決別07

 とりあえずよくわからないまま機嫌を損ねたり、怒らせたりするのは嫌なので、しばらく言われたとおりに大人しく黙って藤堂の横にいることにした。しかし電車に乗ってるあいだも終始無言が続き、新幹線に乗り換えする時に二言三言交わした程度で、あれからずっと視線も合わない気がする。
 普段から二人でいても会話が多いわけではないが、いざ大人しくしていろと言われるとなんだかそわそわする。そうだ、そもそも普段は僕が一人で喋っていることが多いのだ。それなのに大人しくしていろと言われたら間が持たない。

 二人でいる時の藤堂はこちらが話しかければ話をしてくれるし、笑ってくれるし、沈黙で困ることはない。でも元々お喋りというわけではないので、じっと僕の話を聞いてくれていることのほうが多い。
 このまま黙っていたら会話もせずに目的地に着いてしまいそうだ。でもやはり機嫌を損ねるのは嫌だ。

「けど、このままはさすがにちょっと寂しい」

 隣で肘かけに頬杖をついている藤堂を盗み見た。うたた寝をしているのか目は閉じられ、こちらに気づいている様子はない。思わずじっと横顔を見つめてしまった。

「って、見過ぎだ」

 自分の行動が恥ずかしくなり、気を紛らわそうと慌てて窓から外へ視線を向けた。するとふと右手に温かいものを感じた。

「別に、俺は怒ってませんよ」

「あっ、えっ、うん」

 さり気なく右手に重ねられていた手と、こちらを見る藤堂の視線に気づくと、じわじわと顔が熱くなってきた。いつもだったら慌ててその手を払ってしまいそうになるのに、なぜかいまは身動きもせずにじっと固まってしまう。

「……なんでそんなに可愛いかな」

「え?」

 ため息交じりの言葉に首を傾げたら、少し困ったように笑う藤堂に髪を梳くように撫でられた。

「なんだか二日間も保てる自信がなくなってきました」

「なにを?」

「ん、色々と」

 言葉を濁して曖昧に笑った藤堂。その心の内を探るようにじっとその目を見つめていたら、急に視界が遮られた。そしてその理由に気づくのに数秒要した。

「あ、え、……っ!」

「シーっ、大きな声出さない」

 思わず声を上げそうになって、藤堂に口元を手で押さえられる。それでも動揺は治まらなくて、それどころかますます頭の中がぐるぐるとした。微かに残る唇の感触に脳みそが沸騰しそうな勢いだ。

「いま、いま、……した」

「あまりにも可愛かったので、つい」

「つい、じゃないっ」

 思っている以上に周りはこちらのことなど気にはしていないとわかっていても、公衆の場でいきなりあんなことされて驚くなというほうが無理だ。

「……心臓に、悪い」

「すみません」

 謝る藤堂の声よりも自分の心臓の音がうるさくて、ますます顔が熱くなってしまう。なんだか自分の気持ちに振り回されている気がして、恥ずかしくて仕方ない。もうこの乙女的な反応をどうにかしたい。いまなら羞恥で死ねる気がする。
 でももっと怒っていいはずなのに、それが出来ない。自分でもこの状況がおかしいことぐらいわかっているのに。

 思わず小さく唸って俯くと、藤堂は心配げな顔をしてこちらを覗き込もうとしてくる。その視線から逃れるように顔を背ければ、藤堂が後悔をして落ち込みだしたのが気配でわかる。
 そうすると僕が弱いのをわかってやっているんじゃないかと、そう疑いたくなるが、藤堂は案外そういうところでは嘘がつけないと言うか、やたらと素直だ。というよりも僕に対して従順な部分がある。それはそれでかなり優越なのだけれど、やはりこれには弱い。僕もさすがにこのままではいられない。

「別に、怒ってない」

 握られていた手を握り返して、こちらをじっと見ている藤堂の目を見つめ返した。案の定不安そうな顔をしていて、でもそれが可愛くて仕方がない。先ほどまでのやりとりと逆転して少しおかしな気分だ。
 でもこんな風にすぐ不安になるところも、昔から持っている心の傷なんだろうかと思うと、切ない気持ちになる。少しずつでいいから、それが癒やされてくれればいいと願うばかりだ。

「嫌じゃないぞ。ただ場所をわきまえてくれ。恥ずかしくていたたまれない」

「気をつけます」

「うん」

 相変わらず藤堂は変化球のない直球だ。でもそれが自分にだけ向けられていると思えば、嫌なわけがない。普段は隙がないくらいクールなのに、僕の前では拗ねたり落ち込んだり、泣きそうな顔をしたり、至極嬉しそうな満面の笑みを向けてくれたりする。
 こんなに僕ばかり幸せな気分に浸ってていいのだろうか。

「藤堂」

「なんですか?」

「幸せ過ぎるんだけど」

「……え?」

 思わず心の声がダダ漏れてしまった。
 そしてそんな僕の言葉に固まったように動かなくなった藤堂の顔は、みるみるうちに赤く染まっていく。終いには忙しなく視線が右往左往と空を泳ぐ。その表情に気をよくした僕は、へらりと口元を緩めてにやけてしまった。

「佐樹さん、俺のほうがいたたまれない気分なんですけど」

 片手で口元を覆って顔を背けた藤堂の顔を覗いたら、近づけた顔を空いたもう片方の手で押し返された。なのでその手のひらに口づけたら、弾かれたようにその手は離れて、藤堂はますますうな垂れたように肩を落とした。

「俺のほうが心臓が持ちません。佐樹さんのは無自覚過ぎるんですよ」

「自覚はあるぞ」

「いや、ないです。とりあえず悪ふざけはなしでお願いします。本気でどうにかしたくなる」

「どうにかって?」

 両手で頭を抱えてすっかり俯いてしまった藤堂に首を傾げると、盛大なため息を吐き出されてしまった。怒っている様子はないが、なんだかひどく呆れられているようだ。

「またそうやって言葉を濁す」

「場所をわきまえて、あとで教えてあげますよ」

 ふて腐れた僕に、藤堂はいまだ困惑したような表情で苦笑いを浮かべた。どうやら僕は相変わらず相当鈍いようだ。その藤堂の表情の内側にあるものがさっぱりわからない。
 人の気持ちを読み取るのはやはり難しい。

「佐樹さんそんな顔しないで」

 一人勝手に落ち込む僕の髪を藤堂は優しく撫でる。甘やかされてなだめすかされて、ますます藤堂に気持ちが寄りかかってしまいそうだ。

「色々と鈍くてごめん」

「いえ、大丈夫です。そういうところも佐樹さんらしくて好きです」

「もう、恥ずかしくて、やだ」

 真顔で答えられて、今度は僕のほうが頭を抱えてしまった。このいちいち浮き上がってしまう気持ちは、本当にどうにかならないんだろうか。もう少し時間が経てば慣れるだろうか。
 まあ、正直なんだかんだと付き合いだしてそんなに経ってないし、付き合い始めの浮かれた状態なのかもしれないけど。藤堂を見てるとやたらとドキドキしてしまう。多分、顔がすごく好みなんだろうな、というのはなんとなく気がついている。いや、もちろん顔だけじゃなくて声や性格も好きだけど――って、なに考えてんだ自分。

「佐樹さん、次ですよ」

「え? あ、ああ」

 一人で悶々としていたら次の停車駅を案内するアナウンスが流れていた。

「藤堂、あのさ」

「なんですか?」

「なんで今日のことなにも聞かないんだ」

 もう少しで目的地に着く。それと共にずっと引っかかっていたことが気になって仕方なくなってしまった。行き先だけは新幹線の切符を渡した時に教えたけれど、藤堂はそれ以上のことは言わせてくれなかった。

「……そうですね。もうすぐ着きますし、白状しますね」

 荷物棚から二人分のバッグを下ろしながら、ふっと少し眉尻を下げて藤堂が笑う。言うのを躊躇っているようなその雰囲気に、なぜか胸がざわりとした。

「聞きたくなかったんです」

「え?」

「ギリギリまで、あの人のこともあの人の名前も、あなたの口から、聞きたくなかったんです」

 呟くような小さな藤堂の声に泣きそうになった。やはり気づいてたんだ。これから何処へ行くのか、なにをするのか。

「十日はみのりさんの命日でしたよね」

「覚えて、たんだ」

「えぇ」

 そういえば藤堂の実父も同じ日が命日だった。覚えていてもおかしくない。そんなことにも気づかなかったなんて僕は馬鹿だ。

「でも嫌だとは思っていないですよ。こうして俺を連れて行くってことは意味があるんでしょう?」

「うん」

 ヤバイ、本気で泣きそうだ。藤堂の気持ちを考えていなかったわけじゃない。でもよくよく考えればいい気分ではないだろう。でも後悔しそうになる僕を、藤堂は優しい目でまっすぐと見つめてくれる。

「もう、昔のことは終わりにしたかったんだ」

 全部、今日で終わりにして、これからはまっすぐに藤堂だけを追いかけていきたいと思っている。だから最後は一人じゃなくて、藤堂と一緒に行きたかった。