自室へ戻り、謁見にふさわしい衣装に急いで着替えたが、支度が終わるより先に迎えが来ていたようで申し訳ない顔をされる。
グレモント専任の近衛隊は騎士団からの選抜ゆえ、リューウェイクと少なからず交流がある者たちばかりだった。
とはいえ無駄口を利いている時間もないので、少しばかり速い速度で王城にある謁見の間に向かう。
謁見者の地位や人数により様々な部屋が使われるけれど、今回は私的な用向きに使われる場合が多い場所だ。
呼び出しの理由が、さっぱり思い当たらないリューウェイクにとって、このあとなにを言われるのだろうかとげんなりする。
せっかく昨日から、雪兎と楽しい時間を過ごしていたというのに、最後の締めくくりがこれとは嫌な予感がした。
扉を叩く近衛騎士の後ろに立ち、人知れず小さな息を吐くと、リューウェイクは黙って前を見据える。
「リューウェイク殿下、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
扉を開いたのは、グレモントの傍に長く仕えている初老の侍従長だ。
公的な謁見であれば、普段から側近の位置にある次兄のアルフォンソが顔を見せると思っていた。
常日頃、事務的にしか顔を合わさない兄になにがあったのか。
リューウェイクは訝しく思いつつも、奥へ通されてようやく、事の次第が見えた。
「リュイ!」
「おお、しばらく見ないうちに随分と立派になったものだ」
さほど広くない、歓談室と言っていいほどの部屋で、リューウェイクを待っていたのは――
渋い顔をしたアルフォンソと、いつもと変わらぬ厳めしい顔つきをしたグレモント。
そして長らく王都を離れていた前両陛下、ルバリオとミレアだ。
腰かけていたソファから、喜び勇んだ様子で前のめりになる二人を、リューウェイクは冷めた気持ちで見つめる。
会えて微塵も嬉しくない、とは言わないが、彼らの思うしばらくの時間はどれほどなのか。
少し見ない間に、だとしたら彼らの時間は自分の時間よりも早く流れているのか、と呆れた気持ちになった。
「十年ぶりくらいでしょうか。ご無沙汰しております」
彼らの感動など気づかぬそぶりで、リューウェイクが挨拶をすると、若干の動揺を感じる。
わざと年数を強調したため、自分たちの不義理を実感しただろう。
グレモントが即位して十年だ。
十歳を過ぎたばかりの幼い息子を放って、王都を離れた親など、忘れてもいいのではないか。
よそ行きの笑みを浮かべながら、リューウェイクは頭の隅で不敬な考えをよぎらせた。
「あ……ああ、もうそんなに過ぎたのだな」
「子供の成長はあっという間ね」
幼い子供が成人して、職務に就くような時間をあっという間とは――と、またリューウェイクの頭の中で、様々な独り言が駆け巡っている。
少し前までは兄たちに会うだけでも緊張を強いられ、自分の存在価値を踏み潰されるような気分だった。
こうも気持ちが凪いでいるのはやはり雪兎の影響だろう。
植え付けられていた価値観が、最近はどんどんと剥がれ落ちて、目の前を覆っていたものがなくなってきた。
「今日は急な登城ですね。今回はどういったご用件でしょう。私が呼ばれる理由はまったく思い当たらないのですが」
接し方がわからずまごまごとする両親と、渋面の兄たち。
いつまで経っても話が進まないので、階級が一番下ではあるが、仕方なくリューウェイクから話を振る。
「突然来たのは申し訳なかったわ。でも今日はリュイにいいお話があって」
しばしの沈黙のあと、無理やり勢いをつけたのがありありとわかる、母のミレアが声を上げた。
夫より二十近くも歳若い彼女は、最後に会った時は三十代前半くらいだったか。
昔からおっとりとした雰囲気で、幼く見える顔立ちはいまも変わらないようだ。
夫のルバリオは六十を過ぎたからか、元の美貌がかなり老いた印象がある。
現役の頃はグレモントとアルフォンソを足して割らない性格だったので、角が丸くなったと称したほうがいいかもしれない。
「私にいい話ですか?」
「そうよ! リュイもいい年頃だし」
「なぜいま、その話を持って来られたのですか?」
「え?」
言い切る前に遮った、リューウェイクにミレアは驚いた表情を見せた。
続いた声音に感情が少しも乗っていなかったため、彼女は次第に引きつった笑みに変わる。
(ほんとに、ユキさんの言う通りろくな話じゃなかったよ。タイミングの悪い人たちだ)
彼らがいま暮らしている領地から、ここまで半月以上かかる。
大所帯での移動を行うゆえ、通常よりも時間を多く見積もったとしても、雪兎との噂話を聞いてすぐに支度をして、王都を目指したのが想像できる。
リューウェイクの行動を、見て見ぬ振りをするつもりだった兄たちは、父親の先触れのない訪問で、こんなにも苦々しい顔になったというわけだ。
グレモントは心の安寧に目障りな存在がいなくなる、いい機会。
アルフォンソは相手にもしていなかった、末っ子の成長に蓋をしてしまえる。
だが父ルバリオの登場でそうはいかなくなった。
「同盟国の王女様がね、リュイと歳が近くて」
「お断りください。双方にとって将来性のないものです」
「でもほら、会ってみたらいいかもしれないでしょう?」
すげない態度のリューウェイクに負けじと食い下がるミレアだが、無意識に眉間にしわを寄せた息子にたじろぐ様子を見せる。
「お前もそろそろ、身を固めてもいいだろう。王女にふさわしい爵位と領地を用意する」
「……私がなぜ、いままで婚約者もおらず独り身なのか、理由はご存じではないのでしょうか? 都合のいい噂だけが耳に入るのですね。この国の令嬢は私を前にしても挨拶一つせず通り過ぎます。そんな男の元へ嫁して王女が幸せになれると? そもそも私は心に決めた人がいます」
助けを求める妻を援護するルバリオの言葉は、リューウェイクにはまったく響かない。
王族の血筋でありながら、現在も蔑ろにされているというのに、爵位や領地程度でなにが変わるのか。
確かに予定であった、辺境伯家に養子に入るよりは体裁はいいだろう。
だとしても結局、外側を綺麗に取り繕っただけに過ぎない。
「ああ、聖女さまと一緒に来たという青年か。しかし彼は元の世界に帰るのだろう」
「もちろんです。必ずお二人とも元の世界へお戻しします」
「ならば添い遂げられぬではないか。一人で老いるくらいなら関係を一から築いても」
「私は……この国を離れます」
ギリギリまでリューウェイクは公言するつもりはなかった。
こんな押し問答の中で言葉にするのは本意ではないが、彼らは濁しただけでは黙って話を進めてしまいそうに思えた。
今回の話を止める方法として正解な行動であり、円滑な計画遂行のためには不正解だ。
今後のリューウェイクの行動が制限される可能性がある。
だとしても沈黙し続けて、気づいたら妻ができていました、では話にならない。
「リューウェイク、それは」
「私は国から、この世界から離れます。民のことは愛しています。それでも私個人はここにいては絶対に幸せになれない。……これは貴方たちがそうしたんです。私は一体いつまで、貴方たちの犠牲にならねばなりませんか。私は、女神さまへの生贄ではないです」
言い募ろうとした、ルバリオの口が薄く開いたまま固まった。
おそらくリューウェイク本人が、愛し子である事実を知ったと気づいたのだ。
ミレアの顔も強ばり、部屋で一番立派なソファに座るグレモントも、気まずげに視線を落とした。
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