王宮の敷地で最も城下に近い区画は、大きな行事がある際、門扉を開き一般に開放される。
高い位置にあるバルコニーから、国王陛下のお姿を見られるとあって、予定時刻よりも前に門の前に並び待つ者も多いようだ。
祝いに駆けつけてくれた民たちに怪我をさせないため、騎士や衛兵は朝早くから待機列の整理を行っていた。
「リトさま、もっと近くで陛下をご覧になれますけど。本当に良いのですか?」
「はい! あ、護衛をするのに不便でしたか?」
「いえ、むしろこちらのほうが我々は警護しやすいです」
もう少しで始まるロヴェによる演説を聴こうと、リトはミリィとダイトを伴って移動中だ。
ミリィが言う席は貴賓用なので、まだ非公式な存在である自分が利用するのに気が引け、見張り塔にお邪魔させてもらうことにした。
位置的にバルコニーの対角線上にあり、姿がはっきり見えなくともよく見渡せる。
声は風のスキルを使って遠くまで届ける仕組みになっているので、その点も問題ない。
「リトさま、いらっしゃいませ!」
「番さま、こちらへどうぞ!」
見張り塔の上にたどり着くと、中にいた騎士たちが出迎えてくれた。
普段の見張りは衛兵たちが行い、騎士たちは統率する立場なのだが、リトが来るとあって赤の騎士団の面々も集まってくれたらしい。
しかも見張り窓の近くに置いた椅子には、ふかふかのクッションが用意され、サイドテーブルにはしっかりと遠見鏡まで準備されている。
「お飲み物もご用意いたします」
「貴方たち、リトさまにお飲み物を提供するのはわたしの仕事よ」
恭しく礼を執る騎士たちに対し、ミリィはムッとした顔で腕組みをすると胸を反らした。
「……ふはっ、なんだか貴賓室より至れり尽くせりな気がします」
思わず笑ってしまったリトの様子に、騎士たちもまた至極嬉しそうに笑みを浮かべた。
早速用意してくれた椅子に腰掛ければ、高さも位置も絶妙でとても外が見やすい。前のめりになって窓枠に腕を乗せるのもありだ。
「リト殿、遠見鏡も便利ですが、スキルを試してみては?」
「それ、いい案です! ダイトさん、さすがです!」
魔力石作りのおかげでかなり魔力操作に慣れたので、スキル操作にも影響が出ていそうだ。
作業中は余計な魔力を使わないように鍛錬を休んでいた。ならば演説はさほど長くないと聞いたのでいい復習になる。
この場にいるのは赤の騎士団でも、リトの警護を主に任されている者たちだけだ。ちょっとした視力強化のスキルを使っても、部屋の外にはわからないだろう。
ぎゅっと目を閉じて意識を研ぎ澄ませてから、今度はゆっくりとまぶたを開く。
バルコニーに視線を集中させると、目的の場所がぐんと拡大して見えた。慣れないうちは視界の変化に酔いそうになったものだが、体が慣れたのかもしれない。
「どうですか?」
「とってもよく見えます。これならロヴェの表情まで見えそう」
「良かったです。では始まるまで目を休ませていてください」
「はい! ……あれ? あそこで反射しているの、なんだろう。あの、ダイトさん」
「なにか、見えましたか?」
「えーと、バルコニーの下方、皆さんが集まっている広場の先頭に進みすぎないよう柵がありますよね。中央からダイトさんの通常の歩幅で、十四歩分くらい左の柵でなにかが反射してるんです」
あまり柵に押し寄せるとバルコニーがよく見えなくなるため、集まっている人たちは少しだけ柵から離れている。
柵の向こうには衛兵たちが立っており、なにかがあるのなら気づいても良さそうなのだが、そのようなそぶりもない。
隣で遠見鏡を覗くダイトも訝しげに眉を寄せている。
「ダイト、あれよ。リトさまのあれ」
「……なるほど。ならば探知に優れた者を向かわせないと。陛下がいらっしゃる前に片を付ける」
視線を合わせて頷いたダイトとミリィがいう〝あれ〟とは、無効化のスキルだ。
いまここで大げさに動いてスキルに気づかれてはいけないので、二人はこの場から動かず、赤の騎士を伝令役として送り出した。
決して状況を悟られないよう穏便に、そして速やかに不審物の撤去回収を行う。
「皆さんが広場に入る際、簡易検査は行われているはずですよね?」
「うーん、もしかしたら内部による犯行かもしれませんね」
「前もってあそこへ搬入される物はすべて確認されている点を考えれば、兵士または群集の中の誰かが、内部から手引きされているのかもしれません」
「でもなぜいま、なんでしょうね」
国王の生誕を祝う場で、騒ぎが起きれば確かに大ごとではあるものの、この瞬間を選ぶ理由がいまいちリトは理解ができない。
もし爆発物だったとしても、あの位置ではロヴェに被害はさほどないだろう。
衛兵や最前列の人たちが巻き込まれては大惨事なので、軽く考えているわけではないのだが、犯人の行動原理が見えてこなかった。
人は無計画、無差別などではない限り、その場で行う意義や意味を持っている。
再び視線を向けると場が乱れる様子もなく、諜報や隠密行動が得意な黒の騎士団が赤の騎士に扮し、さりげなく柵の周囲を検分して対象物を回収するところだった。
「現在は陛下の統治のおかげで、国はこれまで以上に潤い安定しており、下手に反対派も藪をつつけない状況なのですが」
「寝る子を起こして、一掃されるのも恐ろしいですからね。相手も慎重です」
「そうですよね。向こうもあえてロヴェが黙っているのに気づいてるでしょうし」
国王としてロヴェが即位して六年――優先すべき政治は多数ある。
いまのところ大きな動きを見せていない彼らは現状、警戒しつつも処断を後回しにされていると言っていい。
リトの疑問に対して、ミリィやダイトも同様に感じていたらしく、広場を見下ろして厳しい表情を浮かべている。
しばらくするとあらかた周囲の点検も済んだのか、黒の騎士たちは撤収し、定刻通りに現れたロヴェが演説を始めた。
盛大な歓声に応える彼の姿はとても大きくどこか神々しくも思え、宿屋の女性たちが黄色い声で褒め称えていた気持ちが、いまになってよくわかる。
二人きりで会うときとは違う、ここから見えるのは皆が心酔するほど頼もしい獣王としての姿なのだ。
「僕があの隣に立ったら見劣りしてしまいそうだなぁ」
「……わたし個人の意見ですが、陛下の隣に並ばれたリトさまは国民を大いに魅了なさる、素敵な番さまとなられるはずです」
「ミリィさん、ありがとうございます」
言葉一つ一つの気遣いが本当に優しい。
すでに隣に立つための努力を始めているリトであっても、現在はまだお試し期間中で、いまは婚姻を拒む選択肢が残されている。
ロヴェはもちろん、彼を慕う者たちはリトにぜひ残って欲しい、結ばれて欲しいと望んでいるのに、リトの選択を狭める発言はよほどでない限り口にしない。
周囲で囲い込みをし、懐柔して諾と言わせるのも簡単だというのに。
(人族の人たちもみんな優しいけど。獣人さんたちの優しさはなんというか、他者へのいたわりを強く感じるな)
理屈ではなく、大切な人が愛する人は自分たちにとっても大切、と言う心理が顕著だった。
喧嘩はしないのかとミリィたちに聞いたところ、ぶつかり合うときはとことんぶつかるらしい。
言葉で解決できない際は物理的に拳でやり合い、負けたほうが折れる力業に至るが、基本は両者の主張をはっきりさせてから、お互いに譲歩する部分をすり合わせるのだとか。
そもそもこの喧嘩自体も、発散しきれない相手の感情を昇華されるために行うようだ。
もちろん絶対に受け入れられない主張も存在するので、完全に白黒はつかない。
ただ彼らは相手の譲れない部分に対し、目をつぶり干渉しない、あえて否定しないという態度を徹底している部分がある。そこはもはや獣人としての性質なのだろう。
長い歴史を見ても彼らは同族同士、血で血を洗うような諍いを起こした記録がない。
獣人族はなにをもってしても番至上主義、という部分が強く影響しているのだとリトは教師から教わった。
国を良くするのも国を護るのも、国民を愛するのも番あってこそ。
番が家族を愛していれば愛し、愛する彼らが健やかに暮らせるよう精一杯に励む。反対に番に危害を加えられれば決して容赦をしない種族でもある。
愚かな人族が獅子の尾を踏んでしまわなければ良い、誰しもそんな考えを持っていたに違いない。
伝令役の騎士が戻ってくるまでは――
「番さまの悪い噂?」
報告を受けたダイトは眉間に深いしわを刻み、苛立ちを含んだ低い声で騎士に問い返した。
広場から戻ってきた騎士が言うには、いまごろ現れた陛下の番についてそこかしこで話題が上がっていたようだ。
リトについては王宮外に漏らしてはならない、箝口令が敷かれているのにもかかわらず。
「あの、どんな内容だったんですか?」
「それ、は……」
「僕に話しにくい内容でも、状況を把握するのに必要な可能性があります。気遣わず詳細を話してください」
「……はい。噂の発信源はまだ特定できていません。おそらく一人二人ではないと思います。ヘリューンの王女との婚姻が進められる直前に現れたのは、地位が惜しくなった、王室の財をアテにするためだ。田舎の村で住むところに困って王都に出てきたくせに、いまごろになって王配に収まろうなど都合が良いと思わないか、などあとは似たような内容です」
おずおずと気まずそうに騎士が言葉を紡ぐたび、部屋の空気が悪くなっていった。しかしリトは悪意を感じるが正確性がないので、気にせず浮かんだ疑問に首を傾げた。
「内容の正否は別として、なんで僕が王都に来たばかりとか、田舎に住んでいたとか知ってるんでしょうね」
「リト殿、詳しい情報は精査しなければいけませんが、この件はベルイ殿に判断を仰ぎましょう」
「わかりました」
(もしかして今回の目的は、僕? 王配に収まらないように、僕を番として迎えたらもっと酷いことが起きるぞ、みたいな?)
事前に回収したのは魔力石で稼働する小型の爆発物で、隠蔽スキルが使われていたらしい。
殺傷能力はあまり高くなく、戦闘の場面で相手への警告として使われたり、突入の際に相手の意識をそらすために用いられたりするようだ。
それよりも高度なスキル持ちが関わっているのは、国としても由々しき自体ではないかと、思わずリトは小さく唸ってしまった。
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