「ユキさん、買えた?」
買い物を終え、まっすぐとこちらへ向かってくる雪兎へ、リューウェイクが声をかけると、彼は至極満足そうな笑みを浮かべる。
「ああ、買えた。こっちの果物は向こうと呼び名は違うけど似たものが多いな」
厚手の紙でできたトレイに二種類のケーキ。
反対の手には返却可能なガラス瓶に入った果実水。
器用にそれらを持った雪兎が、近づいたリューウェイクを目線で近くのベンチへ誘導する。
昼時をわずかズレたおかげで人が少なく、無事に腰を落ち着ける場所を得られた。
二人は並んで座り、お互いのあいだに買った品を広げる。肉入りのパン。おまけの揚げ芋と茹で野菜。
甘酸っぱい木イチゴケーキと、酸味のある柑橘を砂糖漬けにして、スポンジに混ぜ込んだケーキ。どちらもクリームたっぷりだ。
「ん、これは中華バーガーに似てるな」
「向こうの食べ物?」
「そう、形は違うけど。白いふかふかな、甘めのパンのあいだに挟まってる、この豚の角煮みたいな肉が特に」
細長いパンにかぶりついた雪兎は、感慨深げに味わいながら時折、行儀悪く唇についたタレを舌先で拭う。
これまでリューウェイクは雪兎や桜花と、一緒に食事をする機会が多かったが、彼らの世界とここで食べる物に大きな違いはないようだった。
食事は生活の基本なので、口に合わない料理が少ないのは幸いだ。
おいしそうに食べる横顔につられ、リューウェイクも大きく口を開けた。
「うん、相変わらずおいしい」
柔らかい肉もうまいけれど、絡んだ甘辛いタレが余計に食を進ませる。
片手では収まらない大きさなので、一つでも十分に食べ応えがあった。加えて揚げ芋をつまみ、野菜でいったん仕切り直しの繰り返しだ。
さらに柑橘系のさっぱりとした果実水も喉に流し込めば、空腹を訴えていたリューウェイクの腹がようやく満足感を得る。
「リュイ、口のところ」
隣でパンをあっという間に平らげた雪兎が、ふいに自分の口元を指先でトントンと叩く。
仕草の意味に気づいたリューウェイクは、すぐにコートのポケットからハンカチを取り出そうとした。
――が、それより先に雪兎の指先が伸びてきて、ためらいなく親指でぐいと口元を拭われる。
リューウェイクが驚いて固まっているあいだに、彼は指についたタレを舐め取ってしまった。
「……ユキさん。気遣いはありがたいし、親切心だろうけど。こういうのはほかの人にしないほうがいいと思う」
「悪い、つい手が出た」
(僕を子供と言っていたし、弟のような庇護対象に無意識の世話を焼いたとかならいいけど。人の目を惹く見た目で親密に感じる行動をとるのは、気をつけてもらわないと)
まったく悪気を感じさせない返答に、リューウェイクは息をつく。
誰彼無しにするとは思えなくても、行動に気をつけるに越したことはない。
普段の様子を見ていると、雪兎は周りに適切な距離を置いているので、厄介ごとは起きにくいだろうが。
「なぁ、リュイ。これうまい」
「え? ああ、フルーツケ……きっ」
ぼんやり考え込んでいたリューウェイクが、かけられた声に振り向いた瞬間、スプーンを差し出された。
さらには反射的に開いた口にケーキを突っ込まれる。
頭で状況を理解する前に、口の中にクリームの甘みと果物の酸味が広がり、とっさに咀嚼を優先した。
「おいしいけど、突然口に食べ物を突っ込まないで」
「ああ、口を開いたから」
なんという子供みたいな言い訳か。言葉に形容しがたい呆れた感情を覚え、リューウェイクは額を抑える。
脱力感に襲われてうな垂れる横で、元凶の男は満足げにケーキを頬ばった。
「このあとはまだ時間あるか?」
「うん。ユキさんは市場を見たいんでしょう?」
「目的はないが、見て回りたい」
「もちろんいいよ。今日は他国の行商人がバザールを開いているから」
買った品を綺麗に食べきり、ひと息ついてベンチから立ち上がった二人は、行き先を広場に定める。
中央広場は噴水がある王都民たちにとっての憩いの場で、週に一度は都民たちが参加する露天市が開かれていた。
それとは別に、大体ふた月に一度の頻度で、他国からやって来た商人が店を開くバザールも開催される。
後者はいつもよりも人出が多く、運が良ければ滅多にない掘り出し物を発掘できる。
天気が良く、心地いい春風が吹く今日は、気楽にぶらつくには丁度いい。
率先して歩く雪兎の斜め後ろに控えながら、リューウェイクは見回りを兼ねて視線を動かした。
本来の職務担当――第四騎士団――の面子とたまにすれ違い、視線を合わせて挨拶を交わすけれど、別段問題は起きていないようだった。
「なにかいい物を見つけた?」
しばらくして視線を雪兎へ戻すと、彼は店先で立ち止まり、真剣に陳列された商品を見つめている。
傍へ寄ってリューウェイクも覗き見れば、見事な手仕事の刺繍や組み紐、飾り緒などが並んでいた。
細やかなデザインや、美しい色合いがとても目を惹く逸品だ。
「これはなかなかいい魔石を使っている」
中でもリューウェイクの目に留まったのは、装飾品や飾り緒に使われた色とりどりの魔石だった。
小指の先程度のクズ石を見かけることがあっても、ここにあるような細工に耐えられるほどの大きさは非常に珍しい。
しかも空石ではなく、それなりに魔力を蓄えているようだ。
「魔石? 魔力を込めたものか?」
「少し違う。これは空気や地中に含まれた魔力が、自然と凝縮され石化したんだ。鉱山から発掘されたり、ごく稀に魔物を倒したあとに採れたりする。魔力を内包していると使い道が多くて、部屋の明かり、浴室の動力。もっと身近なところならティーポットの保温とか、厨房にも使われてる」
「へぇ、電気やガスみたいな感じか。魔法で動いてるのかと思っていたが、これが燃料なわけだ。魔石は電池だな。――この石は、リュイの瞳とよく似ている。すごく綺麗だ」
「えっ? もしかして剣につける飾り緒を買うの? だったら自分の色に合わせたほうが」
突如、雪兎が指さしたのは綺麗な紫色の魔石だった。
確かに見事なほどリューウェイクの瞳に似ているが、自分の色を堂々と身につけられるのは、なんとも言いがたい気分になる。
「決めごとか? これは駄目なのか?」
「そうでは、ないけど」
(こちらでは相手の瞳の色に合わせた物を身につけたり、自分の色をまとわせたりは深い意味合いが出てくるけど。ユキさんの世界ではこだわりがないかもしれないしな)
「あ、ちょうどいい。リュイにはこれを」
なんと伝えるべきかをリューウェイクが悩んでいるあいだに、雪兎は飾り緒を二つ、すでに購入していた。
さりげなく魔石に唇を寄せてから、自身の目前に差し出された贈りもの。
リューウェイクは品を見た途端にめまいと共に、声にならない呻きが喉の奥から漏れる。
美しく編み込まれた銀色の飾り緒についた、深みのある暗赤色の魔石はひどく見覚えがあった。
どこで、などというとぼけた発言はできないくらいに、そっくりな色だ。
(ちょっと待って、本当に色の交換をする意味は知らないんだよね?)
「えーっと、ユキさん? なんで……」
「リュイからは長剣をもらったし、桜花からは剣帯をもらっただろう?」
「ああ、うん。僕とユキさんに色違いの、オウカさんの祝福が付与されたやつね」
神殿の神官が行う祈祷による祝福よりも、効果が抜群な聖女印の祝福。
身につけていれば魔物除けになったり、怪我の回復が早かったりすると言われている。
「だからもらってほしい」
(僕へのお返しはともかく、妹が贈りものをしたから自分も? 一体なんの対抗心なんだ? ユキさんってわりと天然なんだろうか)
おそらく周りから勘ぐられる意味を、理解していないだろう相手から贈られた装飾品。
完全な善意と、純然たる好意による品を突っぱねるのは良心が痛む。
心でぐるぐると葛藤をしてから、意を決してリューウェイクは飾り緒を受け取った。
「ありがとう」
「出会った記念に、これから先も俺のことを覚えていてほしい」
礼を述べると、至極嬉しそうに表情を和らげるものだから、使わずに大事にしまうという選択ができなくなった。
リューウェイクは諦めの息をついたが、自分を想い自分のために選んでもらうのは初めての体験だ。
落ち着かない気持ちと同じだけ、心からの喜びも感じる。
(この先の思い出と思えば、まあいいか)
腰に佩いた長剣に、もらったばかりの飾り緒をつければ、キラリと光を反射して印象的な暗赤色の石が輝いた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます