本当の気持ちをいまだに形にしてもらえていない、それに不満を持ったことは一度もないけれど、気にしていないわけではない。彼はひどく天の邪鬼だから答えは見つからないかもしれないが、気持ちの矢印の先を知りたいとは思う。
「瑞樹は俺と別れたいの? もう面倒くさくなった?」
「……それはっ、詠斗のほうだろ! 面倒くさくなったから別れてもいいかって思ったんじゃないの! だから女の子にふらふら誘われちゃったりしたんでしょ! 僕の気持ちを無視したの、詠斗のほうだ」
「うーん、わりと本気の別れる、だったんだ。ごめん、俺はてっきりまたいつもみたいに機嫌損ねて拗ねてるだけだと思ってた。じゃあ、友達を使って俺の気持ち試したんだ」
ますます涙が浮かぶその顔に少しばかり困ってしまう。ひねくれているというよりもその感情が素直すぎて、ちょっと戸惑いを感じる。そこまでの気持ちが自分に向いているとは正直思っていなかった。
「俺はまだ別れるなんて一言も言ってないよ」
「じゃあ、これから言うのっ?」
「いや、それはさすがにないよ。瑞樹ほら、ちょっと甘いもの補給して落ち着いて」
柔らかい唇にたい焼きを押し当てたらもぐもぐと涙をこぼしながらそれを咀嚼する。温まった手からペットボトルを取ると、自分でたい焼きを掴んでさらにもぐもぐと一匹完食した。
空いた手に蓋を開けたカフェオレを渡したら大人しくそれに口を付ける。その姿はなんだか小動物みたいで可愛らしい。
「瑞樹がもう嫌だって言うなら別だけど、俺は別れたいなんて思っていないよ」
「僕が嫌だって言ったら別れるの?」
「少し訂正する。本気で俺と付き合うのが嫌だって思ったら別れるよ。瑞樹はもう嫌?」
「別に嫌じゃないよ!」
「なんでキレ気味。……まあ、いいけど。だったら昼間の言葉は訂正して」
飲みかけのカフェオレに蓋をして、ベンチに置くと彼の両手を握る。じっと潤んだ瞳を見つめれば、きゅっと唇が引き結ばれた。それでも視線を離さずにいると視線がそれてなにやらもごもごと口の中で呟く。
「瑞樹、聞こえないよ」
「わ、別れないでいてやってもいいよ」
「なにそれ、裏を返したら別れる気があるってことになるけど」
「ち、違うっ! だから、その、別れたいとか、思ってないし」
「最初からそうやって素直に言いなよ」
珍しく顔を真っ赤にして、ちょっとツンギレ気味だけれどようやく欲しい言葉が聞けた。それにほっと息をつけば、まぶたを瞬かせながらまっすぐに見下ろされる。様子を窺うようなその顔にゆっくりと近づいて、唇を合わせたら肩が跳ねた。
「瑞樹、これあげる。今日行った雑貨屋さんで見つけた」
「なに?」
「万年筆。ステンドグラスみたいな模様が綺麗だって言ってただろ」
「え? 結構高かったよね」
「もうすぐで三年経つし、記念にいいかなと思って」
手にしていた袋から取り出したラッピングボックスを渡すと恐る恐るみたいな手で包みを開ける。一日数本しか作られないらしい万年筆で入荷も少ないのだが、今日たまたま商品が店頭に出たところだった。
次にいつ来るかもわからないし、次に同じものがあるともわからないので即断即決した。彼が言うようにわりと高価だけれど、仕事をしている身なのでこのくらいはなんとかなる。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「ほんとに別れる気なかったんだ」
「もしかしてやっと信じたの? ちょっと酷くない?」
「詠斗のくせに格好いいとかムカつく」
「それ褒め言葉?」
ふっと不機嫌そうに目を細めて口を曲げたその顔に思わず笑ってしまった。ふて腐れているようで照れているみたいな表情が可愛かった。しかしもう一度近づこうとしたらふいと顔を背けられる。
「嫌なの?」
「……詠斗なんていつもへらへらしてるだけのくせに、ドMでキツいこと言われるの好きで、わりと痛いことも嫌いじゃないくせに、無理矢理されるのも喜ぶし、僕の下でアンアン……」
「いきなり人の性癖暴露しないでくれる? それとアンアン言ってないし」
さらに際どいことを言い出しそうな口を指先で封じたらムッと唇が尖った。そしてがぶりと指先を囓られる。驚いて引こうとした指を歯先で少しきつく甘噛みされて頬が火照った。
「僕より優位に立とうとするなんて許さないから」
「んー、下僕に成り下がった覚えはないんだけど」
「詠斗は黙って僕についてくればいいの!」
「それはこれからも一緒にいるよ、好きだよって言う言葉の裏返しと取っていいの?」
「好きにしたら!」
どこまで行っても頑なに言葉が出てこない反応がおかしすぎる。別に自分は彼から好きだとか愛してるだとか言われたかったわけではないから、ここまで素直に言ってくれるだけで十分だ。
「じゃあ、仲直りもしたことだし帰ろうか。お腹空いたでしょ。ご飯食べに行こう」
「焼き肉が食べたい」
「なんかやる気満々になってない?」
泣き止んだ顔はすっきりとしていて、それどころかちょっと凜々しい。焼き肉のあとの活力がどこに向かうのかと考えると明日の仕事のことを思ってしまうが、まあ、そういうシチュエーション嫌いじゃない。
立ち上がった彼がずんずんと歩いて行くその背中を追いかけて、伸ばした手で一回り小さな手をぎゅっと握りしめた。
「もうナンパされてもその気もないのにいい顔はしないでよ。恋人として嫌だなって思う気持ちわかっただろ?」
「それなら詠斗がもっと僕を褒め称えてよ。僕のご機嫌を取ってくれたら考える」
「ふぅん、じゃあ俺も瑞樹に冷たくあしらわれたら優しい女の子に慰めてもらうことにするよ」
ツンとした顔でひねくれまくったことを言う彼に意地悪な気持ちが湧く。手を離したら焦ったような色を見せる瞳がこちらを向いて、たぐり寄せるように手を握りしめられた。
「僕よりそっちを選ぶの!」
「俺は十分瑞樹に尽くしてるつもりだけど、他の男にちやほやされるのやめる気がないってことなんでしょ? だったら俺だって同じことする」
「なにそれ! ムカつく!」
まだ反省の色を見せない彼の手をわざと振り払って、大股で歩き始めると驚きと戸惑いの気配を感じた。なにかを言い澱んでいる雰囲気と恐る恐る伸ばされた手。しがみつくみたいにぎゅっと握られた指先に口の端が緩む。
後ろを振り返ればまた泣きそうに歪んだ顔があり、引き結ばれた唇が噛みしめられた。
「こういう時なんていうか知ってる?」
「……なに?」
「ごめんなさい、でしょ」
足を止めて視線を泳がせた恋人の顔をのぞき込む。じっとココア色の瞳を見つめるといつもよりたくさん瞬いて、潤んだそれは涙でキラキラとしていた。繋いだ手を引き寄せて先を促せば、彼は小さな口をようやく開いた。
「ご、ごめん、なさ、い」
「うん、許してあげる」
「詠斗のくせに、生意気」
「あ、許すのやめようかな」
「ごめんって言ってるでしょ!」
ぷくりと膨らんだ頬が桃色に染まって握られた手がぶんぶんと振り回される。まあ、これは及第点だろう。いつもは強気な彼の精一杯だ。苛めたいわけではないからこれで手を打とう。
そっと唇を寄せてまた柔らかな感触を味わうと、やんわり囓って熱を感じる口の中をまさぐる。驚いて逃げようとするからすぐにぱっと身体を離した。すると離れたことにも驚いた顔をする。
「瑞樹、帰ろう?」
「ムカつくムカつく! 詠斗のそういうの大嫌い! 僕のことからかってるだろ! 帰ったら泣かしてやるから!」
意地っ張りな君が言う大嫌いは、大好きって言葉の裏返しなんだって本当は気づいてる。大好きだけど大嫌いなのは俺の気持ちを引くためで、彼の言い訳みたいなものなんだ。思ったよりも愛されてるなって思えば、これから先もなんでも言うことが聞けそうな気になる。
だから君の我がままがなによりも愛おしいって感じている、俺の愛がだいぶ重いってことは忘れないでおいて欲しい。
素直じゃない君の言い訳/end
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