直輝と二人で、折り合いをつけたサイトのデザイン。そのあともじっくりと意見を出し合い、さらに変更を加えた。
そうして仕上げたものを、取引先へ提出してみたところ、思いのほか大好評だった。
「西崎さん、さすがですね」
「いや、俺一人でやったわけじゃないしな」
「でも西崎さんが入ってから、コンテンツ部の仕事は評判がいいですよ」
「元よりみんなスキルがあるし」
取引先からの帰り道。なぜか自分のことのように得意気な営業担当に、礼斗は肩をすくめる。
なつこい性格は直輝とも似ているが、あちらが大型犬ならこちらは小型犬だろう。
「えー、じゃあまた営業部に帰ってきてくださいよ」
「嫌だよ。あそこは俺の性に合わない」
「営業部のエースだったって、みんな言ってます!」
入社してすぐに、礼斗が配属されたのは営業部だった。短気で意固地な性格には、なかなかハードルが高い部署だ。
それでも負けず嫌いが功を奏したのか、在籍した一年半、成績はそれなりに良かった。
しかしもう行きたくない、が礼斗の正直な気持ちだ。一年ものあいだ、転属願を出し続けて、ようやく希望の部署に異動させてもらった。
いまはここから、意地でも動きたくない、と思っている。
「じゃあ、詳しいことはまた来週」
「はい、よろしくお願いします。お疲れさまでした」
ひとまず先方からGOサインをもらって、区切りはついた。まだまだやることは多いのだが、仕事が一段落すると、人は癒やしを求めてしまうもの。
後輩の背中を見送ってから、礼斗はぐっと拳を握る。
「よし、飲みに行くぞ」
明日は休日、心ゆくまで飲み明かそう。幼馴染みに、迷惑だと言われようとも。
意気揚々と店に向かった礼斗だったが、着いてみると、店内はやけに賑やかだった。
普段は混雑することはあまりないのだが、駅からわりと近いこともあり、新規客で埋まる日もある。今日はやめておくか、そう思って一歩足を引きかけると。
「あっ、主任!」
「お疲れさまでーす」
聞き慣れた声。いつもよりテンションが高いそれに、そのまま聞かなかったことにして、立ち去りたいと思った。
礼斗もよく飲むけれど、平塚と橋本――彼女たちはザルに近いほど酒に強い。
おかげで一緒に飲みに行くと、必ず酔い潰されるのだ。しかしそらしかけた視線を、店内に戻して、礼斗は足を止めた。
「おいこら、信昭! お前、俺のキープを勝手に出してんじゃねぇよ!」
「いただいてます」
「小山、お前なぁ! 勝手にいただくな、馬鹿野郎!」
座敷席でにこにこと笑うのは、一筋縄でいかない三人組。そしてこちらに背中を向けている、身体の大きなやつ――これが間違いなく犯人だ。
「上条! なんてことしてくれるんだよ! ここは俺の癒やしスポットだったんだぞ!」
「愚痴吐きスポット、の間違いじゃないのか? とりあえず、入れよ。エアコンの効きが悪くなる」
「信昭! 俺に一本、おごれ」
「一本? こんな小さな店にたかるのか。ひどい男だな」
カウンターの内側で、涼しい顔をしている男を睨み付けると、肩をすくめられる。苛つきを隠さずに、勢いよく格子戸を閉め、礼斗はまっすぐ信昭の元へ向かった。
「お前、このあいだから、俺の電話やメールをことごとく無視しやがって。一体どういうつもりだよ」
「なにか進展があったかと思ったのに、この様子じゃなにもなしか」
「余計な真似しやがって、いっぺんその刺身包丁でぶっ刺してやろうか」
上着を脱ぎながら、礼斗はカウンターの一席に腰かける。すると通しにマグロの赤身、さらにはいつもの日本酒が、切り子グラスに注がれた。
「ほら、おごりだ」
「これっぽっちかよ」
枡にまで酒をなみなみと注がれるけれど、それに礼斗は眉をひそめる。しかし信昭の指先に眉間を小突かれた。
「飲んだら向こうへ行け」
「嫌だ」
「ふぅん、じゃあ。上条くん。主任が呼んでるよ」
「ばっ、かやろ」
ちびちびと日本酒を飲んでいた礼斗は、突然の言葉に吹き出しかけた。追い打ちをかけるように、目の前の幼馴染みは、にこやかな笑みで座敷にいる直輝を手招く。
「あ、はい」
賑やかだった声が一瞬止んで、人の気配が動いたのを感じる。
本当に来るのか、そう思うと、やけにそわそわとした気持ちにさせられた。気分を紛らわすために、礼斗はぐいっとグラスの酒をあおる。
「アヤ、また……酔うよ?」
「俺が酔うのは通常運転だ。それと、こっちに来てもなにも用はないぞ」
隣に来た直輝にグラスを持つ手を押さえられ、払いそうになるのをぐっとこらえると、礼斗は黙って枡の酒をグラスに注いだ。
「一緒に飲むくらい、いいよね」
「用はないって言ってんだろ」
「はい、乾杯」
礼斗が口を引き結んで黙しても、直輝のジョッキは持ち上げられたままだ。しばらく無視をして口を噤んでみたが、離れていかない視線に、根負けしてグラスを持ち上げる。
「はあ」
「アヤ、今日はどうだった? 駄目、だったの?」
「え? ああ、仕事は問題ない」
「そっか、随分と重たいため息をつくから」
「……誰のせいだよ」
「ん?」
「ちょ、近い!」
ぽつりと呟いた、礼斗の声が聞こえなかったのか、直輝が耳をそばだてるみたいに近づいて来た。とっさに身を引くけれど、本人はまったく意識していないのか、不思議そうに目を瞬かせている。
その仕草がなぜだかひどく腹立たしく、礼斗はまたグラスの酒をあおった。
「上条くん、なにか食べる?」
苛々としている礼斗に、怪訝そうな顔をする直輝。あまりにも噛み合わない二人に、信昭が助け船を出す。
だが彼は、どこか楽しんでいるようにも見える。なにを考えているのかと、礼斗はちらりと信昭を見上げた。
「えっと」
「あ、しょっぱいものと酸っぱいものが好きだろう。辛いものは嫌いかな?」
「え? なんでわかるんですか?」
「礼斗の好き嫌いと真逆かな、と思ってね」
「……ああ、まあ、そうですね」
にっこりと笑みを浮かべる信昭に、直輝はなにか言いたげに視線をそらす。さらにはあからさまにため息をついて、この場をひどく居心地の悪い雰囲気に変えた。
「なんだよ直輝。お前、感じ悪いぞ」
「……なんでアヤはわかんないのかな?」
「どうしてそこで俺に振るんだよ」
さらに重たくなった空気。よくわからない直輝の発言をやり過ごそうと、礼斗は黙って酒を飲み干す。
だがグラスが空になると、途端に手持ち無沙汰になった。
「信昭、注げ! お前のおごりで」
「ほんと、礼斗は我がまま大将だな」
「うるさいな。大体、お前がなにも言わないのが悪い。俺がこの数日、どれほどモヤモヤさせられたか」
「キープボトルの恨みじゃなくて、そっちか。俺は良かれと思ったんだけどな」
「なにが良かれだ! 説明もなしにいいも悪いもない!」
「お前は、ちょっと鈍感すぎるのかもな」
ため息交じりの信昭は、文句を言いつつも酒瓶を手に取る。またなみなみと酒が注がれるが、それはあっという間に礼斗に飲み干された。
「熱燗」
「今日は冷やにしておけよ。また潰れるぞ」
「俺が酔うのはいつものことだ」
「ああ、なるほど、またお持ち帰りされたいのか」
「ばっ、か! そんなわけあるか!」
勢いよくグラスを下ろすと、手に酒が跳ねる。隣からの視線と、目の前にある愉悦の色を浮かべた視線に、礼斗は頬を赤らめた。
筋が浮くほど、力を込めてグラスを握れば、爪先でキリっと音が鳴る。いまにもヒビが入りそうなその様子に、伸びてきた手がグラスを取り上げた。
「アヤ」
「勘違いするな! 俺はあんたのことで苛ついてるわけじゃないからな! 大体なんとも思ってなんか」
「……ふぅん。なんとも、ね。そう、それならそれで、いいけど」
「あっ、いまのは言い過ぎ、て」
また売り言葉に買い言葉。勢い任せに言葉にしてしまい、礼斗は冷や汗を掻いた。自分を見つめる直輝の目がすっと細められ、言い訳さえうまく言葉にできない。
「ごめんね、邪魔して。戻るよ」
「邪魔ってなんだよ!」
手にした礼斗のグラスを置いて、直輝は腰を上げる。さらには素っ気なく視線を外すと、後ろの座敷へ、本当に戻っていった。
けれど振り向くこともできず、礼斗はきつく唇を引き結ぶ。いまにも泣き出しそうなその顔に、信昭は呆れた表情を浮かべた。
「お前はそうやって、すぐに頭に血を上らせるから、失敗するんだぞ」
「俺は飲みに来たんだ。酒をもっと出せ! それと腹が減った」
「礼斗、謝ってこいよ」
「俺はなにもおかしなことは言っていない」
「そんなこと言って、まだ未練があるんだろう?」
「こんなのは一時の感情だ」
少しばかり未練があるからといって、寄りを戻したいなんて、本気で思っているわけではなかった。昔の思い出が心をかすめただけで、舞い上がるほど、子供ではない。
そう思うけれど、先ほどの冷めた目を思い出すと、胸の奥がざわついた。
「俺は、別に、……なんとも、思って」
「はいはい。ほら、飲め、食え」
俯く礼斗の頭をぽんぽんと撫で、信昭はカウンターに小皿を並べていく。それを礼斗は箸先で摘まみながら、黙々と口に運んだ。
グラスにはまた酒がたっぷりと注がれ、満たされる。しかし気持ちは、まったく満たされることがなかった。
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