決別20
肩口に頬を寄せてぎゅっと藤堂の背中を抱きしめる。力強く抱きしめ返してくれる腕が嬉しくて、胸の鼓動はトクトクと音を早めた。なに気ない瞬間が幸せだなと感じる。
「どうしてこんなに可愛いのかな」
「別に、可愛くなんてないぞ」
「可愛くてどうしようもないですよ。あなたが本当に愛おしくて仕方がない」
照れくささを誤魔化すように言い返したのに、至極真面目な声でそう囁くものだから、胸の鼓動が今度は忙しないくらい速くなってきた。
それは痛いくらいだけれど愛おしさが募る。浮き上がる気持ちを誤魔化すように肩口にすり寄ったら、僕の背を抱いていた手が髪を梳き優しく撫でる。
自然と誘われるままに顔を上げて目を伏せれば、唇に温かな口づけが降ってきた。触れ合うだけのキスなのにひどく心が満たされていく。
好き、愛してる、そんな単純な言葉しか思い浮かんでこない。こんな簡単な言葉もわからないと言っていたあの頃の僕は、一体どこへ行ったのだろう。
「離さないから」
「うん」
これからの確証などなにもないけれど。いまこの一瞬が幸せで、この先の未来さえも二人でならきっと歩いていけるはずだと、どこから来るのかもわからない自信だけはある。どんなことがあっても最後に一緒にいるのはきっと藤堂だ。
「佐樹さん」
「ん?」
「目閉じて」
急になんだろうかと首を傾げたら、いいから早くと急かされる。仕方ないので言われるままに目を閉じれば、ごそごそなにやら鞄を開く音だろうか、物音がする。もどかしくて目を開けそうになると、再び閉じてと制された。
「これいつ渡そうか、ずっと悩んでいたんですけど」
小さな呟きにも似た藤堂の声にますます意味がわからなくて、首を捻ってしまう。けれどふいに左手を掴まれて、指先にひんやりとした感触がする。
その瞬間、僕は黙って目を閉じていることが出来なくなって、勢いよく目を開いた。そして左手の薬指を見た僕は、言葉にならないほどの胸の苦しさを感じてしまう。それは痛みなどではなくて、言葉にもカタチにも出来ないほどの温かい想いだ。
「佐樹さんの誕生日は随分前に終わっているし、クリスマスはまだまだ先ですしね」
僕の薬指に収まるそれは、シンプルなデザインが刻まれたシルバーリングだ。それを馬鹿みたいにじっと見つめている僕の頭を撫でて、藤堂は左手を持ち上げその先に口づけた。
「いつ、こんなの用意してたんだ」
「佐樹さんの家に行くようになった頃ですかね。目に見えるもので繋ぎ留めたい気分になったんです。あ、もちろん普段は外していてくれて構いません。持っていてくれるだけでいいので」
両手で僕の左手を包んでやんわりと微笑んだ藤堂の顔を見たら、わけもわからず涙がこぼれる。突然泣き出した僕に藤堂は少し慌てた様子で、涙を拭うように頬を優しく撫でてくれた。
「ありがとう」
「いえ、そんなにいいものではないですけど」
「藤堂の気持ちが一番嬉しい」
プレゼントを欲しがるという心理は、正直あまりよくわかっていなかった。でも気持ちのこもったものをもらうと、こんなに嬉しいものなのか。僕は無頓着で気の利かないところがあるので、いままでプレゼントを贈るという行為は少なかった。
誕生日やクリスマスくらいは、もらったりあげたりした記憶はあるが、なんとなくそういうイベントだからという義務感に近かったように思う。
そう考えると自分があまりにもひどい人間だったんだと愕然としてしまった。過去は振り返らないと決めたけど、いままでの子たちに申し訳ない気持ちになった。
「佐樹さん? なんだか難しい顔してるけど」
「あ、違う! これはちょっといままでの反省を、今後にちゃんと活かそうと」
心配げな顔をしている藤堂に何度も顔を左右に振って、なんとか誤解は解いた。嬉しいとか言いながら、気難しい顔をしていたらそれは心配にならないほうがおかしい。
「ちゃんと嬉しいから」
「それならいいですけど、もしかして佐樹さん。いままで彼女にサプライズ的にプレゼントをもらったり、してあげたりとか、経験ない?」
「えっ?」
いきなり核心に触れられて一瞬だけ息が止まった。藤堂の妙に勘が鋭いところは相変わらず心臓に悪い。苦笑いを浮かべて返すしかなくて、へらりと笑ったら吹き出すように笑われてしまった。
「なんとなく想像がつきます」
「そんなに薄情そうか?」
肩を震わせて笑う藤堂に目を細めたら、すみませんと謝られるものの笑いは収まらないようだ。あんまりにも笑うので、不満をあらわにして口を曲げてしまう。するとそんな僕に目を細めて藤堂は頭を撫でてくれた。
「いえ、そうじゃないですけど。うっかりしてそう」
「うっかりってなんだ!」
「目の前のことには一生懸命だけど。大事なとこでうっかり忘れちゃったりとか、ね」
よりにも寄ってうっかりしていそうだなんて。でも言われた言葉は残念だが的を射ていると思う。僕は自分で言うのもなんだが、不器用過ぎていっぺんにたくさんのことが出来ないほうだ。ちょっと言い当てられて悔しい。
けれどそんな自分を知っていても好きでいてくれる藤堂の気持ちが嬉しかった。いままでだったら不服を申し立てられても文句は言えない立場だった。僕は気持ちが空回りすることが多かったのだ。相手を思うことがすれ違いを生んで、隙間を埋めようとするほどに失敗をした。
それなのに藤堂といると、僕がつまずいても藤堂が手を伸ばしてくれる。開いた隙間は寄り添って埋めてくれた。一緒にいてこんなに安心出来る人はほかにいない。
「もう頭痛は平気ですか?」
「ああ、もう大丈夫そう」
初めての旅行で喧嘩をしてしまったのは想定外だったが、きっとこれから先も喧嘩やすれ違いが少なからずあるだろう。でも些細なことで離れ離れになってしまわないように、繋いだ手をしっかりと離さないでいようと思う。もう何度も失敗はしたくない。
藤堂と一緒にいるために僕はもっと広い視野を持って、周りを見渡せるくらいの余裕を持たなくてはいけない。うっかりしてるだなんてもう言われないようにしなければ。
「じゃあ、そろそろ出かけましょうか」
「うん」
どちらが誘うでもなく自然と口づけを交わして、僕らは手を取り合う。
いまこの瞬間、握りしめた手のぬくもりは忘れないようにしたい。藤堂がいてくれるいまは、なに気ない時間だけれど。決して当たり前ではないのだ。彼が愛してくれるその想いも、奇跡なんだってことを忘れたくないと思った。