急いでシャワーを浴びて、濡れたくせ毛も乾かして、デニムを履いて、最後によれたプルオーバーのパーカーを着る。
しかし眼鏡を装着して鏡を見ると、これからデートというにはかなりダサい気がした。
真澄は相も変わらず隙がない。今日はフリルのドレスシャツにタイトなスリット入りのスカートで、綺麗な脚が惜しげもなくさらされている。
並び立つ姿を想像すると唸り声が出た。
だが家に帰る時間はもったいないし、そんなことをしているあいだに、真澄の気が変わる可能性もある。
それだけは避けたいと、幸司は慌ててバスルームを飛び出した。
「お待たせしました」
「じゃあ、行こっか」
部屋で待っていた真澄は、いつものように腕へ絡みつき、軽やかな足取りで夜の繁華街へと幸司を誘う。
友人たちと遅くまで飲んだりもするけれど、大人の街へ遊びに行くのは初めてだ。
隣で機嫌良さそうに笑う顔を見ながら、最近鳴りを潜めていた緊張が湧き上がってくる。
「ここ、このビルの最上階だよ」
ホテルから徒歩で十分と少しくらい。見上げると首が痛くなりそうな、高層ビルに到着した。
ぽかんと口を開ける幸司に対し、小さく笑った真澄は腕を引いて先へ進む。
乗り込んだエレベーターはガラス張りで、上昇して行くたびに夜景が広がっていった。
綺麗――ではあるけれど、場違い感の大きさに、幸司は尻込みしそうになっている。
とはいえ真澄と二人っきりで、セックス以外のことをするのは、合コンの時以来だ。あれもほんの数分の出来事で、あまりカウントできるものでもない。
これは正真正銘の初めてのデートだった。
「こちらへどうぞ」
最上階に着くと、扉の開いた向こう側に、淡いブルーの光が見えた。店の前、フロア自体も照明が少し落とされていて、大人びた雰囲気を感じる。
入るとすぐに真澄が名前を告げて、店員が窓に向いた席まで案内してくれた。
広い店内は生演奏の音楽が流れ、お洒落に着飾った人たちがたくさんいる。常連だという真澄の連れでなかったら、入る前に門前払いされていただろう。
腰を落ち着けると、目前には街の夜景が広がり、キラキラと瞬くような光に幸司は目を奪われる。
可愛い恋人と洒落たバーで――男なら一度は夢見るであろうデートコースだ。
隣にいるのが、一目惚れした真澄であることも、感慨深い気持ちにさせる。
しかしメニューを見ても、酒の名前がさっぱりわからず、助けを求めるように彼を見てしまった。
そんな幸司の視線に真澄は楽しげに笑って、一番軽いやつにしようと、長い名前の飲み物を注文する。
「こうちゃんはデートしたことある?」
「うん、ご飯を食べに行くくらいなら」
「彼女は?」
「いたことない。いつも付き合う前に断られちゃうんだ」
「ふぅん、格好いいのにねぇ」
「えっ? 俺が格好いい?」
隣で小皿のナッツを摘まんでいた真澄は、ふいにこちらを向いて、手を伸ばしてくる。驚いて肩を跳ね上げれば、にんまりと笑みを浮かべながら、幸司の前髪をかき上げた。
なにも言わずに見つめられて、頬が熱くなってくるのを感じる。
普段は前髪でちらちらとしか見えない、綺麗な真澄の顔が、紫色の瞳がよく見えた。
「前髪をもっと梳いて、コンタクトにしたら? そしたらもっとモテるよ。無自覚みたいだけど、こうちゃんってイケメンだと思うけど」
「でも、はっきり見えると緊張するし」
「もったいないね。けどいっか。素顔を見られるのは真澄の特権だよね。えっちの時の泣き顔、すごい可愛いもんね」
「……っ、あ、ぅっ、えっ」
ふっと顔を近づけてきた真澄は、ちゅっと鼻先にキスをしてくる。その途端に幸司の顔は真っ赤に染まって、言葉にならない声が口からこぼれた。
あたふたとして、気を紛らわすように立て続けにナッツを口に運べば、肩を揺らして笑われる。
「だけどこうちゃんは、あがり症って言ってたけど、そうでもないよね?」
「え? あれ? いまは確かにそうかも。でもこんなに普通に話せるの、長い付き合いの友達か、真澄さんくらいだよ」
「なにそれ、真澄が特別ってこと?」
「う、うん、特別、かな。いつもドキドキするし、一緒にいると嬉しいし、会える日は待ち遠しくて」
「んー、もう、可愛いったらない」
いままでを振り返ると、まともな場面は出逢いと再会くらいなのだが、身体を重ねるばかりの関係でも、幸司は彼といる時間が好きだった。
前向き思考が働いていたのだとしても、やはり会いたいから誘いに乗るのだ。
縁が切れるのが嫌だと思うくらい、この人が好き。どんなに行動が破天荒でも、惹かれずにはいられない魅力がある。
見た目が綺麗だからときめいた。初めての経験ばかりだから、のめり込んだ。
要因は色々あるけれど、どんな時でも最後には、笑って気持ちを和ませてくれる、そんな真澄が好きだった。
「そういえば真澄さんは、なんで女の人の格好してるの?」
「えー? 似合うでしょ?」
「うん、すごく似合うけど」
出会った日も女性もののアオザイを着ていたが、たまたまなのではなく、彼は毎回レディースの服を身につけている。
パンツスタイルもあるけれど、今日のようにスカートを穿いている時も多い。
だからこそ、どのラブホテルに行っても断られることがないのだが、それを目的に着ているわけではないだろう。
赤茶色の髪は胸元まで伸びていて、メイクをして爪の先まで彩られていた。
昨日今日始めた格好には思えない。もうしっかりその身に馴染んでいる。
「喋り方は地なの? それともわざと?」
「だいぶ馴染んじゃってるけど、これは見た目に合わせてるの。いきなりこのなりで俺、とか言ったら引くでしょ? でも二十歳そこそこの頃は美青年だったんだよ。女の子にもかなりモテたし」
「真澄さんって、男の人が好きなわけじゃないの?」
「そうだね。真澄は男の子も女の子も大好き」
「ふぅん」
「もしかして女の子にヤキモチ? かっわいい」
「そ、それは置いておいて、なにかきっかけでも?」
「んー、スレた生き方をしてきたから、人生もっと自由に生きてみようかなって」
ぽつりと独り言のように呟かれた言葉、それとともに沈黙が降りる。
けれどふいに人の気配がして、コースターにキラキラとしたルビーと、アメジスト色のカクテルが置かれた。彼のマニキュアと瞳の色と一緒だ。
アメジストに浮かんだ、チェリーを指先で弄びながら、真澄は目の前の夜景に視線を向ける。遠くを見るような横顔に、思わず言葉の先を待ってしまった。
「てっちゃんがさぁ、もっと人間らしい生き方しろって言うから、好きなものを集めたら、こんな感じになった。キラキラしたものも、可愛いものも大好き。綺麗にして着飾って、毎日特別みたいでしょ」
「野坂さんは」
「真澄のお父さんみたいな」
「え? 野坂さんまだ若いよね?」
「もうおじさんだよ。確か今年で四十八とか言ってた」
「えっ? 三十代だと思ってた」
「あれは若作りなんだよ」
ぷっと吹き出すように笑った、真澄の張り詰めた空気がほどけた。いつものように、きゃらきゃらと可愛い声で笑い、腕に絡みつきすり寄ってくる。
ホテルのあとだけれど、あの甘い匂いがした。
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