いざ撮影となると、緊張感が増す。授業でスタジオ撮影は経験があり、手順も覚えている。素材はこの上なく良いので、撮る側の腕のみだ。
しかしそれが一番の問題とも言える。
「こうちゃんの準備ができたらでいいよ」
「は、はい」
「カメラの準備って言うよりも、心の準備かな?」
椅子に座って、ウィッグを整えてもらっている真澄が、にこりと笑うだけで幸司の心拍数が上がる。
これは撮影の緊張と、美しいものを目の前にする緊張で、ダブルパンチというものだ。いまから平静でいられるか、心配でならない。
「いやいや、引き受けたからには」
この場面で尻込みをしたら、男が廃るというもの。
両拳を握ると、幸司は気合いを込める。そしてできるできると、口の中で呟いて、自己暗示をかけた。
普段通りにやればいい、それだけだ。
「お願いします」
「はーい」
幸司の声に立ち上がった真澄は、すっとカメラの前に立つ。高いヒールにプラスして長い脚。
すらりとしたその立ち姿に、幸司は目を奪われた。
うっかり全身を収めようとしてしまい、メインは髪、と野坂に突っ込みをされる。
もったいないと思うけれど、お願いを全うすれば、撮らせてもらえるはずだ。
ぶら下がったご褒美のため、モデルに近づき、ピントを合わせ直す。
だが伏し目がちな真澄に、気持ちがドギマギして落ち着かなかった。それどころか手が震えて、カメラまでぶれる。
「幸司くん、大丈夫?」
「す、す、みません」
シャッター音が鳴り止んで、訝しく思ったのだろう。レフ板を持つ野坂が、心配げな顔をして幸司を見る。
その視線に思わず飛び上がれば、ますます困惑そうな表情に変わった。
こういった場面に幸司は弱い。
人の視線が自分に向けられると、途端に萎縮してしまうのだ。あがり症は伊達ではない。
「こうちゃーん、リラックスリラックス。ゆっくりでいいよ」
焦りで余計に混乱し始めるが、真澄が小さく手を叩いて、その音に我に返る。いつの間にか俯いていた、目線を持ち上げると、彼女がふんわりと笑った。
さらには頑張れ、とガッツポーズをして見せてくれて、その可憐さに心が和む。
「も、もう一回、お願い、します」
「うんうん、何回でもチャレンジだ!」
再びカメラを構えると、レンズの向こうで真澄が満面の笑みを浮かべた。その笑顔にきゅんとしながらも、幸司は震える指でシャッターを切る。
カメラの中の真澄は、変幻自在だ。
元の赤茶色いロングヘアも似合っていたが、どんな色でも華やかに見え、ミディアムヘアやショートカットさえも様になる。
色形にとらわれることがない、それは美しさゆえか。
「綺麗だし、可愛いな」
いままで出会ってきた女の子の中で、一番。他人を比べるなんて、おこがましい話かもしれないけれど。
真澄は幸司の理想とも言える女性だ。
美しいだけではなく、チャーミングで、人を気遣える優しさもある。幸司の話し方を馬鹿にしないところも、好感が持てた。
もし本当に真澄を撮ることができるとしたら、どんな画にしようかと考える。
彼女ならどんな鮮やかな色も、美しさの引き立て役にしかならない。いっそ純白、もいいかもしれない。
ふっと思い浮かんだのは、ウェディングドレス。
純白のドレスに身を包んだ真澄は、さぞかし麗しいことだろう。想像しただけで、うっとりとしてしまえるほどだ。
さらには勝手な願望が浮かぶ。
「こんな綺麗なお嫁さん」
――もらえたら幸せだな。なんて、妄想も甚だしい。
小さく首を振って意識を保つと、幸司はレンズを覗く。すると向こう側にいる真澄と目が合った。
「な、なにか。し、失敗しましたか?」
「ううん、ただ、こうちゃんが楽しそうだなって、思っただけ」
「えっと、へ、変なことは、考えて、ないです!」
「えー、変なこと考えてたんだぁ」
「か、考えてな、ないです!」
小さく笑う真澄に、幸司の顔が徐々に赤く染まる。自分の妄想を知られたわけでもないのに、心臓の音が急激に早まった。
恥ずかしくていたたまれない、と言う心境だが、ここに逃げ場はない。
「こうちゃんはなんで、カメラマンになろうと思ったの?」
「あっ、えーと、人付き合いが、に、苦手で。一人遊びが高じて」
「ああ、いまどきのスマホのカメラは優秀だもんね」
「そ、そうなんです。色んな景色が、画面に切り取られる瞬間が好きで」
「人物はあんまり得意じゃなかった?」
「は、はい。実、は」
授業の課題、コンテストの類いでなければ、幸司が進んでモデルを撮ることはないだろう。レンズ越しでも視線が合うと怖くなる。
じっと見つめられると、心を見透かされそうでひどく苦手だった。
しかしふと気づく。
真澄にまっすぐと見据えられても、怖くない。ドキドキと胸ははやるが、嫌な感じがまったくなかった。
「そっかぁ」
「で、でも! 真澄さんは綺麗に撮ります!」
「幸司くん、真澄は付属品な」
「あっ、メインは髪、ですね」
とっさに力説すれば、再び野坂の突っ込みが入る。それに勢いのまま敬礼したら、二人は揃って吹き出すように笑った。
腹を抱えるほど笑われるが、なぜだか幸司はほっと肩の力が抜ける。
「こうちゃん、その前髪、切って上げようか? 視界見えづらくない?」
「だ、駄目です! これがないと俺、生きていけない」
「あはっ、こうちゃんって、ほんと面白い」
小さな会話をしながらの撮影は、後半に進むほどスムーズだった。単に幸司の落ち着きのなさが半減したから、ではあるのだが、少しばかりの自信に繋がる。
カメラを構えることが純粋に楽しい、そう思えたのは久しぶりだ。近頃は評価を得るために撮るばかりだった。
「こうちゃん、偉い! すごい!」
「お疲れさま」
気づけば二時間。ずっとカメラの向こうを見つめていた。
撮り終わった瞬間の高揚感は、なんとも言えない達成感に繋がる。
カメラのデータを野坂がパソコンで確認する、その横で覗き込んで、ますます気持ちが膨らむ。
手放しで褒められるほどの、完成度ではないけれど。それでも幸司の中では、十分の出来だ。
「うん、いいね。これだけ撮れていれば、十二分に使えるよ」
「よ、良かった」
「こうちゃんは、やればできる子だね」
「あ、ありがとうございます」
後ろに立っていた真澄に、ぎゅっと抱きしめられて、胸の音が跳ねる。緊張で身体が固まるが、彼女はさらに頬を寄せてすり寄ってきた。
初めて会った時から思っていたけれど、パーソナルスペースが狭い。抱きつくのは癖なのだろうか。
綺麗な人に抱きつかれて、嬉しいのだが、慣れない幸司は恥ずかしさが先に立つ。
「そうだ、幸司くん。アルバイト代」
「え?」
ウィッグや化粧道具を片付けていた野坂が、思い出したように幸司を振り返る。そしてジャケットの懐から茶封筒を取り出した。
はい、と手渡されて、幸司は封筒と彼を見比べる。
「少ないかもしれないけど」
「……、えええっ! こんなにいただけません」
にっこりと笑った野坂につられて、封筒の中を覗くと、一万円札が三枚。思いがけないほど高額で、幸司は慌てて封筒を差し戻した。
「元々カメラマンさんに渡すつもりだったから」
「で、でも」
「いいからいいから」
「こうちゃん、もらえるものはもらっとくが吉だよ」
こちらとしては勉強させてもらった身。むしろ勉強代を払わなくてはいけないくらいだ。しかし行為を無下にすることはできず、半分だけいただくことにした。
こうして幸司のドキドキの出会いと、初体験の一日が終わったのだった。
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