決別22

 こんな状況で言い訳なんか思いつくはずもない。母の目の前にあるのは、僕と藤堂が二日間一緒に過ごしたという誤魔化しようもない事実だけだ。
 うろたえてあたふたとしている僕を見かねたのか、隣に座っていた藤堂がほんの少し身を乗り出す。けれど口を開きかけた藤堂を見て、母は無言で首を横に振った。

「優哉くんはいいの。おばさんいま、さっちゃんに聞いてるから」

 ぴしゃりとそう言い切った母に、藤堂はなにか言いたげな顔を見せたがすぐに大人しく口をつぐんだ。そして隣の僕を心配そうに見つめる。その視線に思わず縋るよう、僕は藤堂の服の裾を掴んでしまった。

「さっちゃん、それどうしたの」

「あ、えっと、これは」

 母の視線の先に気づいて、僕は慌てて掴んでいた藤堂の服を離し、手を後ろへ隠してしまった。じっと見ていたのは間違いなく僕の左手の薬指だった。問いかけに対する言葉がうまく見つからない。そしてそんな僕の態度が気に入らなかったのか、母の眉間にしわが寄る。

「さっちゃん! どうして隠すの? どうしてここまで来てなんにも言わないの。優哉くんに失礼だと思わない?」

 滅多に怒ることのない母が声を荒らげこちらをキッと睨むように見つめる。その言葉に胸がズキリと痛んだ。けれど藤堂を見上げたら、彼は――なんてことはない、大丈夫だ、と言わんばかりの表情で僕を見て微笑んだ。

「ごめん」

 また僕は藤堂の気持ちに寄りかかろうとしてしまった。こんな風に誤魔化すことは、まっすぐに僕のことを思ってくれている藤堂のことを蔑ろにするのと同じだ。きちんと言葉にしなければ、そうでなければ藤堂の想いに報いることは出来ない。

「ちゃんとお母さんに話しなさい。優哉くんはお母さんになに一つ、嘘ついたことも誤魔化したこともないわよ」

「え? それって、どういう、こと?」

 突然の言葉に頭がついていかない。それはどういう意味なんだろうか。藤堂は母になにかを話したのか?
 訝しく思い藤堂に視線を向けると、彼は少し慌てた様子で母を見ていた。その横顔をじっと見つめたら、それに気づいた藤堂が僕の顔を見て困ったような表情を浮かべる。

「それはあとでいいから、さっちゃん!」

 藤堂の表情も母の言葉も気になるが、急かすように大きな声を出されて思わず肩が跳ねた。僕は落ち着きのない気持ちをなだめながらゆっくりと母に向き合う。前を向けばまっすぐに母が僕を見つめていた。

「と、藤堂とは二か月くらい前から、付き合ってて……その、いつか紹介したい人がいるって言ったのも、藤堂のことで……でも、本当にちゃんといつか言おうって思ってて」

「いつかって、いつ言うつもりだったの?」

「それは」

 問い詰められるような声に、言葉が全然浮かんでこなくて不安と焦りばかりが募る。緊張で喉がカラカラになって、思わずつばを飲み込んでしまう。両手をぎゅっと握って次の言葉を探した。

「あなたたち、男の子同士なんだから、結婚を前提にお付き合いすることになりました、なんて言えないのよ。いつかいつかって、タイミングを逃してましたとか言って、このままずっと黙ってるつもりだったんじゃないでしょうね」

「いや、そんなつもりは」

 もう頭の中がパニック状態で、逃げ出したい気分になってきた。でも母の言っていることもあながち間違いではなくて、なにかのきっかけがなければ簡単に言い出せることではなかった。僕たちの関係は世間一般から見たら、普通ではないと言われることもあるだろう。それを母や姉たちにだって容易く言やしないことぐらいわかっていた。
 ぐるぐると空回る思考に自分の気持ちがわからなくなってしまいそうで、心が苦しくなってくる。しかしふいに左手にぬくもりを感じると、不思議なくらい心が軽くなったような気がした。重ねられたその手の先をじっと見つめて、僕は俯いていた顔を前に向ける。

「藤堂は、まだ学生だし、未成年だから、せめて学校卒業するまで待ってそれから考えるつもりだった」

 この言葉に嘘はない。いつ話すかと考えれば、やはり教師と生徒である立場上いまは無理だと思っていた。中身がいくら大人でも未成年と付き合っていますとは、そう簡単には言ない。

「優哉くんまだ成人していなかったの? いまいくつ?」

 やはり大学生くらいに思われていたんだろうか、僕の言葉に母は首を傾げて藤堂を見つめた。その視線に藤堂は苦笑いを浮かべて口を開く。

「いま十八です」

「……え? ええっ?」

 藤堂が口にした年齢に驚きの声を上げたのは母ではない――この僕だ。驚きのあまり勢いよく藤堂を振り返り、僕はその顔をまじまじと見つめてしまった。僕の戸惑いに藤堂は困った顔をして笑う。

「待った、いつ十八になったんだ」

 今年の三月に三十二になった僕と、藤堂は十五歳離れているはずだった。それがいつの間に一つ、年の差が縮まっていたんだ。

「昨日です」

「は? 昨日? ……嘘だろ」

 返って来た答えに思わず両手で頭を抱えて俯いてしまった。よりにもよって昨日とかって、ありえない。なんでなにも言ってくれなかったんだ。いますぐ昨日に戻って、昨日の自分に教えてやりたい。あんな失態をした日が藤堂の誕生日だったなんて、最悪過ぎる。

「うっかりって、このことか」

 目の前のことに一生懸命になり過ぎて、うっかりと忘れることがある。そう言っていたのはこのことだったんだ。知らなかったとは言え、指輪をもらった時に誕生日という単語が出たんだから、そこで藤堂の誕生日がいつなんだろうかと気づくべきだったんだ。
 それなのに僕は浮かれてそんな疑問すら浮かばなかった。自分の至らない部分が浮き彫りになって、僕はやるせない気持ちになってしまう。

「相変わらずさっちゃんはそういうところ、まったく駄目ね」

 うな垂れた僕を呆れたように見つめて、母はため息をつく。こればかりは言い返す言葉はなくて、グサリグサリとなにかが胸に刺さる想いがした。

「当然だと思うけど、二人は真剣にお付き合いしてるのよね?」

「もちろん」

「そのつもりです」

 僕と藤堂の声が重なり、ほんの少し驚いた顔をした母がふいに小さく笑った。そして――そう、と小さく呟いて珈琲を口にする。その反応に僕はなんとなく違和感を覚えて首を傾げてしまった。
 自分が想像していたのは、もっとこう問いただされたり、ひどく反対されたり、別れるよう言われたりするんじゃないかと思っていた。だから母のあっさりとした反応にかなり肩透かしを食らった気分だ。

「そう、ってそれだけ?」

「それだけよ」

 恐る恐る問いかけた言葉に、なにを聞いているのと言わんばかりの顔して母は目を瞬かせ、肩をすくめた。この母の落ち着きようは一体なんなのだろう。僕はわけもわからぬまま母の顔を見つめてしまった。