その夜は淳が満足するまで身体を繋げて、ベッドに転がった頃に腹を空かせて起きた。
体力勝負、みたいなところは男同士ならではな気がする。
腹を満たしてもう一度風呂に入って、深夜と呼ばれる時間にまたベッドに潜り込んだ。
さすがに疲れたのか、二人はすぐに眠りに落ちた。
そして自然と意識が浮上して、よく眠ったと実感した時、ふと雅之は目覚ましをかけなかったことを思い出す。まだ眠りの淵にある意識を引き戻し、重たいまぶたをこじ開けた。
するとそれと同時か、部屋の扉が勢いよく開かれる音がした。その音に驚いて肩を跳ね上げれば、聞き覚えのある声も響く。
「まーさっ!」
部屋に駆け込んできた声の主は、ベッドの上に飛び乗り、勢いのままに腹の上に載ってくる。小さいけれど確かな重み。それに視線を止めて、雅之はまた大げさなほど肩を跳ね上げる。
「の、希?」
「もぉ、お昼ですよぉ」
「な、なん、で、いるんだ?」
きゃっきゃと笑いながら、腹の上でゴロゴロする息子に、雅之は冷や汗を掻いた。隣ではまだ淳が眠っている。風呂上がりで着替えるのが面倒だと、お互い一糸まとわぬ姿だ。
頭の上に疑問符を浮かべていると、追い打ちをかけるように、リビングから声が聞こえてきた。
「もう食べたものが出しっぱなしじゃない」
「え? 母さん?」
現状に気づいて、あたふたと着るものを目線で探したが、その前に部屋の中を覗かれる。
目が合うとなにやらもの言いたげに目を細められて、肩をすくめられた。母親の意味深な反応に焦りが湧く。
「やっぱりそういうことだったのね」
「や、やっぱり?」
「いつも一緒に寝るんだって希が言ってたけど」
「それは希が一緒がいいって」
「お風呂も一緒に入ってるんですって?」
「いつも、入れてもらって助かってるよ」
「雅之、この場面で言い訳するのやめなさい」
呆れたようにため息を吐かれて、さすがに苦しすぎる言い訳だったと猛省する。しかし上手い言葉も見当たらず、頭を掻くと、早く着替えなさいと、綾子はリビングのほうへ戻っていった。
それに息をつき、足元をウロウロする希をあやしながら、慌ただしく着替えを済ませる。そしてまだ眠っている淳の傍に着替えを置くと、雅之はリビングに顔を出した。
「ごめん、昨日は食べてすぐ寝ちゃったから」
「あなたにしては珍しいけど、そういうこともあるわね」
「……あの」
「希があっくんはいつも一緒なんだって教えてくれたわよ」
「そう」
恋人の父親にバレてすぐに、自分の母親に知られるのは想定外だった。けれどこの先を考えれば、やはりはっきりさせておく必要がある。
テーブルの上を片付けている綾子に近づくと、雅之は一呼吸置いて言葉を紡いだ。
「淳くんとは、去年の暮れくらいから付き合ってる」
「もう結構経つのね」
「別れるつもりはないから」
「希のために再婚するって言ってなかった?」
「確かに言ったけど。いまは、考えてない。希も懐いてるし、僕も彼以上に一緒にいたいと思える人は現れないって思う。本当に、彼が傍にいてくれて、いま以上に満たされたことはないんだ」
「そうは言ってもねぇ」
ため息交じりの声に、なんと言葉を返したらいいのかわからなくなる。言葉を詰まらせれば、しんとした中でガサガサと、プラスチック容器とビニール袋のこすれる音だけが響く。
少しばかり緊迫したような雰囲気に、足元にくっついていた希は不安げな顔をした。そして綾子と雅之を見比べて、困ったように眉を寄せる。
「希、パパはあっくんが好きなんだって、のぞはどうする?」
「え?」
ふいに振り向いた綾子は、状況を理解できていないであろう希に話を振る。それにひどく驚いてしまったが、それ以上に息子が驚きに目をまん丸くさせた。
さらにはあんぐりと口を開けて、雅之を見上げてくる。
「希?」
固まったように動かない愛息に、雅之は慌てて身を屈めた。しゃがんで目線を合わせると、小さな両手をきゅっと握る。
「まさ、あっくん好き?」
「うん、大好きだよ」
「のぞより? のぞよりあっくん好き?」
「……希と、おんなじくらい大好きだよ」
小さく首を傾げた希の小さな身体を、雅之は強く抱き寄せた。淳を父親に取られる心配をしていたのではなく、自分より淳が好きなのではと心配していた、それに胸が熱くなる。
「のぞもね、あっくん好きだから、あっくんと半分こするね」
「僕を淳くんと半分こするの?」
「うん、してくれるかな?」
「大丈夫だよ。あっくんならしてくれるよ」
「まさ、のぞもいっぱい抱っこして、ちゅーしてね」
「うん」
ぎゅっとしがみついてくる希に頬を寄せると、愛らしい笑い声を上げてすり寄ってくる。彼に嫉妬をしていた自分が馬鹿だった。
思っているよりもずっと、息子に愛されていたことに、雅之はひどく嬉しくなった。
こんな独占欲は幼いうちだけだろうけれど、それでも一緒に過ごしてきた時間を振り返ると感慨深い。
「あ、あの、……おはよう、ござい、ます」
「あっくん! おはよ!」
「希くん? あ、お、おはよう」
「のぞと半分こだよ!」
「え? 半分こ?」
ふいに聞こえた声に振り返ると、戸口で所在なげに立ち尽くす淳の姿があった。
それに気づいた希はぱっと駆けだし、彼の足にしがみつく。だが淳はこの状況についていけずに、目を白黒とさせている。
「まあ、あなたはもういい大人だし、気にしないけど。希が幸せになるなら私はそれでいいわよ」
「希はしっかり育てるよ。この関係に疑問を持つことがあれば、ちゃんと向き合う。この子を蔑ろにはしないから」
「そうね、その時は三人でちゃんと話をしなさい。……その心配はないと思うけど」
「えっ?」
「淳さん、急に訪ねてきてごめんなさいね。希が早く帰りたいって言うから。でも私はもう帰りますから、ゆっくりしていってくださいね」
一通りリビングを片付けると、袋を結んで綾子は腰を上げる。そんな彼女に視線を向けられた淳は、不自然に固まっていたけれど、優しく笑みを返されて恥ずかしそうに視線を落とした。
さすがにこの状況では、バレてしまったことに気づかないほうがおかしい。
「希、ちゃんとお手紙を渡すのよ」
「はーい!」
そわそわとした気分でいる、雅之と淳は視線を泳がせるが、二人をよそに綾子はさっさと帰り支度をする。
そして希となにやら目配せをして、また家にいらっしゃいと言って部屋を出て行った。
「と、とりあえず座ろうか。なにか淹れる?」
「えっと、はい」
納得はしてもらえたようだが、怒濤のような展開に気持ちがまだ落ち着かない。ちらりと雅之が視線を動かせば、しっかりと淳と目が合う。
その目にはどうなっているの? そう言葉が浮かんでいるように見えた。
「……一緒に寝てるとこ、見られちゃったんですね。なんだか、すみません」
「いや、さすがに不可抗力だよ。僕も家に来るとは思っていなかったし」
ぬるいホットミルクとミルクたっぷりのカフェオレ、その二つを二人に手渡すと、雅之は淳の横に腰を下ろす。
ことの経緯を話すと、淳は青くなったり赤くなったりと忙しなかった。しかし父親の時でもあれだけ驚いていたので、それも仕方ないと言える。
逆に雅之のほうが申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね。いきなり全部バレるようなことになって。さすがに希の口は塞ぎようがなくて」
「あっ、それは、それだけ希くんが素直な子だって証拠ですから」
「のぞ、いい子だよ」
「うん、うん、希はいい子だよ」
ふいに上がった自分の名前に、淳の膝の上にいた希はマグカップから顔を持ち上げる。そしてきょとんとした顔で雅之たちを見比べた。それでもいまは彼の天真爛漫さと、素直さに救われる。
よしよしと褒めるみたいに頭を撫でれば、希は至極嬉しそうに笑った。
「この子は思った以上に僕たちのことを見ていたんだな」
綾子が帰ったあと、希は手紙を書いたと自慢げに丸めた紙の筒を差し出してきた。
本人は手紙と言っていたけれど、それはお絵描き用の画用紙だ。描かれていたのは拙い絵だが、ひどく胸が温かくなるものだった。
そこには『まさ、のぞ、あっくん』――そう名前が添えられていて、にこにことした笑みを浮かべているような、優しい絵が描かれている。
「そういえば、なんで希くんは雅之さんのことパパって呼ばないんですか?」
「ああ、ほらよその家でもパパって呼ぶでしょ。小さい頃は名前だと思ってたみたいなんだけど。パパがいっぱいいるのがおかしいって疑問に思ったみたいで。僕の名前は雅之だよって、教えてからはずっと」
「なるほど。でもいまは理解してるんですよね?」
「なんとなくかな? 希、まさはパパだよね?」
「うんっ、まさはパパ。のぞは赤ちゃんだよ。あっくんもパパだよね!」
「雅之さん、これはどういう意味なんですかね?」
無邪気な顔で自信満々に答える希に、淳が小さく首を傾げる。画用紙の絵にも、二人の名前の傍にパパと書かれていた。
訝しげな顔をする恋人に雅之は思わず笑みをこぼす。その顔にますます不思議そうにされるが、テーブルの画用紙を手に取ってそこに視線を向けた。
「一緒に暮らしてる大事な人のことをパパ、ママって言うと思ってるみたいで。赤ちゃんっていうのは子供って言う意味。パパは男の人で、ママは女の人だから、僕と淳くんがパパ」
「大事な、人」
「希の中では淳くんは自分の家族なんだよ」
「家族、ですか。嬉しいです」
「淳くん。だから、これからもずっと僕たちと一緒にいてね」
「……はい、もちろんです」
涙を浮かべてはにかんだ、その笑顔を胸に抱き寄せると、はしゃいだような笑い声がリビングに響いた。この二つのぬくもりは雅之の幸せの象徴だ。
腕に抱きしめたものは決して軽くはないけれど、彼らのためならどんな壁も乗り越えていける、そんな気持ちになれた。
一歩前ヘススム/end
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