目が覚めた時、見えたのは廊下の木目ではなかった。目の前にあるのは見覚えのある天井、光喜はいつも自分が眠っているベッドの上にいた。けれどいくら考えても自分でここにたどり着いたとは思えない。
布団の中を覗くと、ずぶ濡れだった服ではなくTシャツとスウェットに着替えてある。しかしさらに考えを巡らそうとしたら頭痛がした。響くような痛みに眉をひそめ額に手を当てたら、そこには冷却シートが貼り付けてある。
ここまで来ると自分の行動ではないのは明らかだ。それを確かめようと光喜が軋む身体を持ち上げると、ふいに部屋の戸が開いた。
「お、光喜、起きたのか」
「え? 勝利?」
「まだ寝てろよ。熱下がってないんだから」
寝室に入ってきた勝利は光喜の顔を見てほっと息をつく。そして傍まで来ると柔らかくなっていた氷枕を取り替えた。肩を押されて身体をベッドに沈めれば、ひんやりとした冷たさが頭の後ろと首の辺りに広がる。その感触に光喜は思わず目を細めた。
「ねぇ、勝利、なんでいるの?」
「ん? ああ、昨日の晩にさ、なんか必死な感じで小津さんから連絡があって。光喜にいくら連絡しても繋がらないって慌ててたんだよ。まあ、繋がらないなんてことはよくあるだろって言ったんだけど、心配だからって言われて来たわけ」
「……そうなんだ」
「うん、そしたら扉は開いてるし、お前は玄関で倒れてるしでびびった」
「よくここまで運べたね」
「ああ、ベッドに運んだのは冬悟さんと二人で。大変だったぞ、お前デカいし重いし」
「ごめん」
肩をすくめて笑う勝利は目を伏せた光喜の頭を優しく撫でる。そしておもむろに冷却シートを剥がしてベッドボードに手を伸ばすと、新しい冷却シートを取り出しそれを額に貼り付けた。
「いま何時?」
「んー、十三時過ぎたとこだな」
「勝利、このあとバイト?」
「休んだ。熱下がんないお前を放っておけないしな」
「そっか、ごめ……」
「謝んなくていい」
口を開いた途端にゼリー飲料を突っ込まれる。それに驚いて目を瞬かせるが、光喜は黙ってそれをジュッと吸い込んだ。冷えたそれが熱い口の中を冷やし、ゆっくりと喉を通り過ぎていく。
「おかゆはレトルトな。いま食べるか?」
「うん、ありがと」
「風邪薬は買ってきたから、食ったら飲めよ」
「……あのさ、小津さん、は、なにか言ってた?」
「熱出してぶっ倒れてるって言ったらすげぇ心配してたぞ」
「それだけ?」
「ん?」
「あ、なんでもない」
不思議そうに首を傾げた勝利に光喜は誤魔化すように首を振った。けれどそれを訝しむでもなく、なだめるように額を軽く数度叩いて勝利は部屋を出て行く。後ろ姿を見送ってから光喜は天井に視線を移した。
勝利のあの様子を見る限り、光喜が小津の家に行ったことも、そこでなにがあったかも知らないようだ。しかしそれはいちいち言うことでもないなと光喜は苦笑いを浮かべる。
「あれからどうなったんだろう」
電話をしてきたことを考えれば、和美は帰ったのだろうと推測はできた。しかし小津がどんな返事をしたのかが気にかかる。少し前に別れた相手が急に訪ねてくるとしたら、考えられることは復縁だけだ。
はっきりとした好意を示してこなかった光喜と、またやり直したいと言ってきた元恋人、小津はどちらを選ぶのだろう。
けれど考えるだけでも胸が苦しくなる。喉がヒリヒリとして感情が込み上がる。目を瞑ったら涙がこぼれ落ちた。どうしてもっと早くあの人の気持ちを確かめなかったのか、どうして好きだと言えなかったのか。
嗚咽が漏れないように声をかみ殺して、肩を震わせながら光喜は静かに泣いた。
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