抵抗しようとする身体を押さえつけ、口の中をたっぷりと荒らす。すると鼻先から、小さな声が漏れ聞こえてきて、たまらなく興奮を煽られた。
口づけの合間に彼を見つめれば、ほんのわずか、潤んだ瞳に見上げられる。
「広海先輩、すごく可愛い」
愛おしさが膨らんで、頬やこめかみ、額にまでキスを降らせた。
くすぐったそうに身をよじられるけれど、それでもしつこく繰り返す。しかしあまりにも度が過ぎたのか。
咎めるように、爪先ですねを小突かれてしまった。
「馬鹿犬、少し落ち着け」
「でも」
「こんなところでスイッチ、入れんな」
「だって」
「子供みたいに、でもとかだってとか言うな。こんな場所でその気になったら、二度と一緒に出掛けない」
「そんなぁ」
キツい目で見上げられて、再び気持ちがしぼんでいった。だが彼は言葉にしたら、本当に有言実行、なのを知っている。
渋々身体を離すと、さらに押し離すように肩を押された。
「ごめんなさい」
「お前はどうしてそう、向こう見ずなんだ」
「広海先輩を前にすると、なんだか全部どうでも良くなる」
「お前な、そんなことばっかり言ってると別れるぞ」
「え! 嘘っ、それは絶対やだ」
「もうちょっと理性というものを覚えろ」
「うーっ」
ぎゅっと両頬をつままれ、涙目になる。しかしそんな俺をじっと見つめていた瞳が、ふっと柔らかさを帯びて、胸がとくんと音を立てた。
まさしく花がほころぶような、という言葉がぴったりだ。
普段は涼しげな表情なので、たまにこうして笑うと、途端に幼さが滲んで最高に可愛い。
可愛い、本当に可愛い。何度も言葉にすると怒るから、心の中で連呼した。
「変な顔」
「ひどいっ」
あまりにも無防備に笑うので、怒る気持ちが湧いてこない。
好き勝手に頬を引き伸ばされても、笑っている顔を見られるのだから、ご褒美だ。
「さて、行くぞ。ビールをおごれ、腹も減ってきた」
「待って待って、その前にぎゅってしたい」
「五秒だ」
「せめて十秒にして!」
「早く済ませろ」
すごい素っ気ない物言いをされているが、先輩のデレがやばい。ハグと言わずキスもしたい。
だがそんなことをしたら、絶縁を切り出されそうなので、抱きしめるだけに留める。
「広海先輩、好き」
目の前の身体を引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。反応はまったく返ってこないけれど、黙って俺に囲われている彼が、愛おしい。
昔だったら絶対に、馬鹿じゃねぇのってキレられていた。
これまで甘い彼はそんなに求めていない、って言っていた。それをいま撤回してもいいかな?
この微糖な感じ、たまらなくいい。一生懸命な歩み寄りを感じる。
「おい、十秒過ぎたぞ」
「時よ止まれ」
「馬鹿言ってないで、離れろ」
「ぐふっ」
さらさらな黒髪に頬ずりして、香ってくる彼の匂いを吸い込んだら、脇腹に肘鉄を食らわされた。
でもいい、めげない。だって十五秒くらいハグさせてくれた。
「行くぞ」
「はいっ」
どうしよう、めちゃくちゃ広海先輩が天使に見える。
天使の羽が生えていたりしない? 飛んでいったりしない?
「お前、いまくだらないこと考えてるだろ」
「全然くだらなくないです!」
「その締まりのない顔、信用ならん」
「ほんとですってば」
疑いの眼差しを向けられるが、お構いなしに隣に並び立つ。ちらりと視線を向けられて、思わずニヤニヤしてしまった。
この締まりのなさが、胡散臭いのだろうけれど。
仕方ないよな。
傍にいて、気持ちが高揚しないとかない。
「桜、ライトアップされてますね」
人の気配を感じる場所まで戻ると、各所に吊り下げられている提灯で、辺りが穏やかな橙色に染められていた。
公園内は先ほどより、随分と活気づいているように思える。
「瑛冶、ビールを買ってこい。それと焼き鳥と豚玉と」
「晩ご飯をここで済ます気ですね」
「家に帰って作るより手っ取り早いだろ」
これは気を使ってくれているのか、それとも単に屋台メニューが食べたいだけなのか。
悩ましいところだが、どちらにせよ、花見を楽しんでくれるのなら問題はない。
「じゃあ、ちょっと待っててください。どこかにふらふら、行っちゃわないでくださいね」
「お前じゃあるまいし」
「えー、それどういう意味ですか?」
「ここにいるから、行ってこい」
「はーい」
空いていたベンチに腰かけた彼は、長い脚を組んで、俺を追い払うように手を振る。
いささか扱いがぞんざいだが、お腹が空いた、と言っていたことを思い出す。
「ビールは最後に買ったほうがいいよな。まずは焼き鳥から行くか」
ソースや汁気が多いものは、後回しにしたほうがいい。まずはと足を向けた先で、じっとメニューの文字を見つめる。
「焼き鳥は一通り買ってもいいかな? あ、こっちのイカ焼きもおいしそう」
隣を見ると焼きおにぎりが売られていた。焼きそばもいいけれど、米も食べたいよな。
醤油も味噌もおいしそう。
香ばしい匂いがあちこちから漂ってきて、それほど空いていなかったはずの腹が、ぐぅと鳴いた。
「駄目だ駄目だ。悩んでる場合じゃない。早く買って戻らないと」
屋台の食べ物って本当に誘惑が多い。通りすがるたびに足を止めてしまう。しかし買いすぎて食べきれないのも困る。
その前に俺の手が塞がるのが先か。
道中あれこれとチョイスして、ビールを買う前に広海先輩へ、最終確認のメッセージを送る。
しばらくそのまま待っても反応がない。だが予想の範囲内だ。やはりかと、今度は電話をかけてみた。
「あれ? 出ないな。気づいてないのかな?」
携帯電話を家に忘れてきた、と言う可能性はゼロだ。それで改札を抜けてきたのだから。
メッセージを見るのが面倒で、それを無視することは、想像できるからいい。しかし着信を無視するほどの不精者ではない。
「いつもはサイレントモードじゃないんだけどな」
着信していること自体に、気づいていないのだろうか。
なんとなく落ち着かない、そわそわするような感覚になる。待っていると言ったのだから、どこかへ行っているはずはない。
「一度、戻ってみようかな。ビール、はあとでいいや」
来た道を引き返し、足早に彼がいる場所へと急ぐ。
人が多く、似たような景色ばかりで、あの場所はどの辺りだっただろうと思う。
ベンチの一つ一つに視線を向けながら、辺りも見回した。
かなり歩いた気がするのに、なかなか見つからなくて、そわそわがざわざわに変わる。早く広海先輩の顔を見てほっとしたい。
「何回もかけたら、うざがられるかな」
もう一度電話をかけてみようかと、携帯電話をポケットから取り出す。相変わらずメッセージは既読になっていない。
もしかしたら気づいているけれど、面倒くさくなっているだけかもしれない。
「かけちゃえ」
彼がいる場所まであと少しかもしれないが、思いきってボタンを押した。コール音は先ほどと同じように鳴っている。
しかし近くでそれらしい音は聞こえなかった。
「サイレントにしてるのかな?」
繋がるのを待っているあいだに、いつの間にか下を向いていた。慌てて顔を上げて、後ろを振り返る。
まさか通り過ぎているのでは、と思ったが、向こうが気づかないはずもないか、と冷静になった。
いい加減、鳴らしすぎだと携帯電話を下ろした――それとほぼ同時か、道の先から声が聞こえてくる。
「……ねぇ、広海。電話、切れちゃったよ。かけ直さないの?」
「うるせぇなぁ」
「え? 広海先輩?」
聞こえてきた話し声に振り向けば、ちょうどこちらを向いた彼と目が合った。
「瑛冶」
「あの、広海先輩、……その人は?」
行きに見た時と、変わらぬ様子でベンチに腰かける恋人。の、隣に見知らぬ女の子が座っている。
それだけでどういうこと? って思うのに、距離が近い。近いって言うか、あいだにスペースないんですけど。
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