「広海先輩、言って」
「は?」
「俺のこと好き?」
眉をひそめた俺に、三木は小さく首を傾げながら、人の心の内を覗くかのようにゆっくりと目を細めた。
「意味わかんねぇ」
じっとこちらを見る視線に、耐え切れずふっと目を逸らすが、立ち上がった三木が、目の前に立ちはだかり逃げ場を断つ。
居心地悪く身を捩れば、さらに背後の壁に両手を付かれ、身の置き場が狭くなった。
「俺は先輩が好き。広海先輩は俺のこと好き? ねぇ言って、ヤキモチ妬くくらい俺のことが好きだって」
「……」
「答えるまでやめないよ」
目も合わさず口を閉ざす俺に、三木は珍しく小さな舌打ちをする。
それに驚いて思わず顔を上げると、身体を押さえ込まれ顎を掴まれた。慌てて顔を逸らすが、再び唇が俺のそれに食らいつく。
「ざけんな、やめろ馬鹿! 俺は嫌だって言ってんだよ。その匂いなんとかしろよ」
渾身の力で三木の身体を押し飛ばして、離れた隙に目の前にある顔を思いきり張り付けた。けれどそれに怯むことなく、再び俺の腕を押さえつけ、口づけてくる。
「離せっ」
鼻先を掠める匂いに苛々する。どうしようもないくらい、胸のムカつきを覚えて気分が悪い。
「え? ……せ、先輩? あ、ごめんっ」
無理矢理に顔を押し退けて睨みつければ、三木は途端に肩を跳ね上げて飛びのいた。そしてうろたえたような顔で目を見開き、まるで壊れ物を扱うみたいに俺の頬に触れる。
「泣くほど嫌だった?」
「泣いてねぇ」
瞬くたびに零れるものが三木の手を濡らすが、それは見なかったことにした。
「ごめんなさい、ちょっと調子乗りました。広海先輩があんなこと言ってくれるとは思わなかったんで」
すっかり酔いも覚めきったのか、口調がいつものように微妙な敬語に変わる。
「調子に乗ってんじゃねぇよ」
「あのっ、言い訳じゃなくて、さっきの子とはほんとになにもないですから。付き合ってる人いるって言ってあるし、その人以外は興味ないって断ったし。俺は広海先輩だけだから信じて」
しゅんと萎れたように覇気をなくし、三木は半泣きもいいとこだ。しかしわざわざ言われなくとも、この男がよそ見出来るほど器用だとは思っていない。
元々俺が苛ついてる原因はこいつじゃない。
「だったらさっさと風呂に入れ、臭くて苛々する」
触れたくて仕方がないと思うのに、触れられないことがもどかしい。違う匂いをさせていることが腹立たしい。
「す、すいません。即行で入ってきます」
なぜこんなにも腹が立って仕方がないのか。それは多分きっとこの男が――自分のものだと思うからだ。
だからこそいままで疑うことがなかった。けれどいまこうして疑心暗鬼になるのは。
「……三木」
「ん? なに、広海先輩」
「お前にとっての俺はなんだ」
「え?」
お互いの不安定な距離感。なぜ一緒に居るのか、なぜ俺は三木の手を離さないのだろうか。はっきり言って自分でもよくわからない。考えたこともない。
しかし人の言葉に我に返る。
自分にとってこの男は、本来ならば相容れない性格なのだ。けれど不思議なほど苦もなく傍にいられた。
それは三木の言葉を借りるならば――嫉妬するくらいは好き、と言うことなのだろうか。
「えっと、こ……恋、人? ですよね? 俺だけ? 思ってるのって俺だけ? これって図々しい感じですか?」
「恋人、ね」
いままで付き合おうと言われたことも、言ったこともない。好きだなんて俺は一度も言ったことがない。
それでもこの関係はそう呼ぶのだろうか。
「えっと、じゃぁ飼い主と飼い犬?」
「……馬鹿だろうお前。ったく、眠いんだよ俺は、さっさと風呂入って寝るぞ」
本当にこいつが犬ならば、長い尻尾が垂れて股の間に隠れてしまいそうな勢いだ。ため息混じりに、そんなデカイ駄犬の首根っこを掴むと、脱衣所に引き摺り込む。
俺達の関係性がどんなものなのか、深く考えるのはやはりやめることにした。
ただ言えるのは、このしょぼくれた男は俺にとって、代わりの利かない人間だということだけ。
いまはそれだけわかれば充分だと思った。
[スペア / end]
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