この想いは好きだという感情だけでは片付かない。お互いの価値観、考え方の相違、周囲の不理解、好奇な視線。異性間でもその関係を保つの難しいのだから、同性同士となればさらに様々な障害が出てくる。世の中が決めた当たり前から外れてしまう関係は、ひどくバランスが悪い場所に立たされている。
いまになって勝利の言っていた意味がストンと胸に落ちてきた。好きな人が同性だっただけ、そんなことを言えるのは選択肢のある人間だけだ。勝利も小津もその人ではなければ好きになれない。光喜のように選択肢がある人間は、もっとしっかり想いを伝えなければその人を手に入れることはできないのだ。
そうしなければ自分以上に相手を不安にさせてしまう。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
目の前にいる人が欲しい。ほかの誰かでは代わりにはならない。だから手を伸ばさなければ、一生、捕まえることはできない。
ぼんやりと小津を見つめていると、立ち上がった彼が小さく首を傾げる。その仕草に目を瞬かせれば、ふんわりと優しい笑みを返してくれた。それだけで光喜の胸はとくんとくんと甘く高鳴る。
「あ、なんか手伝うよ」
「いいよ、座ってても。ビールまだ冷蔵庫に入ってるよ」
「小津さんは俺を甘やかすの得意だね」
「そうかな? でも光喜くんにはなんでもしてあげたいかな」
「んふふ、俺いい気になっちゃうよ」
キッチンに立って洗い物をしている小津の背中を見つめて、早くこの想いを伝えようと気持ちがはやる。どんな答えが返ってくるか、少し不安ではあるけれどもう躊躇っている場合ではない。
「あれ、こんな時間に誰だろう」
水音が響くだけだった空間にチャイムの音が鳴り響く。その音に小津は視線を壁掛けの時計に向けて首を傾げた。時刻は二十時少し前、配達が来てもおかしくはない時間だ。
「なにか届く日だったかな」
「俺、出ようか?」
「ああ、うん、お願い。判子は靴棚の上にある引き出しに入ってるから」
「はーい」
まだ洗い物が残っている小津に笑みを返すと、光喜は足早に玄関へと向かった。しかし照明を点けて鍵を解錠して、扉を開いたところでひどい後悔に襲われる。目の前に立つ人を見た瞬間、光喜は一気に血の気が下がったような気分になった。
「あ、あれ?」
穏やかではない光喜の心中など気づかないだろうその人は、黒目がちな瞳を瞬かせて首を傾げる。不安げにキョロキョロと視線をさ迷わせ、光喜をじっと見上げてきた。小柄なその人は光喜と頭一つ分は違う。
整った小さな顔に男性にしては華奢な身体。どこか少女を思わせるような可憐さがにじみ出ている。
「あの、すみません」
「……ああ、こ、小津さんなら中にいるよ」
「あっ、良かった。引っ越ししちゃったのかと思いました」
ふふっと小さく笑った顔まで愛らしい。けれどその人を見ているだけで光喜の心は切り刻まれるような痛みを感じた。目の前にいる彼に光喜は覚えがある。小津の部屋で最初に見た写真、そこに写っていた男だ。
「えっと、いいですか?」
「あ、ああ、どうぞ」
いつまでも黙っている光喜に不思議そうな顔をして彼は先を促す。自分の目の前にいる男がもしかしたらいまの恋人なのかもしれない、なんて疑念は欠片も思わずに。別れて四ヶ月、そんなタイミングで現れる理由は一つしか見当たらなかった。
それでも作り笑みを浮かべたまま光喜は彼を招き入れてしまった。いまここで彼を追い返す権利は自分にはないからだ。
「光喜くん、なんだった?」
部屋に繋がる扉を開くと片付けが終わったのか小津が手を止めて振り返った。けれど返事をしない光喜を見て心配げな顔をして足を踏み出す。しかし光喜の背後から顔を覗かせた人物に息を飲んでその足を止めた。
「修平くん、久しぶり」
「え? 和美?」
照れたようにはにかんで、小津の元彼、和美は驚く顔をまっすぐに見つめる。それに対し状況を飲み込めていない小津は固まったままだ。それでも近づいてくる和美に我に返ったのか、ふいに光喜へ視線が向けられた。
「……光喜くん」
なにか言い訳を考えているような顔、それを光喜が見るのはこれで二度目になる。しかしあの時もいまも、小津が悪いわけではない。これはすべて光喜が自分で引き寄せてしまったことだ。
興味本位であのアルバムを引き出さなければ良かった。黙って二人で外へ食事に行っていれば良かった。もっと早く気持ちを伝えていれば、きっとこんなことにならなかった。
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