年が明けてから、幸司は真澄の住まいに引っ越しをした。
突然のことで、さすがに両親も弟妹も驚いていた。だが珍しく幸司が自分から言い出したことなので、自我の芽生えだと、最終的には手放しで喜ばれた。
「真澄、あんまり幸司くんに迷惑をかけたら駄目だぞ。お前はすぐに前が見えなくなるタイプだから、冷静さを持てよ。それから自分勝手な行動は慎むように」
「ちょっとてっちゃん。なに一人で娘を嫁に出す父親の気分になってんの?」
「同じようなものじゃないか」
「うわぁ、うざい」
隣の椅子に腰かけていた真澄が、後ろであれこれ言っている、野坂に眉を寄せる。ブツブツと文句を言う横顔は、本当に嫌そうだけれど、それが幸司にはおかしかった。
思わず小さく笑えば、眉間にしわを寄せたまま、真澄が振り向いた。
「こうちゃん、なに笑ってるんだよ」
「いや、だって本当に結婚式当日の親子みたいで」
「ただ写真を撮るだけなのに、ついてくる必要ない!」
「でも野坂さんのおかげで、真澄さんとっても綺麗だよ」
「ん、うーん、まあ、こうちゃんが言うなら」
化粧台の前に座る真澄は、あの日のウェディングドレス姿だ。今日は以前、富岡が提案してくれた、記念撮影の日。
念入りに一時間くらいかけ、野坂は真澄のセットとメイクをしてくれた。赤茶色い髪は高い位置にアップされ、波打つ髪にはパールがあしらわれている。
化粧も優しい仕上がりで、長いまつげにもストーンが散りばめられていた。このまま額に入れて飾ってしまいたい、そんな清楚な美しさがある。
幸司は隣でずっと、写真を撮りたいという衝動に駆られていた。
「こうちゃんも格好いいよ」
「そう? 正直、なんかこう、目の前が、落ち着かないんだけど」
真澄の少し前に、幸司も野坂にヘアセットをしてもらった。長い前髪を後ろに流しているので、顔立ちがはっきりと見える。
普段自分の顔を、まじまじと見る機会がないので、幸司はひどく居心地が悪い。
さらには着慣れない衣装で、緊張感が増す。
真澄がこれがいいと選んだのは、光沢のあるシルバーのフロックコートで、服に着られている気分にもなる。
「撮る時は眼鏡、外すんだぞ」
「う、うん」
「よしよし、じゃあ、お先に」
準備が整った真澄は椅子から立ち、幸司の頭にぽんぽんと触れた。二人揃った写真も撮るが、幸司のリクエストで彼だけの写真もお願いしている。
さきほど誘惑をこらえていたのはそのためだ。部屋を出て行く後ろ姿を見送ると、幸司はドキドキする胸を押さえた。
「幸司くん、結婚の宣誓するわけじゃないし、リラックスして」
「あ、はい。でも写真を撮られる機会ってないから緊張しちゃって」
背中を優しく叩かれて振り向くと、野坂がやんわりと笑った。目に眩しいイケメンの笑みに、自分が霞む感じがして、幸司は少しだけほっとする。
「なんだか本当に真澄は、嫁にでも行くような感じだな」
「お父さん的にはやっぱり心配ですか?」
「うん。幸司くんに会ってから随分と変わったけど。さすがに根っこのとこが丸ごと変わるわけではないし。でもまあ、君がいれば平気かな。まだまだ未熟な子だが、よろしく頼むよ」
「は、はいっ」
お父さんのようだと笑って称していたが、詳しい話を聞けば、実際に戸籍上では真澄の実父は野坂になっている。
彼は幼い頃に施設に引き取られ、その後に野坂と出会うまでずっと、無戸籍だったのだ。
誕生日を聞かれるのを嫌がったのは、本当の生年月日を知らないから。けれどそれを聞いて泣いてしまった幸司に、真澄は笑って言ってくれた。
いまは一人じゃないから寂しくないと。
「でももし一緒にいるのが辛くなったら、無理して傍にいなくていい。真澄は君を離そうとしないかもしれないけど」
「大丈夫です! 俺は、ずっと傍にいます。離れられないのは、真澄さんじゃなくて、きっと俺だと思うから。彼に誰かいい人できたとか言われない限り、諦めないし離れないです」
いざという場面で手を離すのは真澄だ。一人でいることに慣れているから、また一人になってもいい、くらいに思っている。
それに反して幸司は、もう一人になることは考えられない。真澄を知ってしまったから、彼のいない世界では生きていけない。
「そうか、じゃあ俺は、二人が共倒れにならないように、見守らせてもらうよ。真澄は君に会えて良かった」
「野坂さんにも会えて良かったです」
「それは嬉しいな」
依存し合うような関係は良いとは言えないが、真澄を救い上げた野坂がいてくれたら、二人とも道を外れることはないだろう。
眩しそうに目を細めた彼を、幸司はまっすぐと見つめた。
「幸司、出番だぞ」
「あっ、うん!」
「行っておいで」
部屋の入り口から富岡が顔を覗かせ、幸司は慌てて立ち上がる。声をかけてくれた野坂を見れば、優しく背中を押された。
そのぬくもりに口元が綻び、幸司はぱっと明るい笑みを浮かべる。
「行ってきます!」
足を踏み出して前へ進む。不思議といまはまっすぐと前を向けた。目の前に広がる光が眩しくなかった。
まばゆい光の向こうには、愛しいあの人がいるからだ。
「こうちゃん!」
「真澄さんっ」
差し伸ばされた真澄の左手をぎゅっと握る。大きな手、綺麗な指先――そこには幸司と揃いの、プラチナリングがはめられていた。
決して高価ではないけれど、二人で選んだ二人のための指輪だから、想いがたくさんこもっている。
「あのね、真澄さん」
「ん?」
「俺ね、これから色々頑張るよ。人前でもっと話せるようにするし、写真もいっぱい勉強して、真澄さんを世界で一番、綺麗に格好良く撮るから。時間はかかるけど、ずっと傍にいてね」
「こうちゃん、相変わらず馬鹿だなぁ」
「え?」
呆気にとられた顔をしたあと、真澄は吹き出すようにして笑った。さらには彼の笑いにつられたのか、周りからもくすくすと笑い声が聞こえる。
ここが撮影スタジオ、人前であることを思い出し、幸司は火がつけられたように赤くなった。
「あのさ、こうちゃん。それなんて言うか知ってる?」
「えっ、な、なに?」
「プロポーズ、って言うんだよ。これで二回目だね」
お日様みたいな、ひまわりのような笑顔。それとともにそっと眼鏡を抜き取られ、近づいた彼に口づけをされた。
触れた唇はなかなか離れていかなくて、幸司は目を瞬かせる。
それがカメラへのサービスショットだと、気づいた時には、ふわっと身体が浮いた。
どっちが花嫁だよ――そんな富岡のツッコミは聞こえたけれど、目の前で笑う真澄にキスを返さずにはいられなくなった。
「こうちゃん、大好き」
全部が初めてだった幸司の恋は、まるでジェットコースターのようなスピードで、天辺へ駆け上がっていった。
急カーブに振り落とされそうになり、怖くて泣いたこともある。暗いトンネルが怖くて、逃げ出したくなったこともあった。
それでも心は小さな幸せを膨らませていく。
初めて同士のステップアップ、それが困難だとしても、二人だったら乗り越えていけるはずだから。
「真澄さんっ、俺は、……」
――あなたを愛しています。
小さく耳元に囁けば、涙を浮かべた彼は嬉しそうにはにかんだ。
恋のステップアップは急上昇!/end
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