予感09

 本当に峰岸と藤堂はよく似ている。だからこそお互いの距離を保てたのだろうなと、やっとわかったような気がした。性格はまったくの真逆だけれど、心の性質はひどく似通っている。

 以前の二人は背中合わせにぴったりと寄り添い立っていたのだろう。きっとそうすることで足りない部分を補い合い、バランスを取っていた。
 だからと言って、自分が持つ峰岸に対する感情は藤堂のものとはまったく違う。どうしたって峰岸は自分の弟のような身近さだ。好きだとか、付き合おうとか言われてもまったくしっくり来ない。

「相変わらず、達観してるな西岡は」

「そうか?」

 峰岸のあのキスはいたずらでもからかいでもなかった。まっすぐな目が、本当に慈しむみたいに僕を見ていた。守ってあげると言った言葉はきっと嘘じゃなくて、心からそう思ってくれたんだろう。
 でも周りから見たらそれは度を超したいたずらにしか見えなくて、呆れたり不快に思われたりする。目の前で顔をしかめる飯田も言葉にならないという顔をしていた。

「ほら、挨拶みたいな」

「あ、挨拶って、いつからあいつは外国人になったんだ」

「ああ、それだ。そんな感じ」

 あっけらかんと言い放った僕の肩に手を置き、脱力してうな垂れた飯田に思わず笑ってしまった。
 飯田は一見する容姿と違い、人がよくて心配性だ。ぱっと見はいささか軽薄そうに見られがちなきつい目をしていて、どこか飄々とした雰囲気と整った風貌が相まって冷たそうとよく言われる。それでも生徒受けがいいのは、紳士的な立ち振る舞いとそれに相応しいすらりとした見目のいい容姿のおかげだろうか。
 そんな彼もまた、類は友を呼ぶという言葉に当てはまらない――僕の親しい友人だ。

「そういや、おめでとう。結婚したんだってな」

「おぅ、今度うちに来いよ。うちの嫁さん紹介してやる」

 やっと言えた祝辞に満足して笑えば、つられたように飯田もふっと笑みをこぼした。その瞬間、長らく僕と飯田のあいだに出来ていた見えない溝が埋まった気がした。

「それにしても相変わらずあいつは突拍子ないよな」

 僕を呼びに来たという飯田と一緒に職員室へ戻り、会議室の鍵を所定の場所へ返した。そんな僕の後ろで飯田は珈琲をため息交じりですする。

「ん?」

「……だから、峰岸」

「ああ、ありがと」

 ふっと鼻先を掠めた薫りに振り返れば、ほらと飯田に湯気立つ珈琲を差し出された。職員室の隅にある小さな談話スペースのソファに腰かけた飯田に習い、向かい合ったソファに座ると、飯田の口からなにやら重たいため息が吐き出された。

「西岡くらいだぞ。あいつを軽くあしらえるのって」

「そうか? 構え過ぎなんじゃないか。案外、峰岸って素直だしいい子だぞ」

「うわぁ、余裕の発言。絶対に俺らには言えない台詞だわ」

 一見すると大人びていて取っつきにくいし、一言えば百は苦言が返って来そうな奴だけど。あれでいて一緒にいると、ああ、ちゃんと峰岸もまだ子供なんだなと安心する時がある。でも子供が大人にならなきゃいけない世の中なのかなと、藤堂や峰岸たちを見ているとそう思えてしまう時もある。

「まあ、なんて言うか……いまの子は聡いよな。僕らの子供の頃とはちょっと違って、少し急かされて大人になってる気がする。それってかなり悲しい気がするんだ」

「まあ、言っていることはわからなくはない」

 頭を抱える飯田に僕は苦笑いで返すことしか出来なかった。けれどそんな僕に飯田は目を丸くし、ソファの背もたれに思いきり身体を預け肩をすくめた。

「お前は相変わらずだなぁ、立ち位置がいつも生徒寄りだ。でもそういうまっすぐさってのはちょっと羨ましい」

「まっすぐと言うか、もしかしたら空気読めない単なる馬鹿なのかもしれないけど。遠くて一番近い大人って僕ら教師な気がして」

 藤堂なんかは子供扱いするなと機嫌を損ねるかもしれないけど。いましか出来ないことも、いまじゃなきゃいけないこともきっとたくさんある気がして、いつだってみんなが、藤堂が――前途多難な未来ではないよう願わずにいられない。

「そうだなぁ、あん時も西岡がいたらなんか変わってたのかもな」

「あの時って?」

 どこか懐かしみながらも眉間にしわを寄せる、複雑げな表情を浮かべた飯田に、僕は訝しく思いながら首を捻った。じっと答えを待つそんな僕に、飯田は明らかに失敗したと言いたげな顔をする。

「ん、ああ。いや、ここだけの話な」

 ふいに声を潜めてこちらへ身を屈めた飯田は、僕を招き寄せて内緒話するよう口元に片手を当てて衝立をした。放課後のひと気が少ない職員室でそこまで気にするようなことなのかと、疑問に思いながら僕もまた身を潜め耳を傾けた。

「あいつが一年の時、一度クレーム入ったことあるんだよ。確か一年の半ば過ぎくらいだったかな」

「クレーム? 保護者から?」

「そ、んで。ちょっと学年の先生方だけで内々に職員会議したことあってさ。俺、その頃に副担してたから一応それ出たんだけど」

「会議するような内容なのか? 峰岸って、停学とか食らったことあったけ?」

 一年の時と言えばまだ藤堂とよく一緒にいた頃のはず、一体峰岸はなにをやらかしたんだ。

「んー、それが……未成年者がいちゃいけない繁華街で何度か目撃されてた、らしいみたいな」

「なんだよ、その歯切れの悪い言い方」

 なにか奥歯に物が挟まったような、すっきりしない飯田の言葉に自然と眉をひそめてしまった。そんな僕の表情に飯田もまた困ったように苦笑いを浮かべた。

「いや、話では一人でってことらしいんだけど、なんか違うような気がしたんだよな」

 ポツリと呟くような飯田の声。その声を聞きながら、無意識のうちに珈琲の入ったカップを握りしめている自分がいた。

「峰岸はなんて?」

「個人面談の時に事実は認めたけど、誰かと一緒だったかって言うこちら側の話にはまったく口開かなくてさ」

 ふいに心臓が大きく跳ねた。それって、その相手って、もしかしなくても――。

「俺は、それ藤堂じゃないかと思ってんだけど」

「……っ」

 いままさに思っていたことを言葉にされて、気を紛らせるためにすすった珈琲を思わず吹き出しかけた。そしてとっさに飲み込んだ珈琲は気管に入りかけ、思いきりむせてしまった。

「いやぁ、お前が驚くのは無理ないけど。あの頃はあいつらほんと常に一緒だったし」

 僕の心情など想像出来ないだろう飯田は、むせて咳き込む僕の背を軽く叩きながら少し遠い目をする。なにかを悩んでいるようなその顔をじっと見つめ、僕は途切れた言葉の先を待った。

「けどそれからは少し変わったな。藤堂がバイト始めたのも峰岸がきっかけだったのに、その後すぐ峰岸はバイト辞めちまうし。少しずつ二人の距離が開いてくって言うか、峰岸が避けてる感じがしてさ」

「え?」

「まあ、こちら側でクラス一緒にならないように根回しあったけどな」

 これが藤堂と峰岸が離ればなれになった原因なのだろうか。二年の半ば頃まではまだ一緒にいたと三島が以前言っていたけど、それより前から少しずつ距離が出来ていたのか。
 半ば過ぎと言えば、丁度峰岸が生徒会入りをした頃。峰岸は僕への藤堂の気持ちを焚き付け、やはりわざと自分から離れていった?
 でもどうしても離れる必要があったんだろう。

「なんで藤堂の名前が浮上したのに、峰岸だけなんだ」

 確かに峰岸は派手だし、ほかの生徒と比べても明らかに目立つ。けれど二人一緒にいたなら、それと遜色ないくらい藤堂だって目に留まっていたはずだ。

「言えないって、そのクレーム入れてきた保護者集団の筆頭が藤堂の母親なんだから」

「え、まさか」

「そのまさかだよ。峰岸と藤堂を引き離したくて、相手伏せてクレーム入れてきたんじゃないかって、一時みんなで頭抱えたんだからさ」

 違う――僕の口からこぼれた「まさか」はそんなことじゃない。でも僕の心情など知る由もない飯田は不服そうに言葉を紡いでいく。けれどその言葉は僕には届かなかった。
 藤堂は言っていた。

 いまもまだ両親との関係は解消されていないって。赤の他人同士みたいな関係だとも。それなのに母親が素行の心配なんてするだろうか。わざわざ学校に乗り込んで、そんな大袈裟な行動を起こすだろうか。

 藤堂の知らないところでなにか起きているんじゃないか、そんな嫌な予感がしてまたあの夢を思い出してしまった。
 遠く離れていく藤堂の後ろ姿を――。