勝利が好きだ、愛おしいなとそう思った時、初めて彼にキスをした。なんの抵抗もなく思うより先に身体が動いた。けれどまっすぐと見つめた光喜に、勝利は真っ先に冷静になれと言った。異性愛者は道を踏み間違えたと簡単に離れてしまう。だから信用ができないのだとひどく傷ついた顔を見せた。
しかし生まれた感情に間違いなんてない、光喜もそう思う。好きという感情は計算なんかでは導き出せない突然変異のようなもの。燃え上がった想いは火が消えるまで簡単になくなったりしない。
「ふぅん、その人に負けちゃったんだ」
片想いのきっかけを話すと、ベビーカーで眠る悠人に視線を落としていた瑠衣がぽつりと独り言のように呟いた。それは驚くでも呆れるでもない静かな声だ。
「多分、告白された時からもう感情は動き始めてたんだよ。だって冷静に考えたら、相手を振るなんてそんなに難しいことじゃないでしょ。それに悩むってことはもう相手に向き合ってるってことだ」
本人が気づいていないだけで、鶴橋に告白された瞬間に勝利の心には火がついていた。そして同性愛者だから、異性愛者だから、そんな言い訳さえも飛び越えてしまうような火柱が立ち上ってしまった。
「その子のどんなところが好き?」
小さな瑠衣の問いかけに光喜は少し考えるように視線を遠くに投げた。そしてカウンターを挟み楽しげに会話をしている千湖と桃香を見ながら、心に浮かんだ気持ちを言葉にする。
「……一緒にいると楽しくて、わくわくして、笑ってる顔を見てるだけで幸せだなぁって思えて、すごくドキドキした」
「そっか、でもいまはそれが苦しくなってきたのね」
意識をしたつもりではなかったが過去形にしてしまった。そんな光喜の想いに気づいたのか、瑠衣は視線を持ち上げて弟の顔をまっすぐに見つめる。
「うん、片想いがこんなに辛いなんて初めて知ったよ」
「あんたはいっつも受け身だったもんね」
頬杖をつきながらふっと小さく笑った瑠衣の表情に光喜はいままでの自分を振り返る。これまで一度も相手に自分から好きだ、と告白なんてしたことがない。ふと勝利の時はなんと言っただろうか、そんなことを思い返し、そこでも好きだなんて言葉を告げていないことに気づいた。
ふりはやめて本当に自分と付き合おう、勝利ならいいよ、光喜は彼にそう言った。
「俺ってかなり自己中かも」
相手よりも自分の感情を優先している。好きだから付き合ってください、ではなくて、好きになったから付き合おう。まるで相手の意志は自分に沿って当たり前な言葉。だからスイッチが切れた途端に別れを切り出せる。ひどく自分本位な恋愛。
「俺はいままでの子たちのこと本当に好きだったのかな。そう思ってるつもりなだけだったのかもしれない」
「んー、好きだって言う感情にほだされて好きになっちゃった、って感じじゃない? 見た限り彼女たちのこと大事にしているように見えたわよ」
「でも一緒にいる時はすごく大好きだって思えていたんだけど、急にドキドキしなくなるんだ。そうしたら一気に気持ちが冷めて」
「きっと光喜の恋愛バロメーターは最高潮に達したら終わりなのね」
「え? それどういう意味?」
首を傾げた光喜に、瑠衣は口の端を持ち上げて一呼吸置いてからカップを口元に引き寄せる。その仕草がなぜだかスローモーションのような緩慢な動きに見えて、言葉を待つ光喜はひどく焦れったい気持ちになった。
「あんたっていつもドキドキしない、ドキドキしなくなったって言うでしょ。いままでの彼女と一緒にいて腹立つな、とか嫌だなぁって感じたことあった?」
「ない、と思う」
「でもね、まったくの赤の他人が長いこと一緒にいたら、たまにはカチンとくることも、不快に思うこともあるはずなのよ。わたしとかに思うことはあるでしょ」
「……うん、ある」
「要するにね、光喜は相手にそういう感情を抱きそうになる、その寸前で別れるの。だから恋愛のキラキラとした楽しい部分しか残らないわけ。それが悪いことだとは言わないけど、誰かとずっとに一緒にいたいと思うならそういうところも受け入れていかないと駄目だとは思う」
ゆっくりと紡がれた瑠衣の言葉に、胸の鼓動が急にドクドクと動きを速める。もしその言葉通りなのならば、いまこの胸にある気持ちは――これまでしてきた恋愛と変わりがないものになる。
女の子にドキドキしなくなったのは同じことの繰り返しに疲れたから。勝利に気持ちが向いたのは、いままでにない新鮮な感情に揺さぶられたから。
一緒にいると楽しい、わくわくする、ドキドキする。それはこれまでの彼女たちとは違う反応が返ってくるから。いま苦しいのは相手の心が自分の思い通りにならないから。
感情の裏に隠れていた本音に気づいて、光喜はひどく息苦しさを感じた。
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