夕刻を過ぎ、夜の時間帯になってしまったが、二人の時間はこれから始まる。明日のお昼まで希を預かってもらえるので、それまではフリータイムだ。
せっかくだから美味しい店でディナーを――そう雅之は考えていたけれど、今日は家でゆっくり過ごしたい、という淳のおねだりを聞いて、デパ地下へ方向転換した。
いつもは遠慮がちなところがあるので、時折こうして素直に甘えてくれるのがひどく可愛い。かくいう雅之も、早く二人きりになりたいと思っていた。
早く抱きしめてたくさんキスがしたい。できるならいますぐ隣り合った手も握りたい。
それはまるで思春期の、恋を覚えたばかりの少年のようだ。だが実際の思春期の頃は、こんなに胸が騒ぐことがあっただろうかと考えてしまう。
人並みに恋をしてきたはずなのに、いまの雅之にはその欠片さえも思い出せない。
「これだけで足りるかな?」
「だいぶ買いましたよ。雅之さんってちょっとをたくさんってタイプですよね」
昼間に活用した保冷バッグの中には、小さなパックに入った惣菜があれこれと詰め込まれている。一見多いように見えるが、成人男性二人ならば、おそらくあっという間だ。
お酒も買って帰ろうと話していたので、夕食兼つまみ。
ならばこの辺でやめておくかと、雅之はバッグの口を閉めて、財布をしまった。
「ああ、品数が多いと希も喜ぶし。たくさん作ってストックしておくと、のちのち便利だからね」
「それをできるのって結構すごいんですよ。希くんくらいの歳は、まだそんなにたくさん食べられないから、ほんとにちょっとずつですよね。ベテランのママさんでも大変だって言いますよ」
「ほら、いまは時短レシピとかで、電子レンジが大活躍だから」
元より雅之は料理をするほうではあったが、希と二人暮らしになってから、積極的に母親に習うようになった。
数あるレシピ本も、彼女からおすすめされたものだ。
おかげで高遠家の冷蔵庫は、常備菜と小分けに冷凍した品でいっぱいになっている。
結婚していた時でさえ、こんなにたくさん入っていたことはない。
「よし、食料はこれでいいか。なにか映画でも借りていこうか?」
「いいですね。そういえばこのあいだ貸した小説の映画が、レンタル開始になったみたいです」
「あ、あれすごく面白かったよ」
淳と歳が離れているわりに、雅之が会話に困らないのは、趣味が似通っているからだろう。読む本や観るドラマや映画、話してみると被っているものが多かった。
最近ではお互い、まだ触れたことのない作品を貸し借りしている。
いま話題に上がったのはファンタジー作品で、なかなかの巻数が発行されているのだが、休憩時間や一人時間に読みふけり、読破したところだった。
「あれ、もうこんな時間か。遅い時間になっちゃったね」
「今日も一日が早いですね」
「ほんと淳くんとの時間は貴重だな」
「え? 大げさですよ」
レンタルビデオ店に寄って、酒を買い込んだ頃には十九時を回っていた。朝から動いているのに、時間が溶けてなくなったかのような気になる。
淳と一緒にいられるのも、あと半日ちょっと、そう思ったら名残惜しささえ感じた。
「この辺りっていつも静かですよね」
「そうだね。一軒家やファミリータイプのマンションが多いからか、暗くなるとひと気が少ないかも」
のんびりとマンションへの道を歩くと、自転車が時折、傍を通り過ぎていく程度で、すれ違う人は少なかった。
「昼間は暖かいけど、夜になるとまだ涼しいね」
「ですね。少し肌寒いくらい」
「大丈夫? 上着を持ってきたら良かったね」
「大丈夫です。でも、ちょっとだけ」
「えっ? あっ、あんまり可愛いことされると、送り狼になりそうなんだけど」
ふいに周りを見回した淳は、なにかを確認すると、一歩足を踏みだし、肩が触れるほどの距離まで近づく。そしてあったかいですね、と照れくさそうに小さく笑った。
その顔があまりにも無邪気で、雅之の胸はぎこちないような忙しないような、妙な動悸を覚える。
おかしな音を立てる胸に手を当て、思わず息をついてしまった。
「淳くん、あとちょっとだよ」
「はい。……んふふ」
「どうしたの?」
「なんだか、幸せだなぁって噛みしめちゃいました」
「また、そういう可愛いことを」
「だって夢みたいです」
小さく含み笑いした淳は、珍しく肩にすり寄ってくる。そのぬくもりがやけに愛おしくて、雅之が隣り合った彼の手に手を伸ばせば、きゅっと小さく指先を握られた。
すると胸が再び慌ただしい音を立て始める。
気づいた時には淳の手をきつく握りしめて、足早に歩き出していた。それに驚いた反応が返ってくるけれど、雅之はただまっすぐに家へと急いだ。
部屋の前にたどり着くまで、五分くらいだったと思う。その途中、人とすれ違った気もするが、記憶が定かではない。
押し込むように鍵を挿し入れて、扉の向こうへ飛び込んだあとは、彼を強く抱きしめた。
そうして淳の体温を感じて、柔らかな優しい香りを嗅ぐと、少しばかり急いた気持ちがなだめすかされる。
首筋に鼻先を押し当てて深呼吸したら、伸びてきた手に背中を抱きしめ返された。
「ああ、やっと抱きしめられた、って感じがする」
「昨日は、ちょっと……お預けだったので、俺もそわそわしちゃいました」
「じゃあまずは、一緒にお風呂でも入ろうか。それからご飯食べて映画見て」
「そのあとは、いっぱいしてくれますか?」
「その上目遣い、すごく可愛いね」
ちらりと持ち上げられた目に、ほのかに熱が灯っていて、胸を鷲掴まれるような心地になる。
雅之が頬を撫でると、瞬いたまぶたがゆっくりと閉じられていき、それに誘われるままに唇を寄せて、薄く開いた隙間に滑り込んだ。
「ん、……んっ」
絡みついてくる舌を撫で上げれば、背中を握る手に力がこもる。さらに深く押し入ると、肩を震わせて小さな甘い声をこぼす。
その手の感触に、その声に、身震いするような、身体も心も揺さぶられる感覚がした。
「淳くん」
二人分の唾液がこぼれて、二人の呼気が混じる。雅之はいつの間にか、追い詰めるみたいに、淳の身体を玄関扉に縫い付けていた。
握った手のぬくもりに、ふつふつと熱が湧き上がる。
「ぁっ、まさ、ゆき、さ……んっ」
少しひんやりとした身体。シャツの隙間から手を差し入れて、雅之はそこに熱を移していく。
触れるたびに上がる体温で、肌がしっとりと汗ばみ、指先に吸いつくような感触がした。立ち上る香りがムスクのようで、衝動が止まらず、首元に歯を立ててしまった。
「ぁ、ぁっ、駄目……なんだか、変」
「ごめん。痛かった?」
「ち、違います」
思いのほか強く噛みついてしまったようで、鎖骨に赤い歯形が残った。それを雅之が指先でなぞると、淳の肩が大きく跳ね上がる。
「やっぱり、痛む?」
「そ、そうじゃなくて」
「ん?」
「なんかゾクゾクして、気持ち良くなっちゃって」
言葉を紡ぐたびに頬が真っ赤に染まって、それに雅之が驚きをあらわにすれば、茹で上がったように肌まで朱に染まった。
さらにはしどろもどろにごめんなさい、などと呟くものだから、理性がぷつりと焼き切れる。
「だ、だめっ、触ったら、すぐ出ちゃう」
乱雑にベルトに手をかけて、デニムのファスナーを引き下ろした。そしてその奥へ手を突っ込むと、びっしょりと濡れた感触がする。
糸を引くようなぬめりに、雅之の口の端が持ち上がった。
身をよじって逃げようとする身体を押さえ込んで、快感を引き出すように手を動かせば、か細い声が切羽詰まったように漏れ聞こえる。
「あっ、ぁっ、やっ……雅之さんっ、イっちゃう、イっちゃう」
「いいよ、いっぱい出して。……でもちょっと声、響いちゃうから」
「ん、んぅっ」
もっと可愛い声を聞いていたいところだが、扉一枚ではさすがに通りすがりに声を聞かれかねない。それでも追い詰めるみたいに、激しく手の内にある熱を扱いていく。
それはいつもより過ぎる快感なのか、次第に淳はボタボタと涙をこぼし始める。
しかしその様子が可哀想だと思うのに、手を止めることができなかった。ビクビクと震えた熱は、雅之の手の中にたっぷりと欲を吐き出す。
「はあ、すごい。いっぱい出たね。またヒクヒクしてる」
「あっ……まだ、止まんない。気持ちいいの、んんっ」
「もう一回、イク?」
「……雅之さんのも」
「うん」
震える指先が、スラックスのファスナーをじりじりと引き下ろしていく。もどかしいくらいの緩慢さに、手を取りたくなるけれど、熱に浮かされた目を見ると快感が増した。
ようやく取りだしたものに、うっとりとする淳は愛おしげに触れてくる。
その様子に我慢がならず、雅之が早く――と耳元に囁けば、おずおずと腰を寄せてきた。拙い動きだが、熱い息を吐きながら腰をくねらせる姿だけで、達してしまいそうになる。
「今日の淳くん、すごくやらしくて可愛い」
「んっ、んっ」
自分の声を塞ぐみたいに、ぐいぐいと唇を押し当ててくるそれは幼さを感じるのに、目の前の艶っぽさに息を飲む。
今夜は寝かせてあげられないかもしれない、そんなことを考える自分に、雅之はひどく呆れた気持ちになった。
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