暇してたみたいだけど蓮は?」
「ああ、蓮はお義母さんにべったりでね。詩織は出番がないんだ」
「息子さんいくつになったんですか?」
「このあいだ二歳になったところ。だいぶおっとりしてるんだけど、ぜひ構ってあげて」
ずっと子供のいなかった長女夫婦に息子が生まれたのは二年前の冬。待望の初孫に母も大喜びであれこれと世話を焼いていた。旦那さん譲りで大人しい男の子だけれど頭のいい子でとても可愛い。
しばらく母が姉の家で手伝っていたのだが、帰ったあとは僕がなにかと用事を言いつかって訪ねることが多かった。顔を合わせるといつも喜んでくれて、初めての甥っ子に僕もわりとメロメロになっているところがある。
「佳奈ちゃんも結婚してお婿さんをもらったから一気に賑やかになったよ。美佳ちゃんも元気だしね」
「それはいいですね」
「母さんは孫が二人も生まれて毎日上機嫌みたいだ。僕は佳奈姉の赤ちゃんには二ヶ月くらいの時に一度会ったきりだけど」
すくすく初孫が育っていた中で佳奈姉の結婚話が上がったのはわりと最近だ。相手の人とは二年くらい交際していたようなのだが、突然の結婚はいわゆるできちゃった婚で、妊娠がわかってから結婚まで本当に早かった。
いまは七ヶ月の女の子を子育てしている真っ最中だ。夏に初対面したけれど佳奈姉と旦那さんのいいとこ取りでこの子もまた可愛くて、あれこれ言われると財布を開いてしまうくらいには叔父馬鹿だ。
子供は昔から可愛いと思ってきたが、身内の子となると増し増しで可愛く思えてくる。時雨さんが優哉のことを大事にする気持ちがいまならよくわかる。自分がこの先、子供に縁がないこともわかっているから、余計と言うこともあるかもしれないけれど。
しかしそれが寂しいことだとは思っていない。僕は僕の生き方をする、それだけだ。幸運にも家族はみんなそれを受け入れてくれた。愛情をかけられる子供たちもいる。幸せのカタチは人それぞれだろう。
「そろそろお腹空く頃じゃないかい? お義母さんがお雑煮とお汁粉を作っていたよ」
「うん、ちょっと空いてきたかな」
お雑煮なんてしばらく正月に帰ってきていないから全然食べていない。最後に食べたのは優哉が旅立つ前に作ってくれたやつだ。醤油仕立てのお雑煮だった。バイト先の料理長さんが作ってくれたものをお手本にしたらしい。
母が作るのはすまし汁だったからちょっと新鮮で、具だくさんですごくおいしかった。
「よし、到着だよ、お疲れさま。寒いから早く中に入っちゃいな。みんな待ってるよ」
「ありがとうございます」
「保さん、わざわざほんとにありがとう」
「うん」
車が家の前に駐まると保さんに促されて二人で先に下りる。そして駅に着いた頃より降りが強くなった雪から逃れるように玄関へと急いだ。カラカラと戸を引けばふわっと暖かい空気が流れてくる。それにほっと息をついた瞬間、大きな声に出迎えられた。
「サーキ! おかえり!」
いきなり響いた声に肩を跳ね上げると、視線の先にいる人は両手を広げてにっかりと笑みを浮かべた。
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