ふとした瞬間。相手の心の内側が見えたらいいのにと、思ってしまうことがある。触れられない見えない場所を見つけて心許ない気持ちになる。
「藤堂」
「……どうしたの佐樹さん」
呼び止めればなに気ない顔をして振り返る。変わらない、いつもと変わらないようなそんな気がするけど、どうにも様子がおかしい気もする。
「明良となにを話した?」
「またそれですか」
首を傾げた藤堂を訝しげに見つめれば、ふっと眉尻を下げて困ったように笑う。どこか曖昧な笑みに胸がざわめく。
「優哉くーん。こっちもいいかしら」
「あ、はい」
「ちょ、藤堂」
僕を見つめていた目がふっとそれる。キッチンで手招く母に返事をして、そのまま立ち去ろうとする藤堂の腕を思わず掴んでしまった。
「……佐樹さん?」
掴んだ腕を強く引くと、驚きをあらわにした藤堂が固まったように動かなくなる。それはなにかを警戒するように息を詰めているようにも見えた。
「さっちゃん! 優哉くん独り占めしないの」
「してない!」
痺れを切らしたように再び声をあげた母に、僕は思わず大きな声をあげた。けれどそうこうしているうちに、藤堂はするりと僕の手から離れ母のいるキッチンへ行ってしまった。
「逃げられた」
二人並んだその姿を見つめ、僕は大きなため息を吐いた。曖昧にはぐらかされ、なにもわからないことがすごくもどかしくて、少し胸が痛くなってくる。
「なあ明良、藤堂となにを話してたんだ」
藤堂から聞きだすことを諦めて、仕方なしに僕は明良の元へ向かった。ビールを片手にリビングのソファでテレビを見ている明良は僕の声に振り返る。けれどしばらくこちらを見ていた視線は、問いかけには応えずまた前を向いてしまう。傍まで行って隣に腰かけると、少し呆れたような視線を向けられてしまった。
「ああ、だから……昔話だって」
何度目だよという呟きが聞こえるが、僕は再び前を向こうとする明良の背中を掴む。どうして明良まで曖昧に濁すんだろう。
「誰の昔話だ」
リビングに戻ったあと、藤堂と明良はやけに親しげな様子だった。不思議に思い二人に理由を聞いたら、実は以前からの顔見知りだったと言われた。しかしそれにしたってなにを話したらあんなになるのか。
確かにいまは普段となんら変わらない。けれど僕を見た瞬間、藤堂の目が大きく揺れたのを見逃さなかった。
「だから、本人に聞け。そこは俺が言う話じゃない」
そう言って缶の底で僕の額を小突くと、明良は再びテレビ画面に向き直る。どうしても話してはくれないようだ。
「佐樹はほんと優哉くんのことしか頭にないわね。寂しいでしょ」
向かい側のソファに座っている佳奈姉が、ビールをあおる明良に目を細め楽しげに笑う。
「もう俺のことなんか眼中ないんだぜ。男の友情なんて儚いよなぁ」
「別に、そんなんじゃない」
佳奈姉の言葉に笑って肩をすくめた明良に、思わず眉をひそめてしまう。でも僕の顔を見て苦笑いした明良はなにも言わず、なだめすかすように頭を撫でる。
「ほら、あなたたち。飲んでばっかりいないで、ご飯の準備手伝って」
三人のあいだに沈黙が生まれた次の瞬間、両手を打った母の声が響いた。振り返ると母が呆れた顔をして僕たちを見下ろしている。
「はーい」
「うーっす」
既に二人で十缶ほど開けていた佳奈姉と明良は、手にしていた飲みかけの缶を飲み干すと、テーブルの上に転がっていた空き缶を拾う。
「お前らにとって、もはや水だよな……それ」
相変わらず二人が揃うと酒代が半端ではない。冷蔵庫に入り切らずに積み上がっているビール缶を見てため息が出た。
「もう、さっちゃんも佳奈もおうちのこと全然なんだから。お母さん優哉くんみたいな、いい子がよかった」
布巾でダイニングテーブルを拭きながら佳奈姉と僕に目配せすると、母は小さく口を尖らせる。けれど普段からまったくと言っていいほど家事をしない僕は、なにも出来ずに立ち尽くしてしまう
「これ、どうしますか」
「え?」
突然すぐ傍で聞こえた声に思わず肩が跳ね上がる。その反応を背後で見ていた明良は、僕の耳元で小さく笑った。
「佐樹、動揺し過ぎ」
「うるさい!」
「あ、優哉くん。それはこっちに置いて。ごめんね、なにからなにまでしてもらって」
傍に立っている藤堂に気がついた母は、彼の両手を塞いでいたものを受け取り至極嬉しそうに笑みを浮かべた。
「いえ、大丈夫です。嫌いじゃないので」
「んー、もう。気が利いて、優しくてお料理も出来て、性格もよくて男前で、どうしたらこんな風に育つのかしら」
「あのな、人間向き不向きがあるんだよ。ないものねだり」
頬を膨らませふて腐れる母に肩をすくめれば、再び口が尖る。まるで子供みたいな表情を浮かべる母にため息が出てしまう。
「優哉くん。さっちゃんはお料理なんにもしないのよ」
「……ああ、でしょうね」
「でしょうねって、別に出来ないわけじゃないぞ。面倒くさいだけで」
さもおかしそうに笑う藤堂に僕は眉をひそめる。しかしその目が語るように、最近は藤堂が僕の食生活を管理しているのは事実だ。それ以上言い返すことが出来ず、ムッと口を引き結んでしまった。けれどそんな僕を見て藤堂は至極優しく微笑む。
「ねぇ、早く火をつけちゃってよ! 折角の特上肉なんだから」
ぼんやりと藤堂を見つめていると、佳奈姉の声が響く。今日の晩ご飯はどうやら、奮発した特上のすき焼きのようだ。ダイニングテーブルにカセットコンロが設置される。
「もう、早く早く!」
「はいはい。じゃあ、みんなで早く準備しちゃいましょうね」
「おぉ、すげぇ! 霜降り」
佳奈姉の声に母は踵を返してキッチンへ戻っていく。その後を明良もまた追いかけるように去っていった。あとには僕と藤堂が残される。
「なあ、藤堂」
「……なんですか」
なに気なく呼びかけたつもりがやたらと真剣な声が出てしまい、藤堂が心配げな表情を浮かべて僕を見下ろす。
「お前に嫌われるようなこと、したか?」
「え? そ、そんなことあるわけないでしょう」
唐突な僕の言葉に目を見開いて、藤堂は慌てたように僕の腕を掴んだ。そのあまりの強さに思わず顔をしかめてしまった。
「いっ、痛いって」
「あ、すみません」
「いや、こっちもしつこかったよな」
不安や躊躇いをもっと言葉にしてくれればいいと思う。藤堂はいつも自分の気持ちを押し込んで、飲み込んでしまうところがある。そんな藤堂に対し、ちっともその気持ちに気づくことが出来ないのが悔しい。
「……佐樹さんは、いまでも忘れられない人はいますか?」
「え?」
ぽつりと呟くような藤堂の小さな声とその問いに、僕は驚きをあらわにしたまま動けなくなった。
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