ひと騒動が終わったあともしばらく噂は尾を引いたが、いままでの二人の様子を見慣れているクラスメイトたちの対応でかなり緩和した。
それは日向が雪羽にべったりなのは今更だから、それをいまになってつついてもなにも面白いことはない。好きなら好きでいいんじゃないの? なにか自分たちに問題が起こるのか? というなんともさっぱりとした答えだった。
もちろんそれに納得がいかずに毛嫌いする生徒も少なからずいた。それでも恋愛の価値観なんて人それぞれでしょう、というほかの生徒たちの態度でその少数派も口を閉ざすようになった。
そして終業式を終えて迎えたクリスマスイブ。当初の予定では夕方からということだったが、日向の母親がおやつも用意して待っているからと言うので、昼過ぎくらいから日向の家に集まることになった。
期待に胸を膨らませる木山と小出はやけにいつもより身綺麗で、二人のそのあからさまな姿を見て雪羽と滝川は笑いをこらえていた。けれど友人たちの恋路がうまく行けばいいなと言う気持ちにもなった。
「まあ、まあ、素敵なお友達ね。日向がお友達を家に呼ぶのはいつぶりかしら」
「ミリヤさん、お久しぶりです」
「雪羽くん、いらっしゃい。また来てくれて嬉しいわ」
四人揃って日向の家を訪ねると、テンション高く日向の母――ミリヤに迎えられる。しかしもうすでに何度か顔を合わせている雪羽以外はまずそこで固まってしまう。
玄関先に迎えに出てきてくれたミリヤは、高校生の子供がいるとは思えないほど若々しく綺麗な女性。アンバーの瞳に綺麗な金茶色の髪。縁取るまつげまで煌めいて見える、日本人離れした容姿に三人は目を奪われている。
「ママ、お兄ちゃんの友達来たの? ふぅん、写真で見るよりまともな顔じゃない」
「もう、海玲ったら! 写真も素敵だったじゃない」
その麗しき人妻の後ろから現れたのは、さらに目を惹く少女。ほっそりとした長い手足に小さな顔。そしてグリーンの瞳に波打つ母親譲りの金茶色の髪。美少女と言って間違いのない日向の妹――海玲。まじまじと滝川たちを見つめる海玲はじっくりと品定めをしてからにこりと笑った。
「まあ、合格。上がってよ、私の友達紹介するから」
「日向も待ってるから、さあどうぞ」
呆然としている三人は優しいミリヤの声で我に返る。そしてどこかぎこちない動きで靴を脱いだ。その様子に雪羽が笑うと、滝川はじとりと目を細め、木山と小出はますますあたふたとする。
ミリヤについて行くと広いリビングに通された。そこには天井に着きそうなほど大きなクリスマスツリーが飾られている。小さな飾りが吊り下げられたツリーはチカチカと綺麗な電飾が瞬いていて、あっという間にクリスマスムードにさせられた。
視線をリビングの一角、ソファへと向ければ見慣れた後ろ姿が見える。その人は海玲が声をかけると振り返り、雪羽を見て相好を崩した。
「雪羽、こっち来いよ」
「あ、うん」
優しい笑みに誘われて雪羽は足早にソファへ駆け寄っていく。するとそこに座っていた面々が新たな来訪者に視線を向ける。
ソファには男女合わせて全部で五人。雪羽を膝の上に載せて満足げな日向と、その横で海玲を横に座らせている男。そして少し幼さを感じさせる可愛らしい顔立ちをした少女が三人。
その圧倒的な華を感じさせる顔ぶれに、滝川たちは少したじろいだ顔を見せる。けれどミリヤに促されてその輪の中へ足を踏み入れた。
「紹介するわね。私の大事なお友達、美優に佳奈美に千絵子。写真を見せたら行ってもいいって言ってくれた天使ちゃんよ」
上着を脱いで鞄を下ろす頃には海玲の友人たちが滝川たちの前に並ぶ。恥じらうように頬を染めたり、勝ち気な瞳でじっと見つめ返したり、反応は様々だが彼女たちは海玲の言う通り三人に興味を持っているようだ。
「あ、お前たちに選ぶ権利ないからな」
「俺は頼んでないけど」
にんまり笑みを浮かべた海玲と肩をすくめた日向に、滝川は言いにくそうにぽつりと呟く。けれどそんな反応に海玲は人差し指を振ってチッチと舌を鳴らした。
「イブの夜に男一人で寂しいじゃない。別にお兄ちゃんみたいにゲイってわけじゃないんでしょ? 可愛い女の子が一緒にいたいって言ってるんだから、無下にするのは男が廃るわよ。じゃあ、美優は滝川さん、佳奈美は木山さん。千絵子は小出さんね」
押し負かされるような形で滝川はぐっと言葉を飲み込んだ。人の好さそうな顔立ちをした滝川は昔から硬派で真面目。
女の子といい加減な付き合いをしたことがないのを雪羽はよく知っている。ただ少しばかり女の子を相手にすると人見知りを発揮するところがあった。だから思わず雪羽は心配げな眼差しを滝川に向けてしまう。
「心配すんなって、大丈夫だって。俺も知ってるけど悪い子たちじゃない」
「ああ、うん。そうだよな。みんないい子そうだし」
「そんなことより、俺に集中しろ」
「ちょ、自分の家だからって自由すぎ!」
後ろから回した腕に力を込めて日向は雪羽を抱きしめる。なだめるように寄せられていた頬が首筋に触れて雪羽は肩を跳ね上げた。身体をよじって逃れようとするものの、回された腕は離れていかなくて、さらにきつく抱きしめられて耳の後ろにキスをされる。
無防備な部分に触れられると、雪羽の顔は一気に赤く染まった。
「ちょっと、お兄ちゃん。ここでやらしいコトしたらぶっ飛ばすからね」
「別に変なことしてねぇだろ。スキンシップだよ」
「そんなこと言って雪羽さん真っ赤じゃない」
隣に座っていた海玲が眉をひそめて日向を睨む。けれど悪びれる様子も見せずに日向は肩をすくめた。そのやり取りに余計に雪羽は恥ずかしさが増した。
「お前は恋人に三年も禁欲を強いる悪魔だからな」
「お兄ちゃんの貞操観念が緩いのよ! 時也さん社会人だし、私まだ高校生になったばかりなんだから当たり前でしょ」
「別に恋人同士なんだから、犯罪者みたいに言うなよ。トキが可哀想じゃねぇか」
呆れたように息をついた日向は、ムッと頬を膨らませる海玲の後ろでニコニコ笑っている男へ視線を向ける。その視線の先をつられるように見た雪羽は、穏やかな眼差しと目が合ってしまい思わずへらりと笑った。
見るからに大人しそうなその人は、海玲の彼氏でありはとこでもある時也。今年二十四になった社会人三年目で、今年の春頃から海玲と付き合っているが、キス止まりでその先はお預けになっている。けれど本人はそこまで気にしている素振りはない。
「女の子なんだし、そのくらいの気持ちを持っているほうが安心できるよ」
そんなことをやんわり笑って言えるくらい時也は落ち着いた雰囲気を持っていた。日向と比べるとまるで真逆なタイプ。しかし顔立ちはさすが親戚なだけあってどことなく似ていた。海玲はハーフの母親似だが、日向はクオーターの父親によく似ている。
時也に初めて会った時、雪羽はもう少し大人になった日向を想像した。
「三年間その考えが続くのか見物だな」
「日向は酷いなぁ」
のほほんと笑った時也に日向は大げさに息を吐く。けれどそれ以上は文句を言うことなく視線を雪羽に落とした。その視線を受けて、雪羽は不思議そうに首を傾げる。
「俺はそんな暢気にしていられねぇ。……雪羽、部屋に行くぞ」
「えっ? なんで!」
「その理由をいまここで俺に話して欲しいのか?」
「そ、それは」
しどろもどろになる雪羽を見つめて、日向は指先を顎にかける。その手で上を向かされてその先を悟った雪羽は、慌てて目の前に迫る顔を押しのけた。そして逃げ出すように膝の上からも飛び降りる。
「逃げんな」
「ひゅ、日向がいきなりしようとするから!」
「雪羽、俺は逃げられると追いかけたくなる性分なんだよ」
「わぁっ! ちょっ、日向っ!」
一気に間合いを詰めたかと思えば、逃げを打つ雪羽の腕を掴んで引き寄せると、おもむろに腰に腕を回し抱え上げた。小脇に抱えられた雪羽はジタバタともがくが、腕に力を込められるとさらに逃げられなくなる。
「悪いけど、適当に遊んでてくれ」
呆気にとられている周りの空気など微塵も読まずに、日向は雪羽を抱えたままリビングを出て行く。途中でミリヤが目を丸くして声をかけてきたが、それも適当にあしらい二階にある自分の部屋へと向かっていく。
丸太ん棒のように抱えられながら、雪羽は胸でなく耳の横で鼓動が聞こえるくらい動揺していた。
顔は熱気に当てられたみたいに火照って、自分でも紅潮しているのが感じられるくらいだった。そして部屋に入ってベッドの上に放り出される頃には、手に汗を掻き、身体まで火が付いたように熱くなっていた。
「雪羽、なに緊張してんの?」
「だ、だって、いきなりこんな展開っ。予想してなかった」
慌てて身体を反転させて向き直ると、ベッドに乗り上げてきた日向が少しずつ近づいてきた。まっすぐ見つめられる視線に絡め取られて、追い詰められた草食動物にでもなった気分になる。ゆっくりと覆い被さるように身を寄せてくる日向に、思わず雪羽は顔を背けてぎゅっと目を閉じてしまう。
「俺は、好きな相手に好きだって言うことも、触れることも、抱きしめることも、当たり前だって思ってた」
身を固めて小さく縮こまった雪羽の耳元に、どこかいつもとは違う日向の声が囁きかけられる。けれどそれを察して目を開けた雪羽は振り向こうとしたが、耳のフチに口づけられて身動きができなくなった。触れられた場所から熱が広がる。
「だけどここでは、それが当たり前じゃないんだってようやく気づいた。雪羽が言う、男だから、女だったらって意味をやっと理解した気がする。……悪かった、俺の価値観で雪羽を困らせてたよな」
「日向?」
「俺がお前を守るためにはなにをしたらいいんだ?」
切なげな声に雪羽はとっさに手を伸ばした。そして自分を見下ろす視線を見つめ返して、いまにも泣き出しそうな瞳の色に胸を苦しくさせる。両手で頬を撫でると茶水晶みたいな瞳はやんわりと笑みを浮かべた。けれどそれがひどく痛々しくて雪羽は胸に引き寄せて抱きしめる。
「言っただろ。俺を守ろうなんて思わなくていいよ。俺はちゃんと立っていられる。だから大丈夫だって。俺は日向がまっすぐに好きだって言ってくれるの嫌じゃない」
両腕できつく抱きしめれば、日向は縋りつくみたいに雪羽の身体をかき抱く。今回のことで堪えたのは雪羽ではなく日向のほうだ。
それを感じ取るとその痛みが伝わってくるようで、雪羽は柔らかな髪を梳いてなだめるみたいに優しく撫でる。そして少しでも心の痛みが和らぐように、これ以上傷つかないように、やんわりと額に口づけをした。
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