花見、と言えば桜が思い浮かぶ。けれど花を見る、と言うのは日常的にあるものだ。庭の花、道ばたの花、プランターの花だって
だからくわえ煙草で、じょうろを傾けているいまの自分だって、花見をしていると言えるだろう。ぽっと花開いた紫色のリンドウは、春頃に恋人が植えていったものだ。
花言葉は――悲しんでいるあなたを愛する。なんとも切なさ混じる言葉だが、晴れやかな笑顔で、部屋を出て行ったあいつらしいとも言える。
「まったくこんなもの置いていって、俺が面倒見なかったら、どうするつもりだったんだよ」
しかしあいつが花が咲いたら帰ってくるなんて言うから、律儀に水やりをして、鉢換えをして、花が咲くのを待ってしまった。
けれどあの男が、本当に帰ってくるなんて怪しいものだ。いつだって自由気まま、三年くらい放って置かれたこともある。
それでも戻ってくるというから、待ちわびてしまう。運命的な出会いをしたから、なんて言って離縁を叩きつけられたこともあったが、結局はいつも戻ってくる。
あいつが最後に帰る場所は、自分以外いないだろうと、うぬぼれかもしれないのだが。
「お日さんに当たって、たっぷり光合成しろよ」
十月も半ばにさしかかる。日が昇るのもだいぶ遅くなった。薄明るい空を見上げながらあくびを噛みしめたら、煙草の苦みを感じる。
吐き出すように、口先から抜いたそれは灰皿で押しつぶした。
突っかけたサンダルを鳴らして、ベランダの縁に腕を乗せれば、徐々に明るくなってくる空をじっと見つめているうちに、下の道は人の気配を感じ始めた。
だが、平日の朝にのんびりしている自分は、その中に混じることはない。
学校と言うものを卒業してから、目下自由業だ。しかし会社勤めなんて向かない、お前は自由がいいよ。
そう言っていたあいつのほうが、どれほど奔放か。中高と一緒だったはずなのに、ほとんど学校で見かけなかったことを思い出す。
「それなのに成績だけは良かったよな」
ひょっこりテストの時だけ顔を出して、必死に勉強しているやつらの上へ、ひょいと乗ってしまう。
それでも恨み言を言われていることはなかった。なぜだかみんな、あいつを許してしまうんだ。
そしてそれを不思議に思うやつもいなかった。口を揃えてあいつなら仕方ないなぁと言う。
まあ、確かに、あいつだったら仕方ないって思わされる。つかみ所のないふわふわとした存在。
雲を掴まされるような、不確かな男だ。けれどみんな惹かれるんだ。
「あんな男より、もっといい男いそうなのに」
ため息交じりにぽつりと呟けば、虚しさが湧いてくる。そろそろ引導を――けれどそう思った瞬間に、部屋の中にチャイムが鳴り響いた。
一回、二回、三回、そしてその向こうから呼ぶ声が聞こえる。
「陽ちゃーん!」
いつも諦めようと思った瞬間に、帰ってくる。ちょっと近所に出掛けていたみたいな顔で、ただいまって言うんだ。だから俺はいつも諦め時がわからない。
「ねぇ、見てみてー! 開いてた花屋で買ってきたの」
「人の家に鉢を増やすな。なんだその葉っぱ」
「アイビーって言うんだって! 花言葉は、永遠の愛!」
「それで決め顔してるつもりかよ」
「陽ちゃんってば、相変わらずしかめっ面」
「お前が脳天気すぎるだけだ」
ガタガタと馬鹿でかいキャリーと、ご丁寧にラッピングされた植木鉢を持ち込んで、いつものようにへらりと締まりのない顔で笑う。
伸びっぱなしの髪の毛は、ボサボサで紫外線で焼けたそれは、金と茶色が混じる。
ひょろりと細い身体は、風が吹けば飛びそうなのに、雑草のようにしぶとい。たとえるならば道ばたのタンポポ。
けれどベランダで開いた花を見て、振り返る顔はひまわりだ。
いつも太陽に向いている花、それが時折こちらを向くだけで優越感が湧く。またいつそっぽを向かれるかも、わからないのに。
「これ見て! パスポート! いっぱいになった」
「ふぅん」
「陽ちゃん忘れてる? 俺が世界一周したらゴールだよって言ったでしょ? ただいま! ……返事は? せーのっ」
「お、おかえり?」
愛してるよ――と笑った太陽の花は、これからずっとここで見られるらしい。
花見/end
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