いつもだったら光喜はこんなに引きずるような恋はしない。パチンパチンとスイッチが切れて気持ちが切り替わる。それなのにいつまで経ってもスイッチは音を立てない。それどころか想いとは裏腹に心は先へ進みたがる。
どうしたらこの気持ちに区切りが付けられるのか、それがわからなくてひどくもどかしい。手を伸ばせば届くのに、触れてはいけないなんてなんの罰だろう。
「おーい、光喜。どうした? 酔ったか?」
「んー、大丈夫だよ。ほら、月がまん丸で綺麗だなぁって思って」
ふと我に返ると、道の先を歩く背中へ腕を伸ばしかけていた。けれど光喜はその手を誤魔化すように上へと向ける。暗い空には冷えた空気の中、冴え冴えと光る真っ白な月。まっすぐ上に向けられた光喜の手につられるように勝利は夜空を仰いだ。
その隣には当然のように寄り添う人。顔を見合わせて笑う二人の顔にツキンと胸が痛む。
「小津さーん! 今日はごちそうさま! ほんとにおごってもらえるとは思わなかった」
立ち止まっていた足を先へと進めて、こちらを心配そうに見ている顔へ光喜は笑みを返す。そして離れた距離を埋めるように駆け寄って、大きな身体にぶつかるように抱きついた。すると途端に身体が瞬間冷凍したみたいに固まる。
ちらりと視線を持ち上げると、夜道でもわかるくらい小津は顔を真っ赤に染めていた。いまどき珍しいくらいの純情。自分にもそんな健気さがあったら、なにか変わっていただろうかとそう思うけれど、どうひっくり返しても変わりようがないことを光喜はわかっている。
大好きなあの子にも自分の本音を見せることができないひねくれ者。
「あ、勝利! やっぱり今日はいいや。ちょっと眠いし、帰ってすぐ寝たい」
「なんだよ。気まぐれなやつだな」
「また今度ゆっくり二人っきりで遊ぼうよ」
「しょうがねぇな」
「じゃあ、俺、先に帰る! 駅まで送らなくてごめんね。小津さんもまたね!」
抱きついていた身体を離すと、手が追いかけるように伸ばされる。けれどその手はなにも掴まずに引き戻された。だから気づかないふりをしてひらひらと手を振る。そして視線から逃げ出すように光喜は三人に背中を向けた。
「いつまで、誤魔化していられるかな」
もう心はギリギリのラインに立っている。足を滑らせたらあっという間に奈落へ落ちていくだろう。そうしたらきっと笑っていられなくなる。だけどそんな姿は絶対に見られたくない。だからいまはまっすぐに前を向くしかない。
俯かないように、遠くへ遠くへ視線を向ける。いま俯いたらきっと感情がこぼれ落ちる。
「……待って! 光喜くん!」
「え?」
足早に歩く光喜の腕がふいに後ろへ引っ張られた。その手に肩を跳ね上げて振り返れば、真剣な目がまっすぐに自分を見下ろしている。驚いた顔を映し込む眼差しに光喜が目を瞬かせると、きつく掴まれた腕が放された。
「あ、ご、ごめん。急に呼び止めて」
「……大丈夫だけど。小津さん、どうしたの? 電車は?」
「えっと、いや、その、僕の家も、こっちの方角なんだ」
「そうなんだ」
「だ、だから、マンションまで、送るよ」
あたふたと落ち着きなく頭を掻いたり、首の後ろを触ったり。うろうろさ迷う視線に真っ赤な顔。まったく気持ちを隠せていないその反応がおかしくて、思わず光喜は吹き出すように笑ってしまった。
「いいよ。一緒に帰ろっか」
「うん」
ひび割れた心に染み込むとろりと甘い蜂蜜。それは隙間を埋めるみたいに浸透していく。その甘さに身を任せられたら、幸せになれるのだろうか。そんな考えが光喜の心に浮かぶけれど、簡単に心変わりができるのなら、もうしている。
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