思い出の中の彼04

 最高においしい、優哉特製のシーフードカレーを食べたはずなのに、あまり記憶に残っていない。
 それもこれも優哉が食事中にわざと、何度も僕を見つめてくるからだ。

 可愛い悪戯ではあるけれど、自分の見た目の良さをもっと自覚してほしい。
 いや、自覚しているからこその悪戯なのか。

 どちらにせよ僕には効き目が強すぎて、正気を保つので精一杯だった。
 顔が好みすぎる恋人に、一番好きなビジュアルで見つめられる。

 幸せな状況だというのに、なんの苦行かと思った。
 現状、眼鏡姿の優哉にいまだドキドキする僕には過剰すぎる。

 心の中でぶつくさ言いながら、夕食後のデザートをいただいている僕は、非常に現金な男だ。
 僕の反応があまりにも露骨すぎて、優哉も申し訳なくなったのだろう。

 小さなパンケーキを焼いてくれた。
 フルーツと生クリームがマシマシで最高においしい。

 甘い物好きの僕がふかふかのパンケーキを食べ終わった頃、優哉が風呂から上がってきた。
 皿を流し場で洗っているのに気づき、彼はにこりと笑う。

「ご、ごちそうさま。おいしかった」

「それはなによりです」

 濡れ髪を拭きながら戻ってきた優哉は、そのままソファへ腰掛け、テーブルに置いてあったスマートフォンを手に取る。
 仕事のやり取りでもしているのか、しばらく画面を見つめていた。

 そんな横顔を僕はキッチンで静かに眺める。
 高校時代、ここに泊まりにくるようになった、当時の優哉が思い起こされた。

 しかし思い出しはするが、あの頃といまを錯覚することはない。
 なぜなら優哉の表情がとても穏やかだからだ。

 高校生の優哉は常に周りを警戒しているような、張り詰めた雰囲気があった。
 母親との確執があり、のんびりと携帯電話を眺めているなど一度もなく、むしろ意識の外へ出したいそぶりさえ見せた。

 こうして考えると、確かに当時の優哉は途方もなく僕の好みだけれど、いまが幸せだから暢気に照れたり騒いだりできる。

「優哉、髪を乾かしてやろうか?」

「――はい」

 驚きの表情を浮かべて振り返った優哉は、僕と視線が合うと嬉しそうに微笑んだ。

「優哉の髪を乾かすの久しぶりだな」

「懐かしいですね」

 僕がソファに座り、足元に腰を下ろした優哉が無防備に顔を俯かせる。
 柔らかく癖のない黒髪に指を通しながら、優しくドライヤーの風を当てていく。

 水気がなくなり、触れる髪がさらさらと指の隙間からこぼれる、この感触がたまらない。
 艶やかな優哉の髪ならではだ。僕の髪ではこうはいかない。

「はい、できた」

「ありがとうございます」

 最後に軽く櫛を通しただけで艶々。
 日焼けしやすい僕の髪とは違い、羨ましい限りだ。

「それにしてもなんで急に髪型を変えたんだ?」

「んー、なんとなくですかね。佐樹さんが喜ぶかなと。髪は元々切る予定でいたんですけど」

「あっ、今朝、僕が寝言で言ったから?」

「ものすごく久しぶりの響きだったので、すごく懐かしくなりました」

「そうか」

 思いがけないきっかけだったが、僕も今朝からずっと昔の優哉を思い出しているので、なんとなく気持ちがわかる。

 すっきりと短くなった髪を、いつまでも撫でていたら、ふいに振り向いた優哉と目が合う。

「この角度からの佐樹さんも懐かしい。佐樹さんは昔からちっとも変わらないですね」

「僕って思ったよりも童顔だったんだな。老けて見られない顔に産んでくれた母さんに感謝しよう」

「俺はどんな佐樹さんでも、変わらずに愛してますけどね」

 床に両膝をついて、僕の膝に上半身を預ける優哉は、至極幸せそうな笑みを浮かべる。

「僕だってどんな優哉でも愛しいよ」

 子供みたいに太ももに頬を寄せ、すり寄ってくる優哉の仕草が可愛い。
 再び髪を撫でてあげれば、彼は気持ち良さそうにすぅっと目を細めた。

「佐樹さん、来年のお泊まりの話はまた今度にしましょう」

「ん? うん、いいけど」

 朝に言っていたとおり、優哉は旅行のパンフレットや雑誌などをいくつか持ち帰ってくれた。
 彼が風呂から上がったら、と思っていたが、疲れたのだろうか。

「今日もって言ったら、怒ります?」

「え? へ? そっちか」

 疲れたどころか、元気は有り余っているようだ。
 思わぬお誘いに僕は間の抜けた声を出してしまった。
 僕の体力を考慮してあまり連日したがらない、優哉の珍しいおねだり。

「……激しめのは、なしな」

「もちろんです。いつも以上に優しくします」

「それはそれで……」

「駄目ですか?」

「うっ、駄目じゃない」

 イケメンの上目遣い、ずるい。

 小さく首を傾げて、じっと見上げてくる優哉に負けた。
 僕の返事を聞き、満面の笑みに変わった彼は、早速とばかりに僕を抱き上げる。

 普段よりも随分と早い時刻。
 お互い明日は仕事なので、意外とこれは確信犯かもしれない。
 帰ってきた時に玄関で囁かれた言葉を僕は思い出した。

「佐樹さん、好きです」

「うん」

 ベッドに僕を横たえた優哉は「好き」を繰り返しながら、何度もキスをしてくる。
 優しくて甘い口づけに僕は短い返事しか返せない。

「はっ、ん……っ、ゆ、ぅや、眼鏡」

「外して」

「この、甘え上手め」

 深い口づけから解放され、呼吸を荒くする僕を悠然と見下ろす優哉に、思わず悪態をついてしまった。
 だが彼は機嫌良さそうにニコニコするばかりだ。

 渋々手を伸ばして眼鏡を抜き取る。
 瞬間、まぶたを閉じた素顔の美麗さに、感嘆の息がこぼれた。
 見慣れるほど見ている。

 なのに――ゆるりとまぶたを開いた瞳の美しさにも、僕は息を飲むのだ。

「ありがとうございます」

 笑んだ優哉が僕の手から眼鏡をそっと抜き取り、ベッドの宮棚に腕を伸ばす動作を、僕は黙って見つめる。
 眼鏡を自分で外すなど一瞬なのに、わざわざ僕にさせるのは、こうなるのがわかっているから。

「優哉、そんなに僕は間抜け面か?」

「いいえ、とても可愛いですよ。俺に見惚れてくれる様子を見ると、今日も佐樹さんが俺を好きでいてくれるって実感できるので」

「ほんとにお前は、不安症すぎ。僕が嘘付けないって知ってるだろ?」

「はい。それでもです」

 こんな些細なことで安心するなら、毎日でも言葉にしてやりたいが、それもまた言葉の大切さがなくなるような気もする。
 だったら毎日――

「僕は優哉が好きだ。だからこうして日々、お前を抱きしめるから」

 いつまでも僕を見下ろしている優哉の体を、目いっぱい腕を伸ばして引き寄せる。
 バランスを崩した彼は、慌てて体勢を整えようとするけれど、構わずぎゅっと強く抱きしめた。

 僕よりも広い肩幅、頼り甲斐のある背中。
 常日頃フライパンや調理器具を巧みに操り、逞しくなった腕。

 歳を重ねるほどに大人になっていく優哉だが、無防備な顔は何年経っても変わらない。

「優哉も可愛いよ」

 僕に抱きしめられて、首筋を赤くしている様子が本当に可愛い。
 おずおずと背中に回ってきた手が、僕を抱きしめ返す。
 それだけで幸せだ。

「急に俺を口説かないでください」

「なに? 改めて口説かれてくれるのか?」

「男前な佐樹さんも好きですけど。いまは封印しておいてください。俺が負けそう」

「バカだなぁ、そんなはずないだろ。お前以上に男前なやつ、いないし」

「……時雨より?」

「当たり前だろ! まだ気にしてたのかよ。時雨さんには失礼だけど。僕はあくまでも、未来の優哉を想像してドキドキしてるんだよ。優哉が時雨さんに似てるからじゃなくて、時雨さんがお前に似てるから気になるだけだ!」

「そっか、良かった」

 ぽつんと安堵の言葉を漏らして、ぎゅうっと抱きついてくる優哉に呆れるものの、可愛くて仕方ないと思う気持ちが勝る。

「僕は優哉、お前だから好きになったんだよ」

「うん」

 さらさらの髪を撫でてこめかみにキスをしたら、猫のように頭を擦り付けてくる恋人が――死ぬほど可愛い。

 男前で比類なき格好良さなのに、可愛いのが本当にずるすぎる。

 だから僕はいつでも優哉に甘くなってしまうのだ。
 身を起こした彼がゆっくりと顔を近づけてきて、反射的にまぶたを閉じる。

 優しく触れた唇が僕の口を何度もついばみ、次第に熱をもって先を請う。
 舌先で促されて口を開けば、あっという間に侵食された。

「佐樹さん、好き」

「……っ、ん」

 返事をしたくとも次々に仕掛けられて、まともに言葉を発せない。
 じわじわと感情に火のついてきた、優哉の肌が熱くなってきたのを感じる。

 触れている場所から、体温、体の中まで侵食されそうな気分だ。
 優哉に触れられていると思うだけで満たされる。
 これはほかの誰かでは決して代わりにならないと、考えるまでもない。

「僕の、唯一」

「佐樹さん、俺を煽ってるの? 優しくしてほしいんじゃなかった?」

「煽られるお前が悪い」

 抱きついて、触れられる場所すべてにキスしていたら逆ギレされた。
 僕だってたまには、めちゃくちゃ愛情を示したいときだってあるのだ。

 ただ性欲は強くないとか言っていた優哉だけれど、健康な若者らしく、一度火がついたら止まれないのは知っている。
 ギリギリでセーブしてくれるので、抱き潰された経験はないが。

「睡眠時間は最低五時間ほしい」

「夢も見ないぐらいぐっすり眠らせてあげますね」

「いや、ちょっとその台詞不穏なんだけど」

 にっこりと実に良い笑顔を浮かべた優哉は、きっちり五時間、眠らせてくれた。
 しかも泥のように眠って、本当に夢も見なかったほどだ。

 

end