時間ギリギリにスタジオに入るとわらわらと光喜の周りに人が集まり、いつもの作り笑いになった。出端からこの調子では一日気が重くなりそうだとため息がこぼれる。晴はと言えば、そちらもいつもの可愛い子ぶりっこな仮面を被りスタッフにちやほやされていた。
この場に来てしまうと自分の身は自分で守るしかない。愛想笑いが崩れないように光喜は慎重に笑みを貼り付ける。
「光喜くん、久しぶりだよね。去年の十月くらいが最後だったっけ」
「ああ、そうだったかな」
「僕は光喜がいなくて超寂しかった」
ふいに話に割り込むように晴が甘えた声を出す。よそ行きの仮面を被っている時の彼は一人称が変わる。
並んだ椅子に腰かけて二人は隙のない完璧な顔で笑い合う。鏡に映った晴はほんの少し拗ねたように人差し指を突き合わせ、光喜がいないとつまらないと小さく口を尖らせている。その顔に二人の後ろに立っているヘアメイクの女の子たちがクスクスと笑った。
「あはは、晴くんは光喜くん好きだよね」
「そういえば、光喜くんいまはどんな子と付き合ってるの?」
「え? あー、いまは」
「あれ? 別れたばっかり?」
「そういうわけじゃないんだけど」
光喜のサイクルが一年単位であるのは現場でもよく知られている。歴代彼女は一般人の子がほとんどだが仕事柄モデルや女優と幅も広い。あまりこそこそと付き合うタイプでもないので、こういった話題もよくあることだ。
「もしかしてぇ、恋しちゃってるとかそういうの?」
「あらあら、光喜くんが片想い?」
言葉を濁らせた光喜にニヤニヤと唇を緩める彼女たち。その反応に携帯電話に視線を落としていた晴も振り返った。三つの視線が集中して光喜はかなり居心地の悪い気分になる。目線を俯けるとふいにしんと静まり、背後で顔を見合わせたような気配を感じた。
「ごめんごめん、からかっちゃった。そっかぁ、それならいまフリーなのは内緒にしなくちゃね」
「光喜くんに彼女がいないとわかれば、ほかの子たちが黙ってないもんね」
今日は光喜と晴のほかに女性モデルが四人。聞いた名前はどれも覚えがあるもので、二十代前半のいま人気の高い顔ぶれだ。新しく創刊する雑誌と言うことで力を入れているのだろう。なんで辞めた自分になんて声をかけてきたのかと光喜の口からまたため息が漏れる。
けれどスタジオに戻ってふいにかけられた声に振り返ると光喜の肩の力が抜けた。
「光喜、ほんとに来たんだ」
「あ、今日って渉さんだったんだ」
「うん、そう。久しぶりだねぇ」
まっすぐに向けられた瞳は綺麗なエメラルド。首元で結わえた髪はキラキラとした金茶色で、色の白い肌に艶やかさがあり、英国人を思わせる顔はなかなかお目にかかれないほどの美形だ。その人こそモデルという職業に似合いそうだと思えるが、彼の手にはカメラが載っている。
「久しぶり過ぎてちょっと緊張してたんだけど、渉さんなら安心できる」
「そう? それなら良かった」
ふふっと小さく笑った表情につられて光喜もやんわりと微笑んだ。カメラマンである月島渉は光喜が初めて仕事をした時に知り合った。ひどく気難しい人ではあるが、技術とセンスはほかの追随を許さない。この人の前だと光喜は繕わないでいられる。
「晴が無理を言ったんでしょ」
「断る隙も与えてもらえなかった」
「わかるわかる、そういう子だよね」
他人の目がある場所で言葉や態度にはっきりとは表さないが、おそらく渉は晴の仮面も光喜の仮面も気づいている。信頼できる唯一の大人かもしれないと光喜は思っていた。仕事をするのは嫌だけれど、彼が向けるカメラの前に立つのは好きだった。
「ちょっと風を起こしまーす」
今日集まった中に勘の鈍い子がいたら容赦なく中断されるところだが、入れ替わり立ち替わりしながら撮影は順調に進んでいく。華やかな世界の裏側、それを見ることはそれほど光喜は嫌いではない。世界が作り上げられていく過程はわくわくとする。
もっと自分が器用で、もっと自分をさらけ出せる人間であれば、なにかが変わっていたかもしれない。けれど再びこの世界には戻る気にはなれないなと光喜は思った。ここは中途半端なままでは生きていけない場所だ。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます