付き合い始めてみると事前に聞いていた話より瑞樹の我がままは酷くはなかった。ほかから言わせるといまのこれも十分我がままが過ぎると言われるけれど、想像よりも可愛げがある程度だと自分は思っている。
それは向こうもこちらのことを気にかけてくれているからなんじゃないかと思っているのだが、それは気のせいだとみんなが言うのはなぜだろう。
「俺は嫌いなところはないけど、そろそろ潮時とか? 別れるの言葉が出てくるってことは鬱憤が溜まってそうだよな」
自分主義で我が道を行くあの子だから、やはり俺に対して思うように行かない不満は大いにありそうだ。彼の友達の話を聞くと、君みたいなタイプの彼氏は初めてだ、と言われた。どういう風に違うのかははっきりと言っていなかったが、もしかしたら勝手が違うというやつかもしれない。
「あのー、すみません」
「……はい?」
「結構前からここにいますよね。いまお時間ありますか?」
ふいに目の前に人の気配を感じた。俯いていた顔を声がしたほうへ向けると女の子が二人立っている。歳は瑞樹と同じくらいか少し下か。けれど見覚えはないので大学の後輩などではないだろう。
不思議に思いながら見つめ返せば、二人は顔を見合わせながらそわそわとする。新手の宗教勧誘かとも思ったが、こちらが声を上げる前に一歩詰め寄られた。
「もし良かったらご飯とかどうですか」
「すぐ傍にすごくおいしいお店があるんですけど」
「え? ……あ」
これはもしかしなくとも逆ナンか。こういうの久しぶりだ。ようやく状況を理解して思わずしげしげと見返してしまう。すごく可愛いというわけではないけれど、二人はわりと顔立ちは整っている。
身なりも派手さがなく清潔感もあって、こうして声をかけてくる押しの強さも加えると、一般的な男子から見れば即オーケーしてもいいタイプだ。かくいう自分も別に女の子が駄目なわけではない。
「あんまり時間がないんだけど」
「だったらお茶とか」
「甘いものはお好きですか? ワッフルのお店とか」
少し控えめにこちらの様子を窺ってくる感じは悪くないと思う。あまりガツガツこられても対応に困るし、いつも強気に押し切られているからちょっと新鮮さもある。
「ああ、うん……あ、ごめん。電話だ」
少しのあいだ時間潰しにでも付き合ってもらおうかと思ったら、手にしていたスマホが震え出した。絶妙なタイミングでかかってきたそれに視線を落とせば意外な人物で、すぐさま通話を繋げる。
するとしばらくの沈黙ののち、地を這うような声で名前を呼ばれた。それに驚いて目を瞬かせると、ブツブツとなにやら呟く声が聞こえてから罵られた。
「馬鹿、あほ、おたんこなす、あんぽんたん、詠斗のむっつりスケベ、すけこまし!」
「え、なに?」
「なんで僕が別れるって言ったのに追いかけてこないの! なんで女の子といちゃいちゃして遊びに行こうかな、とか考えてるわけ!」
「瑞樹、いまどこにいるの?」
いまのこの現状を見ているかのような発言に首を傾げずにはいられない。しかし辺りに視線を向けるがその姿は見つけられなかった。人目を引く容姿だし、人混みに紛れることはないはずなのだけれど。
そこでふと目の前の二人を見た。じっと窺うように見つめれば、彼女たちは気まずそうにすっと視線を外した。
「君たち、相原瑞樹の知り合い?」
問いかければ今度は完全に視線が明後日の方向へ向けられた。この反応ということは、これはおそらくあの子の友達かなにかだろう。しかしどうしてこちらの居場所がわかったのか。
「この辺りにいるはずだから、あなたを見つけたら声をかけてって瑞樹くんに言われて」
「たぶんすることなくなって駅の近くで時間を潰してるだろうって」
意外にもこちらの性格を把握していることに驚いた。さほど自分に深い興味を持っているようには思っていなかったから、こんな時なのに少し胸が高揚する。
「それで、瑞樹は?」
「いえ、それはわからないです。私たちがこの辺で撮った写真をSNSに上げていたのを見て、それで連絡してきたみたいです。もう一人近くにいて、瑞樹くんに様子を報告してました」
「そっか、面倒なことに巻き込んでごめん。向こうと合流するから」
「こちらこそすみません」
状況を把握するともう一人の子も出てきて自分に頭を下げてから三人ともその場をあとにした。電話の向こうで黙ったままの彼にもう一度声をかけると、また呪文のように文句を連ね始める。
「迎えに行く。どこにいるの?」
「……わかんない」
「え?」
「どこかわかんない。歩いてたらどこかわかんなくなった」
「あー、そっか。なにか大きなものとか目立つものとか」
あのまま歩き続けて道に迷ったようだ。そういや彼は方向音痴だった。地図の見方もわからないし、何回も通った道も覚えられない。迷子防止に住んでるマンションは駅から徒歩五分以内にある。
あれからかなり時間も過ぎているし、別れた場所から一駅分くらいは歩いているかもしれない。どっちの方面に歩いて行ったかを思い出す。
「たぶん公園。銀杏の木がいっぱいあって、広くて、犬が散歩してる」
「んー、ああ、そこか。近くにカフェが何軒かなかった? 寒いし店の中で待ってたら?」
「僕を待たせるの?」
「わかった。急いで行くから」
一旦通話を切ると電車に乗って見当のついた駅に向かう。公園は駅から歩いて十五分ほどの場所にあるのでここからだと三十分程度だろうか。ふて腐れた様子の機嫌をメッセージで確認しつつなにか手土産でも持っていくべきだろうかと思う。
それにしても別れてから四時間ちょっとは過ぎている。道に迷ったとは言え帰ろうと思えば帰る手段はあるのに、なぜずっと動かなかったのか。腹が立っていてそれどころではなかったのだろうか。
「もしかして俺から連絡が来るのずっと待ってたのかな」
なぜ追いかけてこないのかと文句を言っていたからそれもあり得る。いつもだったら追いかけても怒るくせに、ヤキモチなんか妬いてたし今日は珍しいことずくめだ。本当に別れるつもりだと思ったのか。
案外自分は信用がないんだな。こちらはいつ別れられても仕方ないと思っていたけれど、別れようなんて一度も思ったことがないのだが。
「あんまり意思の疎通できてなかったとか? まあ、お互いのことを話すかと言えばそうでもないし、俺も我がままを聞いてるだけで楽しかったから気にしてなかったな」
そろそろもう少し踏み込んだ関係を築くべき時期が来たのかもしれない。とりあえず会ったら早々にまた文句を言われそうではあるが、それを聞いたら話をしよう。
電車を降りたらだいぶ日が暮れてしまっていた。昼間と比べると気温も下がっているし、温まりそうなものを調達して急いで公園に向かう。しかし広い公園だからすぐに見つけられるか心配だ。
「そういえば広場があったな。犬が遊んでたような」
とりあえず目星を付けて園内を何ヶ所か回り、どんどん暮れていく日の中で彼を見つけたのは暗がりにある隅っこのベンチだった。ぽつんと小さな身体をさらに小さくするみたいに膝を抱えて座っている。
慌てて傍に寄るけれど、気づいているだろうに顔を上げない。のぞき込むように目の前にしゃがんで見上げたら、泣きそうに歪めた表情が見えた。
「瑞樹、遅くなってごめん。寒かったよな。ほら、カフェオレとたい焼き。温かいから」
ミニサイズのペットボトルを手に握らせてクリームの入ったたい焼きを口元に寄せる。すると引き結んでいた唇が開いてぱくんと頭を囓った。そしてそれとともにじわじわと涙が浮かんで、それはぽろぽろとこぼれ落ちてくる。
「えっ! 瑞樹? どうした? どっか痛い?」
「たい焼き甘い」
「あ、うん」
「詠斗の馬鹿。……なんで簡単に知らない女についていこうとしてるんだよ。僕のことが好きなんじゃないの」
「うん、好きだよ。俺は瑞樹のこと好きだけど、瑞樹は俺のこと好きなの?」
付き合っているのだからこれは当たり前のことかもしれない。それでもまだ一度もその言葉を言われていない気がする。好きだよって言えば、うんって返事をするだけで、来年も一緒にいてくれるの? って聞けばいいよと答えるだけ。
好きで傍にいるのか、なんでも言うことを聞くから傍にいるのか。その答え合わせはまだできていなかった。
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