第9話 猫に手を噛まれる

 一真が住むマンションに着くと、希壱はそわそわと落ち着かない様子を見せた。
 よその家にもらわれてきた猫のよう――だが、なんでも猫に変換しては駄目だと、一真はポンと頭に浮かんだ黒猫をかき消した。

「なにか珍しいものでもあるのか?」

「そういうわけじゃないけど。なんか一真さんの部屋だなぁと」

「なんだそれは、子供かお前は」

「好きな人の部屋って思うと、ドキドキとわくわくで浮き立つ感じ。1LDKもあるとさすがに広いね」

 一真がソファへ促すと、希壱はちょこんと座り、相変わらずキョロキョロする。

 大学時代から住んでいる部屋は、確かにゆとりがあった。
 一真は狭苦しいスペースが好きではないので、少々家賃の値が張るものの、今後もまったく引っ越す気はない。

「なにか飲むか?」

「コーヒー以外」

「……っ、希壱はいまだにカフェインをとると夜眠れないのか?」

「笑わないでよ。子供、とかじゃなくて体質なの!」

「悪い悪い」

 からかったら、希壱はムッと口を尖らせて不満をあらわにする。
 そんな仕草が子供みたいなのだと、追加でからかいたいが、一真は彼の機嫌を損ねたいわけではない。

 どうしようかとしばし悩んで、普段から希壱が好んでいる、ココアを作ってやることにした。
 たまに一真も甘い物が飲みたくなるので、小さな缶入りのココアパウダーが常備されている。

「わざわざありがとう」

「外、かなり寒かったしな」

「一真さんは優しいな。待たせていた俺が冷えていて可哀想になったんでしょ」

 出来上がったココア入りのマグカップを希壱に手渡したら、彼は嬉しそうに表情をほころばせる。
 ついでにと一真は空いたスペース――希壱の隣――に腰を下ろした。

「黒猫が寒空で、ぷるぷる震えているように見えてな。鼻先が真っ赤だった」

「食べてる姿はリスみたいって言ってたけど。普段の俺は、黒猫に見えてるんだ? 意外、犬っぽいって言われるんだけど」

「弥彦は犬だが、希壱はネコ科だな。大きさからいくと黒豹とかなんだけど、そんな獰猛系じゃないし」

「一真さん、男はケダモノなんだって」

「なんだよ、お前。俺を襲う気、満々だったのか?」

 ふーふーと冷ましながら、ココアを飲んでいた希壱が、一真の言葉で眉をひそめた。しかし二度目の言葉にも、焦ることなく一真は肩をすくめる。

 大抵の者ならば、売り言葉に買い言葉。なんてパターンもあるけれど、希壱は無理強いをしてくるタイプではない。
 見透かされていると気づいたのだろう。小さく唸って、またふて腐れた。

「どうせ俺は意気地がないですよ」

「相手に配慮できる男は俺の好みだぞ」

「そうやって子供扱いして」

「怒るなよ。希壱を後回しにして待たせたお詫びに、一つだけ願い事を訊いてやるから」

「なんでも?」

「俺にできる範囲で」

 むすっとさせていた表情を一変、希壱の瞳がキラキラと輝きだした。わかりやすい機嫌の変化に、素直で可愛いやつだと一真は苦笑する。

「じゃあ、キスしたい」

「ん? キス? どこにだ?」

「……ここ」

 予想はしていなかったが、散々前振りをされていたので驚くほどではない。
 しかし問い返した一真へ、指先を伸ばした希壱が触れた場所は――厚みの少ない一真の唇だ。

「ここに、キス、したい」

「まあ、できる範囲ではあるな」

「俺とキスするのは嫌じゃないんだ? 唇にキスできる相手なら付き合えるって聞くよ」

「どこ情報だよ、それ」

 少しばかり真剣な顔つきで、ずいと距離を縮めてきた希壱は、手にしていたカップをテーブルに置く。
 コトンとかすかに音が響き、やけに室内の静寂を感じた。

「付き合うのは」

「駄目だよ。いま返事をしたら」

「きい……」

 指先が頬へ触れたかと思うと、目前まで迫った希壱に唇を塞がれる。
 いまはまだという、曖昧な言葉さえ紡がせてくれなかった。

 一真の唇にやんわり触れて、感触を味わっているのか。小鳥みたいに何度も、唇を口先でついばんでくる。

(これ、いつまで続くんだ。希壱が満足するまで?)

 ちゅっちゅと小さなリップ音が鳴る。
 時折「はあ」と希壱は悩ましげな息を吐いた。

 それとともにどんどんとキスが深くなっていき、今度は食むように触れ合わせてきて、つられて一真の息も乱れてくる。

「一真さん、好き。俺、一真さんにキス、してる。幸せ」

 さすがに舌まで突っ込んでこないけれど、しまいに両手で頬を包まれ、一真は体をソファに押し倒された。

(押し倒すの種類は違うけど、侮ったな)

「そうやってあんまり余裕な顔をされると、悔しいんだけど」

「お前が興奮してるから、妙に冷静になるんだよ」

「わかった。繕わないと流されそうなんだ」

 いつものように上っ面を思いきり剥ぎ取ってくる、希壱の勘の良さに一真はいささかムッとした。
 意趣返しで彼の下腹部へ手を伸ばしたら、自分を覆い隠すほど大きな、希壱の体がビクッと跳ねる。

「か、一真さん!」

「キスで勃ったのか?」

「それもあるけど、してる相手が一真さんだからだよ! ちょ、そんな触り方しないで」

 わたわたと、一真の手から逃げ出そうとし始めた希壱を見て、悪戯心がくすぐられる。

 もう片方の手で、ぐいと希壱の腕を引けば、バランスを崩して一真の上に覆い被さってきた。
 慌てて退こうとするので、すぐさまベルトに手をかける。

「一真さん、その手慣れた感じやめて! 恥ずかしいのと悔しいのが一気に襲ってくる! 経験値の差を感じる!」

「キスは?」

「さっきの初めて」

「可愛いな」

「ちょっと、ほんとに――」

 いまのがファーストキスなら、他人に触れられるのも初めてなのだろう。どんどんと、目の前にある顔が真っ赤になってくる。

 次第にシャツの隙間から見える肌まで紅くなり、悪戯のしすぎでさすがに可哀想かと思い至る。
 しかし最終的には、この状態で手を引かれるほうが辛いか、と判断した。

「んっ、ねぇ、一真さん。キス、またしてもいい?」

「……ああ」

「嬉しいな」

 ソファに希壱が手をつくと、わずかに軋んだ音がした。ゆっくり近づく希壱は、興奮した表情を隠すことなく、まっすぐ一真を見下ろしてくる。

「好き、大好き」

(これ、もうあとに引けなくないか?)

 ヌルつく手と、与えられる口づけ。
 自慰するみたいに、無意識に希壱の腰が揺れている。

 熱い息が唇に触れ、ぺろりと舌先で撫でられると反射的に一真は反応してしまった。
 薄く開いた場所にすべり込んだ、熱い舌はおずおずと一真の口内を味わう。

 どの辺りで反応するのか。一真を見ながら徐々にコツを覚え始めたらしい希壱は、余裕が出てきたようで一真の体に触れてきた。

「一真さんの、俺もしたい」

 深いキスと興奮した希壱の表情。手の中の昂ぶり。自ずと一真の体も熱を持ち始める。

 体を起こした希壱がベルトに手をかけてきて、さすがに一真もまずいのではと、身を引く考えが頭をよぎる。
 だというのに体は意思に反し動かず、ぼんやりと希壱の様子を眺めてしまった。

「一真さんも興奮してくれたんだ。すごい嬉しいな」

 下着から取り出した一真の昂ぶりを見て、うっとりとする希壱。いまにもかぶりつきそうな恍惚とした表情で、一真は体がぞくりと震える。
 そのまま身を屈めた希壱は、自身の昂ぶりと一真のものを握り合わせた。

「んっ」

 希壱にキスを再開されて、口の中と股間の熱で、一真の思考が霞み始める。
 思い返してみれば自慰はしても、誰かとこうして触れ合うのは随分と久しぶりだった。

 他人から与えられる快感に、一真は自然と身を任せ、酔いしれる。

「ん、ぁっ」

「可愛い。ここが弱いんだ」

 キスをし、二人分の昂ぶりを大きな手で扱きながらも、希壱にはまだ注意深く一真を観察する余裕があるようだ。

 すっかりソファに体を預けていた、一真をいとも容易く抱き上げ、希壱は自分の膝の上に載せる。
 先ほどから彼は、いいところばかりを指や自身の先端で擦ってきた。

「ぁ、んっ」

「すごい可愛い」

 希壱の肩に額を預け、一真がされるがままになっていると、こめかみや額にまでキスをされる。

 唇に、と言っていたのに――と文句を言いたいのだが、学習能力の高い希壱に翻弄され、一真はちっとも動けない。
 いまは希壱のシャツの胸元や袖を、強く掴むので精一杯だ。

「あんまり、焦らすなっ」

「だって一度出しちゃったら、冷静さが戻ってくるから、ね」

 クスッと小さく笑った希壱が、大きく獰猛な獣に見えた。

「ふっ、ぅっ」

 ぬちぬちと下腹部から聞こえる音と、口の中を荒らす舌が立てる水音。
 イキたい、そう思う気持ちと、まだもう少しこの良さを味わっていたい気持ちが一真の心でせめぎ合う。

「一真さん、もしかしてこういうの久しぶりだったのかな? めちゃくちゃエロい顔していて、やばい」

「……っ、希壱、もう」

「早く、俺のものになって」

「あっ、ぅっ、ぁあっ」

 ぐっと腰を引き寄せられて、口を塞がれた状態で激しく扱かれる。乱暴さを感じるのに、いいところは外さない希壱のせいで、間もなく一真は果てた。

(からかうつもりが逆に食われた気分だ)

 二人分の荒い呼気が静かな室内に響く。お互いに吐き出した余韻で、しばらく身じろぎもできなかった。

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