夏日31

 薄らとした湯気が覆う中に何度も甘やかな声が響いた。寝室とは違い、明る過ぎてすべてが見え過ぎるこの場所が羞恥を煽って仕方がなかったのだろう。繰り返し「恥ずかしい」と顔をそらし泣き喘ぐ声が可愛らしくて、そのたびに追い詰めて甘い声を堪能した。

 けれども「部屋がいい」という甘えた声にも逆らいきれず、濡れそぼった身体を大きなタオルで包みしっかりと水気を拭き取ると、小さな身体を抱き上げて寝室のベッドに埋めた。
 すると間接照明のみのぼんやりとした灯りに安心したのか、ふっと表情が柔らかくなるのが見えた。

 そっと縁をなぞるように頬を撫で、顎を指先で下から上へと伝うように撫で上げれば、子猫のように目を細めて指先に逆らわず顎を持ち上げる。視線と視線が薄暗い中で重なりどちらからともなく唇が触れ合った。

 その後はもうどちらから求めたのかわからないほどにお互い夢中になっていた。あまり色事に関心がないのかと思っていたけれど、二回目ということもあってか最初の時のような緊張感はほとんどなかった。そしてそんな素直に行為に応えてくれる佐樹さんが可愛くて、何度も求められるままに甘やかしてしまった。

 余すことなく唇で触れ、指先でなぞるたびに小さな声が聞こえてくる。それはまるでその先をねだるようにも聞こえ、時折性急に身体を揺さぶってしまうけれど、それでも腕を伸ばし抱きつかれてしまうと、そんな勢いさえ包み込まれてしまう。
 そして本人はまったく気づいていないようだが、感じて身体をくねらせるたびに唇が触れた肌や指を甘噛みしてくる彼の小さな癖を見つけて、一人優越に浸る自分にも苦笑した。

 目の前で艶めいた彼は自分だけのものなのだというこれ以上ないほどの優越――そして至福。手の中に収めて逃さないように閉じ込めてしまいたい衝動に駆られるが、不自由に鎖に繋いでおくには彼は純白過ぎる。
 そして陽の光の下がどの場所よりも一番似合う人だ。そんな彼に愛しげに呼ばれるそれだけでも、充分幸せなのだと俺は華奢で綺麗な身体を強く抱きしめた。

 だから重たい鎖は何者も繋ぐことなく心の片隅に消える。

 規則正しい寝息。枕に散る柔らかな髪の毛。時折揺れるまつ毛。どんな夢を見ているのか、そんな想像をしながらも、俺はベッドの端に腰かけ佐樹さんの肩を優しく揺さぶった。
 何度か揺すったり、背を軽く叩いていると、小さな声と共にまぶたが動きまつ毛が震える。小さく耳元で名前を囁けば、閉じられていたまぶたがゆっくりと持ち上がってきた。

「佐樹さん、起きた?」

「ん、もう時間か?」

 洗濯を終え乾燥させたシャツやデニムからは佐樹さんの家の香りがする。それを感じたのか、ほんの少しスンと鼻を鳴らした彼は寝ぼけまなこで顔をこちらへ向けた。

「はい、もうしばらくしたらここ出るので、起きてください」

 タオルケットの端を握り胸元に丸め込んでいた佐樹さんは、その手をゆるりと持ち上げてまぶたを擦った。けれどその表情はまだぼんやりとしていて、寝起きの頭の中はすっきりとしてはいない様子だ。

 しかしまだ眠たげな彼を寝かせて置いてあげたいが、いまだに俺が勝手に部屋の中から消えることを怖がる彼を起こさずにはいられない。
 小さな子供をなだめすかすように髪の毛を梳いて頭を撫でると、視線がふっと持ち上がりこちらを見つめる。淀みのない綺麗な瞳に見つめられて、胸がどきりと少し高鳴った。

「藤堂、起きられない」

「え?」

「身体ダルくて」

 ふいに眉をひそめて口を小さく尖らせた彼が目を伏せる。そしてよくよく見ればほんのり頬が赤い。そんな表情に頬を緩めて口の端を上げると、俺は目を細めて笑った。

「佐樹さんが何度もねだるからいけないんですよ」

「うるさい」

 からかう声で言った俺にぺちりと軽く当たる程度の小さな反撃は飛んできたが、俺の言葉を否定する言葉は返ってこなかった。照れくささを隠すためなのかほんの少しふて腐れたような表情を浮かべる佐樹さんが可愛くて、身を屈めて額に唇を落とした。

「佐樹さん結構途中で意識飛んじゃうから、無理させないように俺も気は使ってるんですけどね」

「ん? そんなに飛んでる?」

 心底驚いたように目を瞬かせる表情に思わず苦笑いが浮かんでしまう。よく言えば相性がいいのだろうけど、あまり回数が多いとさすがに心配にもなってくる。
 しかし当の本人は気持ちよさそうな顔で気を失っているものだから、ふいに悪戯心を刺激されて揺さぶり起こしてしまう時もある。けれど途切れた記憶があまりないのか、ふっと意識が浮上すると素直に反応をしてくれ、加虐心が煽られてしまうのだ。

「今日は少なくとも二回は完全に飛んでましたよ」

「えっ、そんなにか」

「そんなにイイですか?」

 驚きでほんの少し浮いた佐樹さんの上半身を覆うように、ベッドに両手をついて覗き込めば、顔が一気に赤く染まった。目を見開いた彼のその瞳に自分の姿が映り、なんとも言いがたい感情が胸の内に生まれる。それは征服欲が満たされるような気分だ。
 しかしその瞳は一瞬で目の前から消えた。

「佐樹さん?」

 突然タオルケットを頭から被ってうずくまってしまった佐樹さんの肩の辺りに触れると、びくりと大きくそれは跳ね上がった。そんな反応に首を傾げて顔を覗き込もうと試みるが、すっかりタオルケットでそれは遮られてしまっている。
 仕方なくベッドから下りて視線を合わせようと床に座り、俺はマットレスに顎を乗せた。しかしタオルケットのガードは堅い。

 何度か声をかけるものの応答はなかった。けれどしばらくそのまま、またやり過ぎただろうかと小さなため息をついて考えあぐねていると、小さな呼び声と共にタオルケットの隙間から腕が伸びてきた。
 その手は探るように伸びてきて、俺の頬に触れ、髪を梳くと、子供をあやすようにぽんぽんと頭を撫でる。

「俺のせいじゃないって言いたいの?」

 なだめるみたいに触れる優しい手に小さく笑って、自分の頭を撫でる手を取ると、俺はその指先に口づけを落とした。するとその指先は俺の手を掴み小さく握り締めた。

「こんなにいきなり順応している自分が恥ずかしかっただけだ」

「素直で可愛い佐樹さんは好きだよ」

「呆れてない?」

 タオルケット越しにくぐもった声が聞こえてくるたび、頬が緩みにやけてしまう。そんなことを思うはずがないということがわからないのだろうか。握られた手を握り返して指先に口づけると、俺はその手に指を絡ませ繋ぎ合わせた。

「どうして呆れるの? どう考えても微妙な反応されるより、素直に感じていてくれたほうがいいでしょ」

「まあ、うん、そうだけど」

 まだ納得いかないのか少しばかり小さく唸っている。しかしそれがたまらなく可愛くて、丸まったタオルケットごと抱きしめて俺は頭の辺りに唇を寄せた。

「それにそっちのほうが俺は嬉しいです。俺だけ気持ちよくなってても仕方がないし」

「……藤堂、気持ちいい?」

 ふっと俺の言葉にタオルケットの隙間から窺うような瞳が見えた。警戒した子猫がタオルケットに包まっているようで、可愛過ぎるその姿に口の端を緩めると、俺はマットレスに手をついて繋がった手をそのままにベッドの上へ乗り上がり、彼の身体を跨いだ。

「すごく」

 そしてそう耳元へ返事をして微笑むと、俺は眼下の視線を見つめた。目の前の佐樹さんは自然と俺に腕を引かれ、仰向けになってしまっていた。
 彼を覆い隠していたタオルケットがはらりとこぼれ落ち、目を丸くし頬や首筋までも赤く染めた佐樹さんの表情があらわになる。驚きと羞恥で開かれた瞳はひどく綺麗で可愛くて、愛しさと共に悪戯心も刺激されてしまう。

「佐樹さんの中にいるの気持ちいいよ」

 あえてはっきりと言葉にして見つめ返す。すると明らかに動揺した様子の佐樹さんが右往左往と視線をさ迷わせ始めた。

「やめろよ、お前ずるい。そんなに真顔で、そんなこと、言うなっ、恥ずかしい」

「聞いたのは佐樹さんでしょ」

 急に子供のようにジタバタと暴れて手を振りほどいた佐樹さんは、俺の顔を覆い隠しているつもりなのか、両手を俺の目の前にかざし、近づこうものなら全力でその腕を突っ張る。
 しかしそれでも身体を寄せようとする俺に、佐樹さんは抵抗をやめて自分の顔を覆い隠した。顔を隠したままころんと横になってうずくまるそんな姿に小さく笑って、俺はベッドに腰を下ろすと、細い腰に腕を回し引き寄せた。

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