離宮へ戻ってもユーリはデイルにしがみつき、ひとときも離れなかった。
従者たちは二人に気を使って下がってくれ、いまはデイルが冷たい布をまぶたに当ててくれている。泣きすぎて赤く腫れているらしい。
「大丈夫ですか?」
「ディーが口づけてくれたら、大丈夫になる」
「いつからこんなに甘え上手になったのでしょうね」
「こんな僕が嫌いか?」
「まさか、お可愛らしくて好きですよ」
ソファに並んで座っていたが、デイルはふっと笑ったかと思えば、ユーリを膝の上へ載せた。
堅物の彼がそんな行動に出るとは思わず、ユーリは目を瞬かせ、驚きをあらわにする。
いままでどんなにユーリが積極的に接近していっても、デイルはさりげなく躱していたので、当然の反応だろう。
だというのに彼は意地悪く目を細めた。
「どうしたのですか? いつもはあんなに強引なのに、しおらしくなってしまわれて」
「――っ! どうしたは僕の台詞だ。いつもははぐらかす癖に。飴を与えてなだめようという作戦か?」
「いいえ、あなたの期待に応えようと思っているだけです」
じとりと疑い深く見つめたら、デイルはユーリの顎を指先ですくい上げ、なにも言わずにそのまま口づけてきた。
最初は優しく触れるだけ。
次は唇を食み、舌で味わい。たまらずユーリが唇を開けば、するりと忍び込んでくる。
「んっ、んっ……」
いつもとはどこか違う口づけに、ユーリは焦り、問いかけようとするけれど、離れるどころかさらに深く貪るように口づけられた。
後ろへ引こうにもデイルの膝の上。腰を抱き込まれて、手のひらが後頭部に添えられている。顔を背けることすらできない状況だ。
「ふっ、んっ……ぁっ」
後頭部に合った手がするりと下りてうなじを撫でる。
蕩けそうな口づけで敏感になっていたユーリは、手袋越しで感じるデイルの熱にも肩を震わせた。
ゾクゾクとする感覚に、ユーリは何度も小さな甘い声を漏らす。
「可愛い。ユーリさま、口を開けて」
「ふぁっ、だめ、ディー、待って」
ゆるりとソファに押し倒され、見下ろしてくる二色の双眸にユーリは胸をドキドキとさせた。
手袋を脱ぎ、素手で頬に触れてくるデイルの熱に、浮かされそうなほどだ。
「ほら、舌を」
「やっ、急すぎる! ――っ、ふぅ、んっ」
顎を掴まれ、ぐっと親指を突っ込まれると、自然とデイルの望むままに口が開く。
再び近づいてきたデイルに今度は舌を吸われてしまい、ユーリは切なげに眉を寄せた。
だがその表情はひどく扇情的で、目に留めたらしいデイルははあ――っと熱い息を吐いた。
「ようやく、ようやくあなたに触れられる。あの日の時間を過ぎたいま、やっとこれが夢ではないと、あなたをもう失わなくていいと思える」
(まさかそれで、いままで僕の誘いを躱していたのか? 一言、言ってくれたら僕は気に病まなかったのに)
これまでの我慢をさらけ出すみたいに口づけてくるデイルに翻弄される。
「ぁっ」
口づけは次第に、ひらかれた襟元から首筋へ滑り下りて、根元をきつく吸われた感触がした。それも一度や二度ではなく、何度も。
所有欲を満たそうとしているのが丸わかりで、おそらくそこには痕がたくさんついているだろう。
どんどんとはだけられていくシャツに、さすがのユーリも顔が紅潮せずにはいられない。
「ディー、待ってくれ! そこまで急かなくても僕はどこにも行かない!」
「……す、すみません」
「びっくりした。食われるのかと思った」
「とてもいま、お腹が空いてます」
「うっ、それは、ちゃんと満たしてやるつもりではいるけれど。展開が急すぎて、ついていけないだろう? 僕だってしたい。だとしてもこんな勢いだけで、ソファでなんて」
大きな声を出したユーリに、我に返ったデイルはしゅんとなる。
(ディーって、もしかして経験――そこまで多くないのかも?)
未来のデイルは三十過ぎだった。娼館などで経験はあったとしても、そこまで頻繁に通う性格にも思えない。
とはいえユーリも経験らしい経験はない。
未来では一方的に強要されていた状況であった。
もちろん男女とは違う。同性同士はどうやって性行をするのか、知識でなら知っている。
きっとデイルは男としてユーリを抱きたいだろうと思っていた。
ユーリ自身も誰かを抱きたいだとか、デイルをどうこうしたいだとかいう欲はなかったので、自分は受け入れる役だと理解もしている。
「そんなに急いても僕は女性じゃないんだ。すぐに挿れられないぞ」
「ユー、リさまっ」
大人しくなったのを見計らって体を起こすと、デイルの熱くなっているのだろう昂ぶりを、ユーリは手のひらで撫でる。
臀部に押しつけられた時も思ったけれど、デイルのモノはかなり立派に思えた。
「こんなに大きなものを僕にねじ込むつもりだったのか? 指くらいしか、挿れたことないのに」
「ゆっ、指? 誰かに触れさせたのですか!」
「……そ、そんなわけないだろう! バカ!」
突然、とんでもない勘違いをし始めたデイルを、ユーリは手近なクッションで殴りつけた。
バシバシと何度も叩けば、自分の早とちりに気づき、デイルは繰り返し「すみません」と謝ってくる。
「予想外な言葉でしたので、少し取り乱しました」
「ディーがいつ目覚めるかわからないし、いつになるかもわからないから」
「本当にそれだけ、ですか?」
「なんだよ、その疑いの目。ぼ、僕だって年頃なんだ。好きな相手が目の前にいてどうにもならなかったら、一人でしてしまっても……仕方がないだろう」
(本人の傍で自慰に耽ってたとは言えないけど、気づいていそうな顔)
もごもごと言い訳めいた感じになり、ユーリの言葉尻が小さくなっていく。
同時に白い肌がますます羞恥で赤く染まりだし、見つめてくる二色の瞳が雄の目になる。
熱量のこもった眼差しをデイルに向けられ、ユーリはもじもじとし始めた。
想像をした経験があっても、実際に向けられるのは初めてなのだ。
これまでどれほどデイルが我慢をして、自身の衝動を抑え込んでいたのか、瞳を見るだけでわかる気がした。
「ではユーリさま、寝室に踏み入る許可をください」
「そんなの、わざわざ……もう、意地悪だなディーは! ほら、早く僕を連れて行ってくれ」
こういう時にわざとらしく主導権を握らせようとしてくるデイルに、ふて腐れた表情を見せ、ユーリは両手を広げる。
すると恭しく、彼はユーリの体に腕を回した。
「仰せのままに」
ふふっと柔らかく笑ったデイルを見ると、怒りが持続しないと気づき、ユーリはムッと口を尖らせながら、彼の首筋に抱きつく。
それでも抱きついた瞬間、触れた場所から伝わった早い鼓動――彼の余裕そうな裏側が垣間見えて、少しだけ気分が良くなる。
「愛してる、ディー」
「私もです。ユーリ」
ぎゅっと抱きつけば強く抱きしめ返してくれる、ただそれだけの仕草。
このぬくもりが恋しいと想い続けて、ユーリも――ようやくだ。
なりたくもない皇帝になった五年。デイルが眠りについて八年。
ずっと触れたくても触れられなかったのだ。
「僕のすべてを愛してくれ、ディー」
「私にすべてを与えてくださるのですね」
「うん」
寝室へと足を踏み入れ、デイルはそっと広いベッドの上にユーリを横たえる。
上着を脱ぎ、ベッドに乗り上がってくる彼の姿を見ているだけで、ユーリの胸ははち切れそうなほど鼓動を速めた。
「緊張されていますか?」
「ん、ちょっと。いつも閨では蜂蜜酒を飲んでぼーっとしているあいだに」
「ユーリさま、その話はしなくていいですよ」
「あっ、すまない」
言葉を遮るみたいに唇に指先を充てられ、こんな場面で不謹慎だったとユーリは気づく。
「大丈夫です。そんな記憶は忘れさせます」
「そう、してくれると嬉しい。いい思い出ではない、から」
「すべて私のものにしますから、そんなに不安げな顔はしないで」
「うん」
ゆるりと身を屈めてきたデイルに小さく頷き、ユーリは彼からの口づけを受ける。
閨での思い出は本当に、酒と媚薬で浮かされていてあまり覚えていないけれど、不快な感覚だった。
なにもかも塗り替えてほしくて、手を伸ばしユーリはデイルを引き寄せた。
明るかった寝室の明かりが一段暗くなり、二人っきりを先ほどよりも実感できるようになる。
デイルの配慮だと気づくと、嬉しくて彼の首筋に顔を埋め、堪能するみたいに爽やかな匂いを吸い込む。
デイルのまとう香りは、近くないと感じないのだ。
いま自分に触れているのが、愛しい人だと感じられる瞬間だった。
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