夏日08
繋がれた手と藤堂の顔を交互に見つめ、僕はもの言いたげに手を引っ張った。けれど揺すっても、振り回しても繋がれた手は離れていかなくて、思わずがっくりと肩を落としてしまう。
そんな僕を見つめる藤堂はやんわりと微笑みを浮かべるばかりだ。
「離れたくないって言ったでしょう」
「だ、だからってこのまま行くつもりか」
恥ずかしげもなくさらりと言い切った藤堂は、大したことではないと言わんばかりの表情で肩をすくめてみせる。
「……」
随分と前に生徒会のメンバーも帰宅をしているし、校内に残るのは部活動の生徒や先生くらいだろうと思う。しかしこのまま行って、いきなり誰かと鉢合わせするのはなんとなく気まずい。譲る気配のない藤堂をじっと見つめて訴えてみるが、効果はなかった。
「帰るのが遅くなるので行きましょう」
終いには僕の手を引いて、どんどんと藤堂は校舎に向かい足を進めていった。
「お前は妙なとこで強引で意固地だな」
「嫌ではないでしょう?」
「い、嫌ではないけど」
そんな風に聞かれては嫌だなんて言えない。実際のところ気恥ずかしいのであって、嫌なわけではない。僕の答えに頬を緩めた藤堂に小さく息をついてしまう。結局のところ僕はひどく藤堂に弱い。
「ひと気のない学校ってなんだかいつもと違う雰囲気がありますよね」
「そんなもんか?」
「俺は遅くまで居残ることないんで、特にそう思いますね」
「そうか、バイトでいつも帰るの早いしな」
夕陽に照らされたオレンジ色に染まる校舎を窓から眺め、ふと藤堂の横顔を見上げる。わくわくしているような少し子供らしい表情がそこにはあり、なんとなく嬉しくなった。
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
「そうですか」
ほんの少し藤堂は訝しげな表情を見せたけれど、機嫌がいいのか彼はそれ以上は気にする様子もなく黙って先を歩いていく。しかし繋いだ手に力が込められ、こちらの心臓は先ほどから少し鼓動が早い。
「佐樹さん、職員室についたけど」
「えっ? ああ、うん」
繋がれた手をじっと見つめていた僕は、藤堂の声で我に返り慌てて顔を上げた。僕を見下ろす藤堂は驚いた表情を浮かべてこちらを見ている。
「悪いちょっとぼんやりして」
「そういう無防備なとこ見せられると、調子に乗っちゃいますよ」
「は? なに言ってるんだよ」
至極楽しそうに笑う藤堂に眉をひそめたら、あやすように髪を優しく撫でられた。たまに藤堂はよくわからないことを言う。いやこれはもしかしたら僕が疎いだけかもしれない。そう思いながら職員室の戸の前に立つと、握られていた手がそっと離れていった。手のひらの温もりが消えて、少し寂しいと思ってしまう自分に呆れる。
「本当に静かですね。なんだか学校には俺たち以外誰もいないみたいに感じる」
職員室の戸を引いて中に足を踏み入れるが、そこには人の気配はなくしんと静まり返っていた。僕の後ろから室内を覗き込み、藤堂は視線を巡らせている。物珍しげに辺りを見回している藤堂をそのままに、僕は足早に自分の机に向かうと必要そうな書類などを鞄に突っ込んだ。
「いまの時間、学校の中にいる人は少ないかもな」
鞄を肩にかけ藤堂のところへ戻ると、室内に向けていた藤堂の視線がこちらを向いた。
「じゃあ、いまここは俺と佐樹さん二人きりですね」
「そうだな」
廊下に足を踏み出しながらなに気なく返事をしたら、急に背後から強く手を引かれる。それにつられるまま後ろへ下がると、ふいに身体を強く抱きしめられた。背中に感じる温もりに心臓が跳ね上がる。
「どうしたんだよ、いきなり」
「なんとなく、佐樹さんを抱きしめたくなっただけです」
「そんなこと言って、誰か来たら」
慌てて身をよじり藤堂を振り返るが、僕を抱きしめる腕は離れていかない。
「少しでも駄目ですか」
額に優しく口づけを落とされ、肩を抱く手に力を込められると、口先から出る文句もつい途切れてしまう。そしてそんな僕の反応に気をよくしたのか、額に落とされた唇はゆるりと滑り落ちて、頬にも落ちてくる。反射的に肩を跳ね上げた僕を抱き寄せて、藤堂の指先は僕の髪を梳くように撫でた。
「それは駄目だ」
その仕草はキスの前に藤堂がよくする癖だ。流石にここでこれ以上はまずいと、藤堂の胸に手をつき押し返そうとするが、抱き寄せる腕に力がこもるだけだった。
「藤堂」
「静かにしててください」
人差し指を唇に押し当てられて、思わず口をつぐむ。こちらを優しく見下ろす視線を不安な眼差しで見つめると、なだめるように髪や頬を撫でられ、余計に落ち着かない気持ちになってしまった。
嫌だと口で言っている割に、心のどこかで期待している自分がいることに気づいてしまったからだ。
「可愛いよ、佐樹さん」
笑みを浮かべた唇がゆっくりと近づいてくる。抗うこともなく受け入れたそれは、僕の唇を啄みながら、次第に奥へと押し入ってくる。その気配を感じて、僕は腕を伸ばし藤堂の背中に強く抱きついた。
「ン……んっ」
背後の戸に押し付けられ、少し余裕のない表情を見せる藤堂に迫られると、雰囲気に飲まれて少しも抵抗出来なくなる。こういう場面になると本当に僕は藤堂に弱いなと思う。でも彼のすることなすこと嫌じゃない。どうしようもないほど好き過ぎて、全部飲み込まれてしまいそうな気がする。
「佐樹さんなに考えてるの」
「……」
ふいに離れた唇を名残惜しく見ていると、小さく笑った藤堂が僕の目を覗き込んでくる。まっすぐなその視線が気恥ずかしくて逃れるように俯いたら、指先で容易く向き直された。
「よそ見、しないでください」
「そんなんじゃない」
わかっているくせにそんな風に言う藤堂はずるい。肩口に額をすり寄せたら、包み込むように抱きしめられた。
陽も傾いて来たとはいえどまだ蒸し暑さはある。それでも相手が藤堂だというだけでそれすら気にならない。間違いなくほかの人間だったら暑いと文句がこぼれているだろう。でも藤堂だと嬉しいのだから不思議なものだ。柔らかな香りがいつもより強く感じる。
「お前が目の前にいるのに、お前以外のこと考えるわけないだろ」
「……佐樹さん、あんまり可愛いこと言わないで」
「ちょっ、待った、藤堂?」
困ったように眉を寄せた藤堂は、急に僕の首筋に噛み付いた。そしてさらに噛み付いた場所を舐められて、驚きのあまり僕の声が裏返る。噛み付かれた場所がなんだかムズムズとする。
「藤堂、くすぐったい」
「くすぐったいだけ?」
「えっ? あっ」
再び首筋に顔を埋められて、過剰な反応してしまう。しかも気づけばワイシャツのボタンがひとつ外されていた。隙間に滑り込んだ指先にびくりと僕の身体は跳ね上がる。
「駄目だって」
じわじわと熱くなる頬は誤魔化せなくて、目の前の身体を押し返すがそれでも藤堂は離れていかない。それどころか押し返す手を取られて指先に口づけられた。
「その割にはそんなに嫌そうじゃないけど?」
「それでも駄目だ。ここじゃ駄目だ」
「……ここが嫌なだけで、こうされるのは嫌じゃないってことですか?」
指先で鎖骨を撫でられる感触にさえドキドキとしてしまって、なんだか頭の中が真っ白になってわけがわからなくなってしまいそうだ。とりあえずこの状況から抜け出したくて、必死で頷いたら笑われた。
「すみません。少し悪戯が過ぎたみたいです」
ようやく藤堂が離れたのと同時か、静かだった空間に誰かの足音が響いた。