僕に危機管理能力がないと言うよりも、周りが予想外の反応を示すのではないかと思う。僕みたいな平凡な人間を捕まえて色気があるだの、人を寄せつけるだの言われてもピンと来ない。変な色眼鏡で人を見ているのではないだろうか。
どう考えても人を惹きつけるものがあるとは信じられない。優哉や峰岸みたいに見るからに人の目をさらうような華があるわけでもないのだから。
「色気なんてどこにあるって言うんだよ」
鏡の中の自分を見つめて僕はため息をついた。そこに映る僕はどこをどうみても、ごくありふれた容姿だと思う。顔は少し幼く見られるがもうさすがに二十代には見えない。
目は一重のわりにははっきりしているけれど、それほど印象的というわけでもない。鼻が高いわけでもないし、唇は薄いし、どうしたって華も艶もない気がする。
「なんかバカバカしい気がしてきた」
自分の顔をマジマジ見たところでわかりそうもなかった。僕の取り柄はおそらく人の好さそうなところくらいだろうか。しかしそれも表面的なものだ。お世辞にも僕はできた人間とは言いがたい。面倒くさがりだし、結構いい加減だし。
「考えるのやめよう」
一人でこうして洗面所の前で百面相をしてるのもなんだか情けない。肩を落としてため息を吐き出すと、僕はリビングへと足を向けた。
「二十時か、優哉はまだかな」
仕事が終わり家に帰り着いたのは十八時を過ぎた頃だ。そこからケーキをデコレーションして、炊きあがったご飯でちらし寿司を作った。
準備が終わるとあとは主役を待つだけなのだが、黙って待っているのができなくて思いついた場所を掃除し始めたのだ。しかし洗面所の鏡も磨き終わり、ついにすることがなくなってしまった。
「ただいま」
しばらくぼんやりとつけっぱなしのテレビを眺めていたら、玄関のほうから声が聞こえてくる。僕はその声を聞くと反射的にソファから立ち上がり、声がしたほうへと急いで駆けていった。
「おかえり」
「佐樹さん、ただいま。遅くなってすみません」
「わ、すごい荷物だな」
玄関まで行ってみると、優哉の両手は手提げの紙袋や大きな花束などで塞がれていた。慌ててその手にあるものをいくつか受け取ってやれば、ほっとしたように息をつく。
「呼ばれて町内の寄り合いに顔を出したら、誕生日を知ってたみたいで色々としてもらってしまって」
「そうだったのか」
店を出している町の町内会では、チラシを貼りだしてくれたり、配ってくれたりなどしていつもお世話になっているらしい。年寄りが意外と多い町らしく、優哉は孫のように可愛がられているようだ。
紙袋の中をのぞけば、風呂敷包みの重箱やリボンのかけられたプレゼントなどがいくつも入っている。誕生日を知ってわざわざお祝いしてくれるなんて愛されてるな。
「今度なにかお返ししなくちゃだな」
「そうですね」
荷物を全部リビングまで運ぶと、プレゼント以外の包みを開けて中を確かめる。重箱にはおはぎや惣菜などがたくさん詰め込まれていた。ほかの箱にはケーキもいくつか入っており、みんなでパーティーの準備をしてくれたことがわかる。
「シャンパンまである。帰り重かっただろう」
「結構キツかったので車を使っちゃいました」
「いいよそのくらい。わぁ、花束も立派だな。花瓶にいくつか分けるか」
一抱えもある花束だが、家にある花瓶を総動員すればなんとか全部飾れるだろう。百合の花に薔薇、それに可憐なかすみ草が添えられていてすごく豪華だ。せっかくこんなに綺麗なのだから飾らずにおくのはもったいない。
「佐樹さん」
「ん?」
花瓶はどこにしまっただろうかと思案していたら、ふいに背後から抱きすくめられた。肩に顎を乗せた優哉はすり寄るように顔に頬を寄せてくる。甘えるような仕草に首を傾げたら、ぎゅっと抱きしめる腕が強くなった。
「お腹が空きました」
「え? なにも食べてこなかったのか?」
てっきり少しはつまんできたのだろうと思っていた。出されたものに箸をつけずに帰ってくるなんて珍しい。
「お酒は少しいただいてきましたけど、佐樹さんのご飯を楽しみにしていたので」
「そんなに大層なものじゃないのに」
「食べさせてくれないんですか」
「すぐに準備するよ」
拗ねたような声に思わず笑ってしまった。けれど僕のためにお腹を減らして帰ってきてくれたのだ。嬉しくて頬が緩んでしまう。やんわりと腕を解いてキッチンへ足を向けると、優哉はその後ろをぴったりとついてくる。
「準備といってもこれを揚げるだけだけどな」
準備はほぼ出来上がっているので、あとやることと言ったら唐揚げを揚げるくらいだ。油を温めているあいだにお皿にちらし寿司を盛り付けていく。
具は椎茸とかんぴょうの煮物に酢れんこん、錦糸卵にエビ、絹さやや木の芽、そしていくらの醤油漬けだ。シンプルだけど見た目は豪華そうに見えるし、簡単においしくできるのがいい。
「よし、唐揚げもいい感じ」
鶏の唐揚げはショウガ醤油で味付けをして一日寝かせておいたので、しっかり味が染みているだろう。綺麗に揚がると肉汁が弾けておいしそうな音を立てる。
「できた!」
添え物のフライドポテトも揚げてサラダを盛り付ければ、ささやかなごちそうが完成する。頂き物の惣菜も少し皿に盛り付ければ、誕生日らしい豪華な食卓になった。
「どうだ?」
「ちらし寿司も唐揚げもおいしい。お肉が柔らかいですね。佐樹さんは料理もできるようになって完璧ですね」
「褒めてもこれ以上なにも出てこないぞ」
おいしいと何度も呟きながら、優哉は用意していたちらし寿司の三分の二ほどを平らげた。唐揚げも揚げた分ほとんどがなくなっている。二人で食べるからそれほどたくさんは作らなかったけれど、まさかここまで綺麗になくなるとは思わなかった。
ケーキもまだあるのに大丈夫かなと心配したが、切り分けたそれを彼はぺろりと食べてしまう。よほどお腹が空いていたのだろうかと驚いてしまった。
「こんなに誕生日が待ち遠しかったのは初めてです」
「少しは満足してもらえたか?」
「もう少しどころじゃないですよ。佐樹さんのご飯やケーキが食べられて幸せです」
満足げに笑う優哉の表情にこちらまで笑みが浮かんでしまう。頑張って練習してよかったなと思える。また今度レパートリーを増やしてごちそうできるようになりたいな。
「優哉はお酒なんでも飲めるんだな」
「そうですね、割となんでも」
ソファに腰かけながら優哉は小さなおちょこで日本酒を飲んでいる。佳奈姉からのプレゼントでおすすめの日本酒を何本か詰め合わせたものだ。どれも一合半と量は多くない。しかし彼が飲んでいるのを見るとそれが本当にお酒なのか疑わしく感じる。
基本的にお酒が強いのだとわかっているのだが、二本くらい空けたのにまったく顔に出ないのだ。
「一口舐めてもいい?」
「佐樹さん日本酒飲んだことある?」
「ない」
隣に座る優哉を振り返り、僕は手元のお酒をのぞき込むよう身体を寄せる。おちょこに入っているお酒は無色透明だ。けれどなんとなく鼻先に甘い香りが漂う。興味深げにお酒を見つめていると、優哉は少し困ったような表情を浮かべる。
「ビールやチューハイなんかよりずっとキツいですよ」
「一口だけ」
「うーん、まあ、うちで酔う分には、いいか」
じっと目を見つめておねだりしたら、気持ちが揺れ動いたのか眉間のしわが少しほぐれた。喜び勇んでおちょこに両手を伸ばせば、空にだったそこにお酒を注いでくれる。
「一口だけですよ」
「うん」
小さなおちょこを両手で掴むと僕はそっとそれを口元へ寄せる。そして優哉が心配そうに見守る中、恐る恐る小さな器を傾けていく。
「甘い」
お酒が口の中に広がると、さらりとした甘みとともにふわっとした浮遊感を覚える。それは不快な感じではなく、なんとも言いがたいが癖になりそうな不思議な感覚だ。そして思ったよりもアルコールの痺れを感じないことに驚く。
それに油断した僕は勢いのままおちょこをぐいと飲み干してしまった。
「えっ? 佐樹さん!」
「うわ、喉が熱い」
僕の行動に優哉は慌てたようにおちょこを取り上げる。しかしもうそれは空だ。全部中身は飲み干してしまった。
「なんか熱い」
「脅かさないでください。大丈夫ですか?」
「喉とかお腹がぽかぽかする」
お酒が通り過ぎた喉が熱を持ったように熱い。顔も少し火照ってきた。舐めた時はそんなに感じなかったアルコールが、飲み干したことで一気に身体に回ったような気がする。
「あ、なんかふわふわしてきた」
「ああ、もう、困った人だな」
僕から取り上げたおちょこをテーブルに置くと、優哉はしなだれかかる僕の身体を引き寄せた。頬や首筋に触れる彼の手が冷たくて気持ちがいい。思わずうっとりと目を細めたら、やんわりと優しくまぶたに口づけられる。
「このまま寝ちゃいそうですね」
「まだ寝ない」
「目がとろんとしてますよ」
「大丈夫だ」
困ったような表情を浮かべて小さく笑う優哉に、僕は子供みたいに口を尖らせ駄々をこねてしまう。手を焼かせているのはなんとなくわかるけれど、まだ彼と一緒にいたいという気持ちがあった。
しかしなだめすかすように何度も頭を撫でると、ソファから立ち上がり優哉は僕の身体をそっと抱き上げる。その瞬間、頭が少しくらりとしてめまいを起こした。
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