思いがけない展開

 目が覚めるとともに、チチチッと、小鳥のさえずりが聞こえる。ベランダに雀が集まっているのだろう。いつも信昭の家には、小鳥が集まる。
 餌をやっているわけでもないのに、不思議なものだ。

 そんなことを考えながら、礼斗は柔らかなシーツの心地良さに、再び眠りに落ちそうになる。いまは何時だろうか、今日は何曜日だったか。
 ウトウトとする中で思考を巡らせ、タオルケットを引き寄せる。休みであったら良かったのに、今日は水曜日。会議がある日だ。

「信昭、いま何時?」

 いつもの調子で、床の布団で寝ているだろう、幼馴染みに声をかける。しかし寝返りを打ったところで、一気に目が覚めた。
 すぐ隣、同じベッドで誰かが寝ている。

 驚いて目の前を凝視すると、そこにいたのは昨日一緒に飲んだ直輝だ。とっさに大きな声を出しそうになるが、礼斗は声を飲み込み、そっと身体を起こした。

「服、は着てるな。これは着たのか、着せられたのか?」

 自分の身体を見下ろすと、Tシャツにスウェットという格好だった。裸であったらどうしようかと思ったので、ほっと息をつく。
 身体にそれらしい違和感はないので、なにかあったわけではなさそうだ。

 改めて部屋を見渡してみるが、まったく見覚えがない。おそらくここは、直輝の家なのだろう。
 それにしてもなぜこんなところに? 信昭が本当に面倒を見ないと、放り出した?

 しばらくそのまま放心してしまったけれど、我に返って礼斗は辺りを見渡し、眼鏡を探す。そして音を立てぬよう細心の注意を払いながら、ベッドから降りた。

「服、服はどこだ。……あった」

 ラックにスーツが掛けられているのを見つけて、物音を立てないよう手早く着替える。
 まるでこそ泥になったみたいな気分だが、いまここで顔を合わせても、混乱した状況下ではまともな話ができそうにない。

 それどころかまたいらぬことを言って、喧嘩に発展するのが目に見えてわかる。朝からそんなエネルギーは使いたくない、というのが礼斗の正直な気持ちだ。

「よし、とりあえず直輝が起きる前に出よう。考えるのはそれからだ」

 着衣を調え、鞄と中身を確かめて、逃げ出すように直輝の家を出た。
 充電の残っていた、スマートフォンで位置を確認すると、会社の最寄り駅から二駅先にある場所のようだ。

 礼斗の家まで四十分ほどの距離。できたら着替えをしたい。シャワーも浴びたい。しかし戻るよりも、そのまま出社したほうが断然早いだろう。

 それならばと、会社から近いところにあるインターネットカフェで、シャワーを済ませてしまおうと思った。残業明けなどはよく利用する。

 シャツや下着なども売っているので、そこで着替えを済ませればいいだろう。落ち着かない気持ちをなだめながら、礼斗は駅へと足を速めた。

 会社に着いたのはいつもより二十分ほど早い頃合い。普段から朝が早い礼斗なので、フロアはまだ人がまばらだ。
 自分の部署に至っては、誰も来ていない。

「ちっ、信昭のやつ既読スルーかよ」

 昨夜の経緯を聞きたかったのに、幼馴染みから返事がない。礼斗が酔っ払って記憶をなくすのは、いつものことだ。
 そんなに強くないのに飲み過ぎると、信昭によく呆れられている。

 昨日はおそらく、直輝のペースに巻き込まれたのだろう。
 だとしてもどうしたら、彼の家へ行くという展開になるのか。予想外すぎて、さっぱり礼斗にはわからなかった。

 確かに直輝の家は店からわりと近い。だが徒歩一分の、店の二階にある信昭の家に比べたら、歴然の差だ。
 やはりわざわざ彼の家に行く理由が見つからない。

「おはようございます。あの、西崎さん、サイトのデザインは決まりましたか?」

「え? ああ、すまない。まだだ」

 スマートフォンにありったけの、恨み辛みを打ち込んでいると、おずおずといった様子で声をかけられる。
 顔を上げるとシステム部の人間で、先日礼斗が直輝とバトルしたサイトの、担当を一緒にしている男だった。

「来週中には、先方に営業が伺う予定なんですが」

「大丈夫だ、ちゃんと形にする」

「まあ、西崎さんなんで、信頼はしてますけど。……出向してきた上条、使えないですか?」

「えっ? いや、それはない。仕事はできる男だ。俺と少し気が合わないだけで」

「そう、ですか。では打ち合わせの同行はどちらが」

「俺が行く」

 サイトのデザインが決まらず、構築が遅れると、システム部や営業部にまで迷惑をかけることになる。
 このままでは直輝の面子も、潰してしまいそうだ。提案書を手元に引き寄せながら、礼斗は重たい息を吐く。

「急かしてすみません。それじゃあ、お願いします」

「うん」

 直輝の意見はまったく検討する余地がない、というわけではなかった。けれどそのままを取り入れるのは、やはり難しい。
 どこかで二人の意見に、折り合いをつけられれば、もっといいものができそうではあるのだが。

「たとえばここの色をこうしたら、いやそれともこっちか。アイコンはこれでいいが、バナーは別のものに変えたほうがいいな」

 サイトは体裁が整っていれば、それで完成というわけではない。ロゴの大きさ、配置だけでも印象が変わる。

 視覚的にも動線がはっきりしていたほうが、利用者にとって使いやすい。ごちゃつくのはもってのほかだし、誤認させるデザインなど論外だ。
 パソコンの画面に向かい、礼斗は小さく唸る。

「うーん、少しまとまりに欠けるな。あ、そうか、これを」

「アヤ!」

「……だから、何回言わせるんだ。名前で呼ぶな、名前で、ってなんだよ」

 没頭していたところで声をかけられ、小さく肩が跳ねた。
 気取られないように、眉間にしわを寄せて返事をするが、礼斗の対応など気に留めずに、直輝が大股で近づいてくる。

 それを見て昨日一晩、世話になっていたことを思い出す。途端に気まずい気持ちになり、礼斗は視線をパソコン画面へ戻した。

「アヤ! なんで勝手に帰ったんだよ」

「な、そ、それは、会議があるのを思い出して。準備とか色々」

「うちからなら十分間に合う距離だろう」

「って言うか、あんた声がでかいよ」

 ほかの部署の人間のみならず、いつの間にか顔を揃えていた部下たちが、ちらちらと視線を向けてきて、礼斗は居心地の悪い気持ちになった。
 直輝の言葉一つ一つに、周りが聞き耳を立てているように思えてならない。普段あまり隙のない礼斗の、失態を想像しているのか。それとも――。

「上条くん、西崎主任をお持ち帰りしたんですか?」

「え、もしかして二人だけで飲んだの?」

「酔った主任を、お持ち帰りしたくなるのわかるぅ!」

 なぜそうもお前たちは楽しそうなのだと、突っ込みたい気持ちが湧くけれど、そんなことをすれば、話がまた大きくなる。
 怒鳴りたい気持ちをぐっとこらえて、礼斗はマウスをクリックすると、すぐさま席を立った。

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