第06話 聖女と聖者の格差

 夜が明けきらないうちに、裏庭で素振りなどの鍛錬をするのは、リューウェイクの日課だ。

 その日の予定によっては、午後の騎士団の鍛錬に参加できないので、天候が悪くない限りは体を動かしてから執務を始める。
 官吏たちが登城してくるまでは、王家の宮殿に間借りしている私室と隣接した書斎を使う。

 いつものように自室で湯浴みを済ませてから書斎の扉を開くと、リューウェイクの唯一の補佐官である、ノエル・サルベリーがすでに雑務をこなしていた。

 本来、王族の宮殿は簡単に出入りできないのだけれど、リューウェイクに許された区画は建物の端も端。
 陛下たちの居室からはかなり外れているため、ノエルは衛兵の許可を得て、ここまで通るのを許されている。

 そもそも寄り道しようにも、奥へ繋がる廊下には四六時中、途切れる時間なく兵が立っているので到底無理だ。

「ノエル、おはよう。いつも言うけど、私に合わせて仕事を始めなくていいんだぞ」

 まだ室内灯が必要な明け方だというのに、日中と変わらず褐色の髪をきっちり後ろへ撫でつけ、ノエルは文官服の立ち襟まで閉めていた。
 毎朝のことだが隙のない姿に恐れ入る。

「おはようございます。いいえ、それでなくとも殿下はお忙しいのですから、手伝わせていただかないと、貴方の眠る時間がなくなります」

 事務机で書類の整理をしていたノエルは、顔を上げて髪色と同じ茶色い瞳を壁掛け時計へ向ける。
 時刻は早朝五時になるところで、宮殿の主たちで起きているのはリューウェイクくらいだろう。

 下手をすると、朝の支度をする使用人より早いときもあった。
 リューウェイクが早朝の執務を王城の執務室でなく、書斎で行うようになったのは、使用人たちに主人の時間に合わせて仕事をさせないためだ。

「ノエルは城下からの通いだろう? 私は君の睡眠時間が心配になるけれどな」

「ご心配には及びません。確実に殿下より眠っています」

 主人の始業時刻に合わせて行動する部下に、リューウェイクはため息が出る。
 しかし変に堅物すぎる彼が、この手の主張を曲げないのはいつものことだった。

 四歳年上のノエルはリューウェイクが執務を始めた、十四の頃から仕えてくれている。

 重要な仕事は回ってこないが、やたらと細かな仕事が多い。
 雑務的な立場の末っ子王弟に、進んで近づこうとする者はおらず、新人官吏だったノエルが選ばれた。

 役目を押しつけられたのではと気の毒に思ったが、真面目な彼はいまも昔も、徹底した忠実な仕事ぶりを発揮してくれている。
 無駄を見逃さない厳しい視線。一分の乱れもない見た目を裏切らず少々、神経質すぎる面はあるけれど。

 それでも慕ってくれているのは感じられるので、リューウェイクは彼を信頼していた。
 ただ働き過ぎな嫌いがあるので心配でもある。

(最近少し、目の下の隈が濃くなったような)

「ああ、そうだ。今日の午後の予定を別の日に調整したいんだが」

「……また、ですか。聖女さまのおまけのせいで最近の殿下は」

「ノエル、不敬な言い方を控えろ。ユキトさまだって異世界から招かれた者だ。聖女さまほどでなくとも、女神の加護である聖魔力を宿している。粗野に扱われていい人じゃない」

 ため息交じりのノエルの言葉を聞き、執務机でペンを取ったリューウェイクの手が止まる。

 聖女の召喚からすでに一ヶ月以上経っているが、神殿はともかく王城での雪兎の扱いが良くない。
 表立ったあからさまな態度ではなくとも、ノエルのように言葉の端々から嘲りや軽視を感じさせるのだ。

 男性が召喚されたのは初めてであっても、人は自分たちの常識以外を受け入れないものなのかと、リューウェイクは呆れた。

 召喚の儀を行ったのは王家のお抱え魔法使いだけれど、開いた異空間の扉から異世界人を選び、呼び寄せたのは女神だ。
 雪兎が本当におまけ――喚ばれていない存在であれば、元よりここへは現れないはず。

 第一、時代に必要のないと女神が判断した召喚は成功しないと、成功より失敗が多いと書物にも記されている。
 いまこの場に存在している、癒やしと浄化の力を発揮する聖魔法を扱えるのが、すべての答えだというのに。

(きっと聖女の身近に頼る人間がいると、懐柔しにくいからなんだろうな)

「申し訳ありません。ですが殿下は少しあの男に肩入れしすぎでは」

「肩入れではない。異世界からの来訪者に対して行う当然の対応だ。……とにかく予定を変更するから、把握だけしておいてほしい」

「わかりました。調整しておきます」

 仕事に真面目なノエルにしては珍しく、不満を感じているのがありありとわかる表情。
 どうしてそこまで、と思う。

 それでも疑問は言葉に出さずに、リューウェイクは止まっていた手を動かした。

 

 その日は昼までみっちりと内務をこなし、業務の振り分けが終わったところで切り上げた。
 大抵リューウェイクは午後になると騎士団へ顔を出すため、ノエルには予定調整、書類整理や他所への伝達などを任せておく。

 朝から主人に付き合っているので、早めに仕事を切り上げていいと言ってあるが、周りの話ではきっかり定刻までいるようだ。
 おかげで夕刻や夜に外務から戻ると、翌日の分が隙がないほど完璧にまとめられている。

(真面目で仕事ができるから、僕がいなくなったあとの所属先を考えてあげないとな)

 ノエルはあくまでも執務の補佐官で、リューウェイクの側近の立場ではない。
 王族としての籍から抜ければ、王家と雇用を結んでいる彼を連れて行けないのだ。

 叶うならリューウェイクはノエルを引き抜きたいが、おそらくアルフォンソは許してくれない。
 なぜだか兄王グレモントも次兄アルフォンソも、リューウェイクへ与えるという行為がお気に召さないようだ。

 できるのは精々、自ら稼いで私財を貯め込み、自身の側仕えたちを雇うくらい。
 一応リューウェイクにも予算が振り分けられているが、現在はほとんど手をつけていない。

「もしかして少し時間が押したかな? ユキさんを待たせていないといいけど」

 執務室を出たリューウェイクは、懐中時計で時間を確認してから、雪兎が待ち合わせ場所に選んだ騎士団の鍛錬場へ向かう。

 最初は見学だけだったが、近頃はちゃっかりと団員の稽古に混ざっていることがある。
 今日はこれから出掛けるので、さすがに参加してはいないだろうが、予想のつかない行動をするためあまり待たせたくなかった。

 外廊下から鍛錬場へ繋がる道に抜けると、昼時で侍女に籠を持たせた令嬢たちの姿が見受けられる。
 団員の婚約者が主だが、人気のある騎士には親衛隊と呼ばれる取り巻きが応援にやってくるのだ。

 各騎士団の訓練場はわりと区画が近いので、女性特有の歓声があちこちから響き、些か耳につく。
 だがよく見る光景は気に留めず流し見をして、リューウェイクは雪兎の姿を探した。

 しばらく視線を動かし探したが見つからない。
 行き違っただろうかと首をひねっていると、鍛錬場から離れた場所に人だかりを見つける。

「あぁ、もしかしたら令嬢たちに囲まれているのか」

 要職に就く人物たちからは、まったくと言っていいほど歓迎されていない雪兎だが、見目麗しい容姿が令嬢や貴婦人からは人気だった。
 特に適齢期の令嬢のアプローチはなかなかだ。

 聖女は男性の婚姻相手として高嶺の花であり、是が非でもと望む相手である。
 同時に、聖者に位置する雪兎も、女性陣の婿に持ってこいな存在と言えた。

「援護が必要かな」

 女性の邪魔をする行為に気が引けても、迫られる雪兎は彼女たちを歓迎していないのだ。

 整った顔立ちで、洗練された立ち振る舞いをする雪兎は、元の世界でもおそらく騒がれただろう。
 しかし女性の対応に飽きているのか、愛想笑いばかりで微塵も興味を持っていないそぶりだった。

「ユキトさま、待たせてしまってすみません」

 輪の中心へ向かってリューウェイクが足を進めると、雪兎はすぐに気づき、目が合った。
 それと共に、取り巻いていた令嬢たちも振り向く。

 だが王弟の姿を見た彼女たちはかしこまるどころか、そそくさとカーテシーをするとその場を去っていった。

 本来であれば王族に挨拶をしないのは、非常に礼儀のなっていない行動だ。
 とはいえリューウェイク的には、相変わらずと言える反応なので、さして気にしていない。

「ユキさん、大丈夫だった?」

「声をかけてくれて助かった。それにしてもこの国の貴族は、なにかとあからさまだな」

「僕は結婚適齢期だけど、臣籍に下りても王家から爵位を賜らないしね。養子として受け入れてくれるのが辺境伯だとしても、継ぐわけでもないし。譲り受ける従属爵位が子爵程度だと、王城に出入りしている高位の令嬢は僕なんて眼中に入らない」

(第一に、王家からつまはじきにされている王弟などのところへ、嫁入りしたくなければ、婿にももらいたくないだろう。誰しも厄介ごとは背負いたくないはずだ)

「カースト制がごりごりの政略結婚は怖いな」

「まずは将来安泰な地位の確保が優先って感じだろうね。愛ある結婚は両人の努力次第」

「感情は二の次、っていうのは俺には無理だな」

 苦笑いを浮かべる雪兎と同じ笑みを返し、リューウェイクは騎士団が管理する厩舎へ足を向ける。
 城下町へ行く際、雪兎は馬車を使うのが面倒だと言うので、理由がない限り二人とも馬で移動していた。

 彼に用意した馬は、リューウェイクの愛馬の血筋で、見た目は艶やかな黒毛で似ているものの性格がかなり違う。
 大人しく従順な愛馬に比べると、雪兎の馬は頭がいいけれど、主人に似たのか好奇心が強い。

 今日も雪兎を見てぶんぶんと尻尾を振り、早く早くと催促し始めた。

「お二人ともお出掛けですか? いってらっしゃいませ!」

 王家や官僚に蔑ろにされがちな二人でも、騎士や衛兵からは好感度が高い。
 見慣れた組み合わせに、門兵がにこやかな笑みを浮かべている。

 強い者に憧れるのは職業柄だろう。
 背中に視線を感じながら、リューウェイクは鍛錬場で雪兎が起こした騒動を思い出し、口元を緩めて笑った。

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