第34話 事態が動き出す

 目覚めてから十日以上過ぎた頃、リューウェイクは見込みの甘さを呪った。
 このくらいの時間は考慮していたものの、ただ待つというのは辛いものだ。さらに時間が過ぎる感覚が遅く、長いと感じるため非常に気を揉む。

 それ以上になにが一番辛いかと言えば、部屋が狭くてろくに身体を動かせないという一点だろう。
 救いなのは以前、雪兎に室内でできる筋トレなる鍛錬を教えてもらっていたおかげで、多少なりと運動ができる。

「思えば物心ついて自分で動き出した時から、僕は勉強以外でじっとしているなんてなかったな」

 頼んだ授業が終われば、教わった内容を復習するために図書館へ赴いたり、体力作りを兼ねて城と街のあいだにある森へ、散策へ出掛けたり。
 成長して体が整ってくると、騎士団へ出入りするようにもなった。

 元よりリューウェイクは、机に向かう公務よりも騎士団の仕事がしように合っている。

「そろそろなにか動き出すかな」

 湯浴みをして汗を流し、無意識に習慣付いた窓からの観察をする。
 真っ白な世界は特に代わり映えがないのだけれど、数日前から離宮に駐在していない騎士が、密かに出入りしているのに気づいていた。

 その人物はカイルに接触している様子がないので、彼の仲間ではないが、リューウェイク側であろう人間が動いている証拠だ。
 カイルの情報では意外にもバロンは暴れていないらしく、理由が現状に繋がっている気がした。

「まさか彼が動くとは思わなかったな」

 ここで見慣れない顔だが、出入りしている騎士をリューウェイクは知っている。

 彼は周囲に溶け込むのが得意で、隠密行動が向いていると思っていたが想像以上だ。
 それほど多くない、駐在の騎士の中、悠々と動いているようだった。

「あれか、認識阻害」

 雪兎とデートをした際にかけてもらった、幻視魔法の応用だろう。
 違和感を与えない程度に見た目を魔法で誤魔化し、相手の意識に残らないよう作用する。

 魔法の扱いに長けていないとなかなか難しいと、研究室の筆頭魔法使いに聞いた。

「僕もいつでも動けるようにしないとな。……ユキさん、どうしてるだろう」

 たった半月ほど、会えないだけで恋しくてたまらない。
 声が、優しい笑みが、ぬくもりが届かない場所にいるいまが苦しくて、一人で夜を過ごすのが寂しかった。

 もう少し、きっとあと少しで会えると、毎晩リューウェイクは自分に言い聞かせた。
 離宮に雪兎が来るのは不可能に近いため、彼が迎えに来るとは思っていない。

 リューウェイクは教えられていないが、王族と許された者しか通れない道はいくつか存在するらしく、招く以外にも除外が可能だと書物で読んだ。
 雪兎は真っ先に除外されているだろうから、いるとしたら塞がれた道の向こうだ。

「そうだ。逃げるなら魔物の森だと言っていた。城へは戻らないほうがいいな」

 通称は魔物の森と物騒なのだけれど、本来は女神が始祖と暮らした土地だと伝承がある。
 国花とされる紫の花はあの森でしか咲かないことから、加護が強いのが確かで、正しくは聖地だ。

 広大な森は大きな街が一つすっぽり入るほど。
 身を隠すのにはもってこいで、加護でリューウェイクの身を守ってくれそうである。雪兎が言うのだから意味もあるのだろう。

「ここから森まで一日、馬を走らせればいい」

 そこで雪兎は待っていてくれるはず。思いを馳せながら、リューウェイクは祈るように鉄格子にもたれた。
 外界と自分を隔てるこの冷たい柱とも、きっともうすぐお別れだ。

 

 脱出の決行日は予想よりも早く訪れた。あれから数日、夜に食事を届けてくれたカイルから小さな手紙を預かった。
 努めて冷静さを装うカイルだが、わずかに緊張した面持ちで、リューウェイクの視線に黙って頷く。

 どうやら出入りしていた騎士は、カイルと繋ぎをつけられたらしい。
 一番近くにいるため、カイルの周囲は警戒されているのだが、さすがと言わざるを得ない。

「ラーズヘルムの希望の星。リューウェイク殿下に女神さまの加護がありますように」

 去り際に、かすかな声で捧げられた言葉に胸が熱くなる。もうカイルと言葉を交わす機会は訪れない。
 なぜだかそう思い至り、扉が閉じる前にリューウェイクは〝君たちの未来に大きな幸福が訪れるよう願う〟と伝えた。

 紙片には騎士団の上層部だけが知る、暗号文字で書かれている。
 いまではほとんど使われないが、第三騎士団ではよく使う文字だった。

「ベイクさんが来てくれるのか」

 見慣れた少しばかり癖のある字は、馴染み深い先輩騎士のものだ。
 ベイクが動いているとなれば、団長のラインハルトが許可を出しているのは間違いない。

 彼が現役を退いたあとは団長にリューウェイクを、副団長にベイクをと話が上がっていた。
 今後リューウェイクが去れば、ベイクがトップに立つだろう。

 現状では団長が一歩引いた立ち位置にいるので、いまの第三騎士団の中心は、リューウェイクとベイクなのだ。

「みんなには感謝しかない」

 手を貸してくれている人物にも感謝が絶えないが、第三の仲間たちはやはり格別だった。
 彼らが来てくれるとわかった途端に、萎れていた気持ちが鼓舞される。

 指定された時刻と合図をしっかりと記憶し、紙片は魔法で燃やした。
 それから普段通りの時刻に、室内灯を消して、リューウェイクは時が来るのを静かに待つ。

 冬の夜はどこかほの明るい。
 月明かりが雪の白さに反射されているからなのか。

 空気の冷たさは、月や夜空の星を冴え冴えとさせる。
 決して大きくない窓から射し込む月明かりだけでも、室内が明るく感じた。

 カイルの話では夜が深まる頃、わずかに離宮の見張りが手薄になる時間帯があるらしい。
 離宮に出入りできる人間が限られている。それを知っているからこそ、油断をする者たちも多くなるのだ。

 さらに今夜はカイルと繋がりのある騎士が、夜番を担当しているらしかった。
 間違いなく手引きをする算段だろう。

 しんと静まり返る空間で耳を澄ましていると、小さく扉を叩く音が聞こえた。
 こんな時間に訪ねてくる者はいないので、約束の相手なのは確かだが、合図のノックも注意深く確かめる。

 叩く回数と叩き方、これは任務中の騎士のあいだで、よく使われる手段でもあった。
 合図を返すとかすかに鍵が開く音がして、リューウェイクは扉の横壁に背を預け、相手が部屋に入るのを待った。

 味方であるのが確実だとしても、油断は禁物だ。

「よく食う鷹は」

「おしゃべりだ」

 小さく呟かれた言葉に返事をしながら、リューウェイクは吹き出しそうになるのを手のひらでこらえた。
 バカみたいなこの合い言葉は、第三騎士団でしか通じない。

 団内で活躍する伝令用の鷹――ギャッツは働き者だが食い意地が張っていて、仕事が終わると餌をせっつくことで有名なのだ。
 鷹とは思えない鳴き声を上げながら、もらえるまで団員たちを追いかけ回す。

「思ったよりも元気そうだな」

「おかげさまで。だけど体が鈍って仕方がない」

「ならサクッと脱出するか。夜の食事に遅効性の睡眠薬を盛ったから、ほとんどのやつらがいまごろは夢の中だ」

 笑いをこらえるリューウェイクの頭を、幼子にするみたいにポンポンと撫でてから、ベイクは首尾は上々と親指を立てて見せる。
 自信満々な態度にリューウェイクも頷き、踵を返した彼のあとに続いた。

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