夏日46
僕の手際に「兄ちゃん上手だなぁ」と感心するような声を上げた店主に、笑みを返して僕はお椀に入った二匹を彼に手渡した。その瞬間、二匹だけでよかったという安堵した表情が目に見てわかり、また僕はふっと息を吐くように笑ってしまう。
「大事に育てるな」
「すくったのは佐樹さんですよ」
「うん、でも藤堂が選んだから」
苦笑いを浮かべた藤堂に笑みを返しながら、金魚の入った袋を持ち上げ僕は実に満足した気分でそれを見つめた。そしてしばらく提灯の明かりにかざし金魚を見つめ、ふと僕は後ろを振り返る。
そして視線を右へ左へと流し、母と佳奈姉を探した。人混みにまぎれやすい二人は思ったよりもすぐ傍にいた。佳奈姉が僕の視線に気づき、母の浴衣の袖を小さく引いた。
「あらあら、金魚すくいをしたのね」
カラコロと下駄を鳴らしながら近づいてきた母は、僕の手にぶら下がる金魚の入った袋を見つめ目を細めた。
「家に金魚鉢まだあったよな?」
すくったあとに思い出したが、これから銭湯に行くのだった。このまま持ち歩いてはせっかくすくった二匹が可哀想だ。
「小さいのも大きいのもまだ納屋にあるはずよ。佳奈、家に寄ってもらってもいい?」
「いいわよ。どうせそんなに距離は変わらないし」
「寄るってなにかあった?」
母と佳奈姉の会話に少し疑問を感じて首を傾げると、母は後ろを振り返り片平や三島たちを指差した。
「二人の親御さんが着替えを持ってきてくれるって言うから、近くで合流しましょうってことになったのよ。お母さん挨拶してくるわ」
「あっ、それでまだ飲んでないんだ」
「うるさいわね。あとでたらふく飲むわよ」
いつもだったらビール片手に歩いているのに、なにか違和感があると思ったらそういうことかと納得してしまった。そんな僕の視線に佳奈姉はこちらを少し睨むように目を細める。
「もうすぐ行くの?」
「そうね、あと十五分くらい経ったら出ようと思ってたわ。でも金魚さんがいるからちょっと早めに行って金魚鉢に移してあげましょうか。八時にお風呂屋さんで合流しましょ」
「うん、わかった。ありがとう」
差し出された手に金魚を渡すと、佳奈姉を促し母は片平と三島のもとへ向かっていった。
「なんだか色々とすみません」
「お前が謝る必要はないよ」
僕らのやり取りを見ていた藤堂が急に申し訳なさそうに頭を下げる。けれども僕はその頭を軽く撫でて笑ってみせた。
確かに母親のせいで心苦しさはあるだろうが、これは藤堂が気に病むことではない。離れた手を繋ぎなおして、僕は藤堂の腕を引いて歩き出した。いまは少しでも余計なことを考えずにこの場の雰囲気を楽しんで欲しい。
そう思って賑やかな祭り囃しが聞こえる下社近くにある舞台までやってきた。人が立ち止まり混雑はしているが、舞台が高いので太鼓や笛を演奏している人たちの姿はよく見える。
「今日明日は祭り囃しだけど、最後の日はここで舞が奉納されるんだ」
「そういえばこの神社ってどんなご利益あるんですか」
「うーん、確か五穀豊穣、商売繁盛、家内安全とか、そんなのだった気がする」
太鼓や笛などの囃しを聞きながら、藤堂の質問にぼんやりと記憶にあるものを上げていく。けれどそれと共に僕はふともう一つ思い出した。そんな僕に藤堂は不思議そうに首を傾げてこちらを見つめてくる。
「あと、ここは縁結びも密かにご利益あるんじゃないかって言われてるんだ」
「密かに?」
「うん、昔々山の神様がこの地を訪れた時にこの土地の娘に恋をして、娘が住むこの土地を護ろうと思ったのが始まりだとも言われてる。最後の日の舞がそれにちなんだ物語になってるんだ」
「へぇ、そんな逸話があるんですね」
「あとから付けられた話かもしれないから、嘘かほんとかわからないけどな。まだ時間あるし、神社のほうに行ってみる?」
興味深げに神社を振り返った藤堂の顔を下から覗き見ると、ふいに視線を下ろした藤堂とぶれることな目が合う。急なことだったので心の準備がなく、思わず心臓が跳ねてしまった。慌てて体勢を立て直し俯いた僕に、今度は藤堂が僕の顔を覗き込むように身を屈めた。
「行ってみてもいいです?」
「うん」
じっと見つめてくる視線に心臓をドキドキとさせながら頷けば、藤堂は嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
長い石階段を三、四メートルくらい上っていくと、小さな佇まいながらも綺麗な上社が参拝者を迎える。出店が並ぶ下の境内とは違い、神社のほうはそれほど混み合ってはいなかった。
まばらに人がいて、おみくじやお守りなどを買い求めている。この辺に住んでいる人なら、縁結びにもご利益があるらしいという話は知っている人が多い。
親子連れなどもいるがカップルや女の子同士の友達連れが多かった。しかし人が少ないと手を繋いでいるのが目立つ。僕はそっと手を離し藤堂の着ている服の裾を少し指先で摘んだ。その感触に気づいたのか、藤堂は目を細めて笑った。
「神社って二礼二拍手一礼でしたっけ」
「うん、そう」
水舎で手や口をすすぎながら、藤堂が首を傾げた。そんな仕草に僕は頷いて、濡れた手をハンカチで拭くと、上社に向かっていく。参拝はそんなに並んでもおらず、すんなり済ませられそうだった。
「軽くお辞儀してから賽銭入れて、鈴を鳴らしたら深く二礼して、二回柏手を打つ。もう一回深く一礼して最後退く時に軽く頭を下げるのが正式らしい。まあ、みんなうろ覚えで様々だったりすること多いけどな」
「年始の初詣くらいしか神社って行かないので忘れがちですね」
そんな話をしているとすぐに順番が回ってくる。賽銭を投げ入れ鈴を鳴らし、丁寧にお辞儀しながらなにを祈ろうかと頭を思い巡らせたが、藤堂のことしか思い浮かばなかった。出来ればこの先もずっと一緒にいたい。だから末永く藤堂と一緒にいられますようにと心から願った。
ほぼ二人同時に頭を上げ、僕たちはその場を離れた。
「おみくじ、引いてく?」
「いつ以来だろう」
「あんまり引かないんだ」
「ですね」
意外と当たると評判があるここのおみくじは毎年来るたび引いている。そんなに占いを信じているわけではないけれども、習慣的なものだろうか。この神社のおみくじは手を突っ込んで取るやつでもなければ、棒状のおみくじでもなく、生まれ年や誕生日を計算して出た数字で引くくじが決まるというやつだ。
数字に従いそれぞれおみくじを手にすると、じっと折り畳まれたおみくじを見つめてしまう。ついつい祈るような気持ちになってしまうのは吉凶を気にする人間の心理か。
「あっ、吉だ。藤堂は?」
「俺は末吉ですね」
「お互いぼちぼちだな」
手元を覗き込み藤堂のと自分のを比べてみる。恋愛運は「いまの人が最上、良縁」が僕で、藤堂のは「他人に惑わされるな」とほんの少し意味深なお告げだ。けれどおみくじはいくら当たると評判でも、あくまで気持ち的に気をつけようと思う程度が望ましい。
「にわかにことを成せば災いあり、か」
「うん?」
「いや、この願望のところ、気をつけようと思って。これから佐樹さんに色々となにかまた面倒かけるようになったら困るし」
苦笑いを浮かべておみくじを折り畳んだ藤堂は、素早くズボンの後ろポケットにしまってしまった。けれど願望ということは、先ほどお参りをした時の願い事は僕と一緒だったのだろうか。淡い期待を抱いて胸がドキドキとした。