夏日18
視線をそらしたままこちらを見ない藤堂に首を捻っていると、なにやら悩ましいため息を吐き出される。それでもなおじっと見つめていると、そろりと視線がこちらを向いた。その目はひどく落ち着かない様子で、少し右往左往と泳いでいる。
「佐樹さん、あんまり可愛い顔してるとキスしたくなるからやめて」
「えっ」
ふいに小さな声で告げられた言葉で思わず声が裏返ってしまう。そんな僕を見て大きく息を吐き出した藤堂は、困ったように眉をひそめながらくしゃりと前髪をかき上げた。
「勝手に近づいてきた俺も悪いけど。ごめん、二人だけで傍にいると、触れたくなるかも」
「あ、わ、悪い。と、とりあえず今日はほかにもみんないるし」
二人っきりという場面は多くないはずだ。それに多分きっとこれは暗に、今日はなるべく二人きりにならないようにしよう、ということなのだろう。けれど最後の最後まで二人きりになれないのは寂しい。
「なぁ、藤堂」
「なに?」
「今日は終わったらうちに来てくれるか?」
シャツの袖を引いてこっそりと耳打ちしたら、藤堂の目が驚きで見開かれた。
「無理?」
「いえ、大丈夫です」
反応の遅い藤堂を恐る恐る見上げると、満面の笑みを返された。けれどその笑顔があまりにも綺麗だから、藤堂の裏側が見えた気がしてついにやけてしまう。さっきまで敬語が抜け落ちるくらい動揺していたのに、急に戻ったいつもどおりの返事。僕が先ほどまで何度となく心の中で呟いた言葉とおんなじことを、多分きっと藤堂も呟いている。
「優哉ーっ」
遠くから片平の声が響いてくる。二人でそちらを振り返れば、片平がこちらに向かい手を振っていた。その傍では三島と峰岸もこちらを見ている。
「行ってこいよ」
「はい、じゃあ、行ってきます」
押し出すように背中を叩けば、ふっと目を細めて藤堂は優しく笑みを返してくれた。今日一日、藤堂がたくさん笑ってくれたらいいなと思いながら、走り去る背中にひらひらと手を振る。そして僕は集合場所である木製のテーブルとベンチがある場所へと移動した。
しかしなに気なく木陰になっているベンチの端っこに座ると、ふいに人の気配を感じて驚きのあまり肩を跳ね上げてしまった。
「びっくりした。瀬名くんか」
気配を振り返れば、大きな木にもたれて腕組みしながら立っている瀬名くんがいる。
「こっち座れば?」
「いや、いいっす。ここにいると日陰なんで」
「そっか」
元々が寡黙なのだろうか。会話が続かず僕はまっすぐ前を見つめた。目の前には藤堂たちや何人かの生徒たちと渉さんの姿が見える。無邪気に笑っている渉さんは、ほかの生徒たちよりずっと子供みたいでキラキラしていた。あんな笑顔は久しぶりに見たかもしれない。
「あんな顔して笑うんだ」
「え?」
ぽつりと呟かれた瀬名くんの独り言に思わず反応してしまった。そして彼の視線の先にある笑顔を見て、ほんの少し胸の奥に湧いた好奇心が言葉を紡いでしまう。
「渉さん、瀬名くんの前では笑わないのか?」
「……あんな風には笑わないっすねぇ。いっつも作り物の笑みとか、怒ってるとか、不機嫌そうな顔ばっかですね」
「でも僕は逆に、あんなに怒ったり拗ねたりする渉さんは初めて見たかも」
あんまりにも寂しそうに話すから、ついお節介をしたくなってしまった。けれど言った言葉は嘘じゃなくて。ここに到着するまでの車の中で、本当に珍しいものを見たと思った。僕の知っている渉さんはいつも笑っていて、滅多に怒ることもなくて、優しくて心配性で過保護な人。だからいつも見ている渉さんより、あれが本当の渉さんなんじゃないかと思えた。
「瀬名くんにはすごく気を許してるんじゃないか? あ、車だって、いままでは他人に自分の車を運転させるのを嫌がるような人だったし」
「まあ、そうじゃなきゃ、そう思わなきゃ、やってらんないっすけどね。でなきゃ、仕事休んでこんなとこまで来ませんよ。でも、男としてはまったく相手にされてないっすけど」
「好き……なんだ」
自嘲気味に笑った瀬名くんは眩しそうに渉さんを見つめている。踏み込んでいいものかわからず躊躇ったが、そう聞かずにはいられなかった。車の中で渉さんが僕にじゃれつくたびに、瀬名くんが眉間のしわを深くしていたのに気づいていた。そんな僕の問いかけに、瀬名くんは小さく笑って俯けた顔をこちらへ向ける。
「好き、っすよ。だから今日は敵情視察に来ました」
「て、敵情視察って……もしかして、僕?」
「ほかに誰かいます?」
慌てふためいて取り乱す僕を瀬名くんの目はまっすぐと捉えている。その目を見たら、真剣なんだってことが痛いほど伝わってしまった。
「何度か渉さんの展示を観に来てるのは見かけてました。それにあの人がどれだけあんたが好きなのか、一目でわかるほどわかりやすかった」
好きだから感じてしまう相手の視線の先。そして視線の意味。でも僕はまったくそれに気づくこともなく、渉さんの愛情を友情と捉えていた。
「いまも駄目だってわかってるくせに、諦めたって言ってるくせに、あの人まだ未練たらたらなんすよ。まあ、わからなくもないですけど、あんたすごくいい人そうだし」
悔しそうに眉をひそめる瀬名くんの表情に胸が苦しくなる。人の想いはどうしてうまく絡み合ってくれないのだろう。時折絡まり過ぎて断ち切れてしまう想いもある。
「えっと、でも僕は、渉さんのことは好きだけど、友達以上の好きにはなれない。本当は離れたほうがいいのかもしれないって思ったりもしたけど、やっぱり大事な友達だからそれも出来なくて。こんなのずるいんだってことはわかっている。それでもいまはすごくすごく好きな大切な人がいるから、その人以外、考えられないんだ」
「……それも、知ってます。あー、片想いって、いつになったら終わるんすかね」
一方通行な二つの片想い――その終着地点がどこかなんてわからない。引き合うこともあるかもしれないけど、もしかしたら離れてもいくかもしれない。
「おい、センセ。ぼさっとしてるんならこっち来いよ」
「え? あ、峰岸」
ふいに手を掴まれて我に返ると、目の前に笑みを浮かべて僕の顔を覗き込む峰岸の姿があった。その顔を思わず僕はじっと見つめてしまう。ここにも一人、一方通行な想いを抱えているのがいた。
「なに? そんなにじっと見てキスでもして欲しいのかよ?」
「は? 馬鹿だろっ、そんなことは思ってない。それにいまはまだ荷物番だから」
にやりと片頬を上げて笑う峰岸の表情に慌てて手を振りほどきそうになるが、それは容易く遮られ強く手を引っ張られてしまう。
「行ってきていいっすよ。どうせ俺ずっとここにいるんで」
僕と峰岸のやり取りを見ていた瀬名くんが肩をすくめて笑った。
「え? でも」
「すぐそこだしいいだろ、ほら行くぞセンセ」
逡巡している僕などお構いなしに峰岸は手を引く力を強くする。そして半ば引きずられる勢いで立ち上がると、峰岸は僕の手を引いて歩き出した。
「あ、瀬名くんありがとう。あと、諦めないで」
わずかに振り向きながらもそう告げれば、瀬名くんは目を細めながら優しく笑って手を振ってくれた。
終着地点はわからないけれど、片想いはそれが実った時と、新しい恋をした時や本当に諦めた時に終わりが近づく。渉さんにはもっといい恋をして欲しいし、瀬名くんには恋が成就することを祈りたい。そして僕の手を引く峰岸にも幸せな恋をして欲しいと僕は思う。
すべてが丸く収まるなんてハッピーエンドが、そう簡単に訪れるとは思わないけど。大切な人たちが泣いたりしなくて済む結末を僕は探してしまう。