第06章 日常

ランチタイム

 いつもは準備室にこもってしまいがちな昼時。今日は珍しく外に出ている。そこは以前、三島に連れられてきた食堂裏のカフェテラスだ。ただそこのテーブルは少し手狭だったので、校舎から離れた芝生でシートを広げ、天気もよくちょっとしたピクニック気分。

「楽しそうですね」

 ほんの少し浮かれた僕の気持ちを感じ取ったのか、横並びに座っていた藤堂が目を細めて笑った。普段は藤堂が一人分の弁当を作ってくれるのだが、時々三島たちを含めて一緒に食べることがある。

「と言うか、西やん最近お昼時はご機嫌だよね」

「そうか?」

 藤堂の笑みと彼の手の動きを目で追っていた僕に、真向かいに座る三島が至極楽しげに笑った。言葉の意味があまり理解出来ず首を傾げると、さらに声を上げて笑う。

「ご飯待ってる雛みたい」

「雛?」

「食べることに積極的になってくれたなら、俺の苦労も報われますけど」

 楽しげに笑う三島と小さく笑った藤堂が、人の顔を覗きながら笑い合う。ますます首を捻れば、目の前に箸を添えた皿が差し出された。

「これ、先生の分。ほかに食べたいものあったら言ってくださいね」

 目の前に広げられた重箱から、藤堂が一通りの料理を移してくれる。その皿を見下ろして、僕はふといつものように浮かぶ疑問を口にした。

「なんでわざわざ取ってくれるんだ」

「それは先生が遠慮体質だからです。黙っていたら箸を出さないでしょう? それにこうしないと、ほとんど食べないうちになくなっちゃいますよ」

 一瞬だけ苦い顔をして固まった藤堂に目を瞬かせると、小さなため息をついて肩をすくめられる。

「うーん、まあ」

 確かに藤堂の言う通り、僕は率先して弁当に箸を伸ばすタイプではない。そして育ち盛りが集まれば一見多いのではないかと思うそれも、あっという間になくなる。それにしても自分で言うのもなんだが、相変わらず藤堂に甘やかされている気がする。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「じゃ、いただきます」

 僕の言葉を合図に三島の手が動き出す。藤堂が用意してくれているこの弁当の半分が三島の胃袋に収まるのは、いつものことだ。

「なあ藤堂」

「なんですか?」

「朝きつくないか? 毎日じゃなくてもいいぞ」

 毎日こうして美味いご飯が食べられるのはありがたいが、朝が弱い藤堂に無理をさせるのも気が引けていた。

「大丈夫ですよ。最近はずいぶん慣れましたし、そのおかげか結構調子もいいみたいなので」

「ふぅん」

 規則正しい生活になって体調がよくなったのだろうか。

「優哉はいままでが不規則過ぎだったのよ」

「え?」

 笑みを浮かべる藤堂を訝しげに見つめていると、背後から呆れたような声が聞こえてきた。その声に首を傾げ振り返れば、小さなビニール袋を携えた片平が立っている。

「ん、片平? どこに行ってたんだ?」

 いつもならばみんな揃って食事をするのに、お昼の休憩が始まり既に十五分ほど過ぎていた。

「はい、これ先生にお土産」

「なんだ」

 のんびりと近づいてくる片平は手にした袋からなにやら取り出し、残ったものを僕の目の前に差し出す。受け取ったビニール袋を覗き、その中のものを見て僕は目を丸くした。

「シュークリーム?」

 袋の中で小さな白い箱の口が開いていて、その中身がひと目で見て取れた。個別包装された綺麗な狐色のそれは、購買で売っているシュークリームだ。近くのケーキ屋が納品しているので購買商品と言っても侮れなく、生徒の人気も高いものだ。

「よく買えたな」

 これは売り切れ必至で買えないことが多い。

「……だって、罰ゲームだもん。めちゃくちゃ必死で並んだわよ」

「罰ゲーム?」

 ムッと口を尖らせながら、片平は手にしたシュークリームの袋を破いてそれを頬張る。拗ねたようなその表情に首を捻ると三島が小さく笑い声を上げた。

「最近優哉が寝坊しないから、あっちゃん負けること多いよね」

「もうやめる、つまんない。寝坊しない優哉じゃ意味がないもん」

 三島の声にまるでハムスターかリスのように頬を膨らませた片平に、思わずため息が出る。横でしれっとした顔で食事を続けてる藤堂を見れば、ふいに視線が合い目だけで笑われた。

「一体なにを賭けてるんだ?」

「あっちゃんは優哉が毎朝、チャイム一回で出てくるかを賭けてるんだよ。前は優哉が連敗だったんだけどね。負けたら一つお願いを聞かなくちゃ駄目なんだ」

 首を傾げる僕に三島は、笑いをこらえながらことの子細を教えてくれる。しかし寝起きの悪い藤堂は毎朝二人に起こされていたわけだから、負けを端から承知していたも同然ではないだろうか。それは賭けになるんだろうか?

「今日の賭けの報奨は?」

 まさか金銭ではないだろうが気になってしまう。

「なにって、ほら、それよ。今日は私のお昼のデザートか、西岡先生のデザート」

「は?」

「先生って甘いもの好きだったんだね」

「えっ?」

 片平の言葉に勢いよく藤堂へ向き直ると、急に噴き出すように笑い肩を震わせた。
 確かに僕は紛れもなく甘党だ。和菓子も洋菓子もなんでも好きで、一日一回必ずなにかしら食べているのも事実。でも藤堂といる時にそれをしたことはなかったはずなのに。

「ばれてないつもりだったみたいですけど、一緒にいるとわかるもんですよ。好んで食べるものが甘い味つけだったり、甘めのドリンクが好きだったりとか。先生はわかりやすいって前も言ったでしょう? 嫌いですか?」

「……じゃない」

「そう、それはよかったです」

 小さく呟く僕に至極嬉しそうな笑みを浮かべ藤堂は笑う。その表情に僕は思わず顔をしかめた。

「お前、絶対どこかに変なレーダーがついてる」

「え?」

「こっちは藤堂のこと全然わからないのに、不公平だろ」

 驚きに目を見開いている藤堂にますます苛々しながら口を曲げると、ふいに手を打つ音が聞こえた。

「西岡先生!」

「なんだよ、急に」

 突然大きな声で名前を呼ばれ、手の平を合わせながら機嫌のよさそうな笑みを浮かべている片平を振り返った。

「わかんないこと多いって言うより、この男は知るほど中身がないだけよ。いいじゃない優哉は元々器用だし、先生好みに調教を」

「あっちゃん!」

「あずみ!」

 嬉々とした様子で話す片平の声を、三島と藤堂が同時に遮った。

「あ、ごめんごめん。ちょっとテンション上がっちゃって」

 二人の声に一瞬目を丸くしながらも、片平は両手を頬に当てながら楽しげだ。

「そうそうその証拠に、バイト先は洋食がメインだから元々あんまり和食は作らなかったのよ」

「ん?」

 シートの上に広げられた弁当を指差す片平につられその先に視線を移す。いままでなんの疑問もなく食べていたけれど、比較的メニューはいつも和惣菜が多い。普通に考えれば、僕はともかく若い三島や藤堂はやはり洋食のほうが好ましいだろう。

「して欲しいこと、なんでもして貰えばいいんじゃないってこと。そのうちお菓子も作ってくれちゃうかもよ。きっと西岡先生がしてくれって言ったら、料理だけじゃなくて掃除や洗濯、家事もなんでもしてくれるかもねぇ」

「いや、そこまでは」

 半ば宙を見つめて話し出した片平の様子に我に返り、僕は慌てて首を振った。確かに言ったらしてくれそうな勢いはあるけど。

「嫁じゃないんだから」

「嫁ポジションいいじゃなーい。既にお母さんとはメル友だし、ね」

「は? なんだそれ、聞いてないぞ」

 口元に手を当てて笑いをこらえる片平の視線の先で、ふいに顔をそらした藤堂の腕を僕はとっさに掴んだ。

「この前、先生の実家に行った帰りに……連絡先聞かれて、たまに」

「だから、か。なんか変だと思ってたんだよな」

 最近のメニューと、味――実家の母親の味つけとすごく似ていた。
 ポツリと呟いた藤堂の言葉でやっと、心のどこかに引っかかっていたものが抜けた。それと同時に顔が一気に熱くなる。

「って言うか、なに勝手に連絡先交換してんだあの人」

 抑えた頭が一瞬くらりとした。自分の母親ながら考えがまったく読めない。

「まあ、そのおかげで毎日美味しいご飯を食べられるんだから。あ、いっそ先生の家に住み込みとかどう?」

「勝手に盛り上がるんじゃない!」

 いまだ楽しそうな片平の暴走はしばらく止まりそうにない。

「迷惑でした?」

「……いや、迷惑じゃ、ないけど」

 掴んでいた腕がわずかに引かれ、藤堂が不安そうにじっと僕を見つめる――その顔に、僕は相変わらず弱くて言葉が詰まってしまった。迷惑どころか嬉しいに決まってる。

「うん、なんか平和だよね」

「こら、三島。なに一人で第三者な顔をしてるんだよ」

 やたらとウキウキしている片平と、少し気まずそうに俯き加減な藤堂。そしてそれをニコニコと眺めている三島。
 賑やかで少し騒がしいそれは結局いつもと変わらないお昼の光景。

[ランチタイム/end]