しばらく言い訳を探して雄史が黙っていると、こちらを向いていたブルーグレーの瞳がそれた。
だがその仕草自体にはなんの意味もなく、ただ料理に視線を落としただけなのは、見ていればわかる。それなのにいまは、なぜだか途端に焦りが湧いてきた。
「志織、さ……」
「そうだ、雄史」
「は、はい! なんでしょう」
「うん。うち明日休みだけど、予定なにかあるか?」
「予定、ですか?」
毎週水曜日がカフェの定休日だ。雄史が週に四回までしか通えないのは、この休みがあるからだった。
本当ならば先ほど言ったように、休みの日もここに通いたいのだが、体力的な問題と、正直なところお財布事情もある。
それよりも彼に定休日の予定を訊ねられる、その意味がわからなくて、思わず首を傾げてしまった。
「休みの日は勉強を兼ねて、ケーキ屋とかカフェ巡りをするんだけど。明日行くところが、いつも混んでてあまり予約の取れない店でさ。雄史も行くか? ケーキ好きだろ?」
「え、えっ? 俺も行ってもいいんですか?」
「誘ってるんだから、いいに決まってるだろう」
「行きたいです! あっ、でも俺、仕事があるので」
「終わってからでいい。店の予約は十九時半。定時は十八時だったよな?」
「間に合わせます! 早めに仕事を終わらせます!」
思いがけないお誘いに、身体が文字通り前のめりになる。その様子に志織は小さく吹き出すように笑った。そうしてほら、と、おいしく煮込まれたハンバーグを目の前に置いてくれる。
テーブルに並べられていく晩ご飯を眺めながら、雄史は胸をドキドキわくわくとさせた。初めてここへ来たあの日のような胸の高鳴り。新しい出来事に気持ちが弾む。
跳ね上がる気持ちがくすぐったくて、誤魔化すように首の後ろを掻いてしまった。それでもむずむずとした気持ちは収まらなくて、気づけば声を上げていた。
「志織さん!」
「ん?」
「俺が最近元気なのは、仕事がうまくいくようになったからで」
「頑張ってるみたいだもんな」
「えーっと、あー、んー、いや、違うな。ここに来て、おいしいもの食べてるから元気になるんです。だから仕事がうまくいくのであって。これは全部、志織さんのおかげなんです!」
勢い任せに声を出したら、思いのほか大きな声が出た。一瞬その場がしんとして、背中に複数の視線を感じるけれど、振り向くわけにもいかない。
雄史はそのまま、目の前できょとんとした表情を浮かべている人を見つめる。じっと見つめ続けていると、しばらくして彼は綺麗な瞳を瞬かせた。
そしてふっと視線を泳がせる。いつもまっすぐに見つめてくる人だから、それは珍しい反応だ。さらには口元を覆って照れたように目を伏せる。
「志織さん?」
「いや、うん。なんか面と向かってそういうこと言われるのは、照れくさいな」
「大げさに聞こえるかもだけど、ほんとですよ?」
「わかってる。ありがとう」
念を押すように言えば、今度はふわっと目元を綻ばせて笑う。照れを含んだ、はにかむような笑顔は、いつもよりひどくあどけなく、ひどく可愛い。けれどそんなことを思って胸の鼓動を速める自分に、雄史は戸惑う。
時々彼に対して、おかしな反応をしてしまうことがある。料理の話やお菓子の話を嬉々と語っているのを見て、ずっと見ていたいような気になった。
あまりにも楽しげだから、見ていると彼の気持ちが移るから――そんな風に誤魔化してみるけれど、その感情にしっくりとこない。
彼は友人、知人とは少しばかり違う距離感がある。家族ほどの気安さはないが、それほど遠くはなく。すぐ隣に存在があるかのような、不思議な感覚がする。
しかしそれがどういう感情から来るものなのか、いまだによくわからなかった。
「……おい、雄史!」
「え、あ、はいっ!」
「話、聞いてたか?」
ふいにいつもより大きな声で名前を呼ばれて、大げさなくらい肩が跳ね上がった。思考が完全に自分の中に向いていたことに気づき、雄史は慌てて視線を前へと向ける。
するとそこには、自分を心配そうに見つめる瞳があった。
「ごめんなさい。ちょっと考えごとしてて」
「……まあ、いいけど。それより食べないと冷めるぞ」
「しまった! ハンバーグ!」
呆れた声に視線を落とすと、先ほどまで器の中で煮立っていたハンバーグが冷めかけていた。慌ててフォークとナイフを握り、柔らかな肉を切り分ける。
そうすると切り口からは湯気が立ち上り、デミグラスソースの甘い匂いが広がった。
いそいそと口に運べば、煮込まれたハンバーグがほろりと、口の中でほどけるような感触がする。熱々ではないけれど、程よい温かさが残っていて、肉の旨味も感じられた。
「んっ、おいしい」
「そりゃ、良かった」
「最高のハンバーグです! ところで志織さんは、休みのたびにどこかに行ってるんですか?」
「ああ、そうだな。あまり家にいないかもしれない」
「へぇ、勉強熱心ですね」
「まだまだ学ぶことは多いからな」
いまでもこんなにおいしいご飯を作れる。デザートだっていままで外れは一つもなかった。それを考えると、どれほど勤勉家なのだろうか。
自分は空いた一日は寝て過ごすのがほとんどなのにと、雄史は頭が下がる思いがした。
「昔から料理してたんですか?」
「ここのオープン前は、母親がやってる料理教室で講師をしてた」
「お母さんは料理家なんですね。すごいなぁ」
「んー、父親のほうはパティシエだし、料理やお菓子作りは日課みたいな」
「志織さん、なにげにサラブレッドですね」
「それはそれでプレッシャーがあったりもするぞ」
両親のいいところ取りをしているのに、なおもプレッシャーを感じるなんて、雄史には想像もつかない世界だ。
ごく平凡な両親から生まれ、トンビが鷹になることもなく、判を押したように代わり映えがない。
けれど以前ならばそこで華やかな世界が、羨ましい――と、そう思っていたところだが、いまは心の余裕も生まれて、苦笑いを浮かべる志織をおもんばかる気持ちが生まれる。
言葉を探してじっと見つめれば、彼は不思議そうに雄史を見つめ返してきた。
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